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ニューイヤーコンサート2023


昨日、ウイーンに行ってきました。
久しぶりに本場のウイーンワルツを堪能しました。

そう、プログラムの表紙を飾る邸宅を見たとき、
私の記憶は2007年夏のウイーンに飛んでいたのです。

プログラム


東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル


ウイーン・サロン・オーケストラ


日本ではウインナ・ワルツといえば、毎年元旦にオーストリアウイーンの学友協会(ムジークフェライン)大ホールから国際衛生放送で生中継されるウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(フィルハーモニカー)の「ニューイヤーコンサート」が有名だ。
 しかし、ウイーン国立歌劇場管弦楽団を母体とするフィルハーモニカーはワルツやオペレッタの名曲の演奏団体としては“新参者“に当たる。
ヨハン・シュトラウス父子が活躍した19世紀の半ば、彼らが次々と書き下ろしたワルツやポルカはダンスホールや酒場の音楽であり、当時の宮廷(現・国立)歌劇場の音楽家たちが好んで奏でることはなかった。
 ヨハン・シュトラウス二世(1825年〜1899年)が1874年に初演したオペレッタの傑作《こうもり》の真価を認め、宮廷歌劇場音楽監督のグスタフ・マーラー(1860〜1911)がレパートリーに採用したのは97年。後継音楽監督の一人、クレメンス・クラウス(1893〜1954)がニューイヤーコンサートを創設したのは1939年と、20世紀の出来事だった。59年にオーストリア放送協会が国際中継を始め、レコード会社が毎年、ライブ録音・録画を発売する体制が整って以来、フィルハーモニカーの売り物になった。本来はもっと小編成で歌や踊り、器楽のソロなどを「おせち料理」のように取り混ぜ、ワイン片手の気軽な雰囲気で楽しむ音楽だった。ウイーン・サロン・オーケストラが奏でるのは、フィルハーモニカーとオーストリア放送協会による20世紀のマーケティングが蔓延する以前の、正調ウインナ・ワルツである。

音楽ジャーナリスト@行けたく本舗(池田卓夫) プログラムより引用



どんな曲かしら・・・と思う方のためにYouTubeから
選んでみました。どうぞご参考まですお聞きください。

ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 KV467〜 モーツアルト



昨日は久元祐子さんとのモーツアルトピアノ協奏曲第21番 ハ長調KV 467 が演奏されました。
解説にもあるように第二楽章は1967年映画「みじかくも美しく燃え」で使われて以来、多くの人から愛されたモーツアルトの名曲になりました。
祐子さんの弾くモーツアルトは上品で、美しく、優しく透明な光が水面に反射して、キラキラと輝くように思えました。
こんなに美しい音楽、日常の澱のような思いを浄化していきます。

祐子さんの演奏ではありませんが、大好きなイングリッド・ヘブラーの演奏でお聞きください。


モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも人気が高い作品のひとつであり、第2楽章が1967年のスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』に使われたため、特に海外ではこの映画の原題となった主人公の女性綱渡り師の名を採って『エルヴィラ・マディガン』(Elvira Madigan)の愛称で呼ばれることがある。
第20番(K. 466)の完成から僅か1ヵ月後の1785年3月9日に、やはり自分が独奏を担当する予約演奏会のためにこの曲を完成し、翌日の3月10日にウィーンのブルグ劇場の演奏会で初演された。
前作の短調のほの暗さから一転して、この曲は長調で書かれており、明るく清らかな雰囲気となっている。

第1楽章 アレグロ・マエストーソ
ハ長調、4分の4拍子、協奏ソナタ形式。

行進曲のようなリズムでオーケストラが第1主題を提示する。ピアノの装飾を伴って第1主題が再び提示されるが、その後一転してト短調に変わる。その後、ト長調に変わり第2主題をピアノが示す。調はそのままに、第1主題のリズムで、ピアノとオーケストラが対位法的に掛け合い、提示部を終える。
展開部はホ短調で始まり、主にピアノを中心として、いくつかの調を渡りながら展開していく。
再現部に入ると、まず第1主題の後、第2主題が再現する。その後再び第1主題を展開的に再現すると、第1主題の提示部に見られた流れるような旋律を木管が歌い、それをピアノが引き継ぐ。396小節目にカデンツァがあり、それが終わると再び冒頭の旋律に戻り、静かに終わる。

第2楽章 アンダンテ ヘ長調、2分の2拍子、三部形式。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ
ハ長調、4分の2拍子、展開部のないソナタ形式。

wikiより引用


モーツアルトをゆっくり味わって、20分の休憩のあと、
いよいよウイーンサロンコンサートの醍醐味が始まりました。

オペレッタ「こうもり」序曲〜ヨハン・シュトラウス2世


美しく青きドナウ〜 ヨハン・シュトラウス2世


アンコール ラデッキー行進曲 〜ヨハン・シュトラウス1世


コンサートマスター ウド・ツヴェルバー(音楽芸術監督)


ウイーン生まれ。ウイーン国立音楽などで学び、1980年にフォルクスオーバー・ウイーンの第一コンサートマスターに就任。1994年にフォルクスオーバー・ウイーン所属の演奏家で構成された「ウイーン・サロン・オーケストラ」を設立した。
1999年には、かつてヨハン・シュトラウス二世が自ら演奏し、本拠地とした「ウイーン・クアサロン」と契約を交わし、同オーケストラの演奏活動を本格的にスタートさせた。ツヴァルファーはその初代音楽芸術監督およびコンサートマスターとしてオーストリア国内外にて5000公演以上のコンサートを成功させている。

プログラムより引用
ウドさんとの記念写真  2019114日のニューイヤーコンサートで 


ウイーン・クアサロン


1857年皇帝フランツヨーゼフ1世はすべての要塞を取り壊すように命じて、代わりに都市の拡張としてリング大通りを建設するように命じました。1862年には65,000平米の市立公園が開園します。
1868年、ヨハン・シュトラウスによる最初のコンサートが開催されました。

市民公園には立派なシュトラウスの銅像もあります。

wikiより



さて、2007年、私はLeipzigに単身出かけていきました。
オーストリア航空でウイーン国際空港に降り立ち、そこからプロペラ機に乗り換えて、
ライプツィヒ空港に行きました。
せっかくなので、帰りはウイーンに2泊して、初めてのウイーンを楽しみました。

インターコンチネンタルホテルに泊まって、まず、最初にしたことが、
コンサートのチケットを取ることでした。

一度行ってみたいと思っていた学友協会のコンサートは時間が合わなかったのですが、
クアサロンの翌日の夜の部のお食事付きのチケットを取ることができました。

幸いホテルから市民公園は歩いていける距離でした。



カジュアルな服装でもいけるということで、ワンピースを着ていきましたが、
おしゃれなティーンエイジャーもたくさんいて、安心しました。

そうここで、ウドさんの演奏を聴いていたのだと、昨日、初めて、パズルがつながりました。

そのときはよくわかっていなかったことが、今となって意味を持ってくるのですね。

本当に不思議なご縁を感じました。


ガーランドフェアさんにお正月らしいアレンジをお願いしました 


ウイーンはもう普通の生活が戻っているそうです。
いつかまた ウイーンに行くことができるようにと思います。

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#東京オペラシティコンサートホール

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