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豊島公会堂と映画の手書き看板

今は無き「豊島公会堂」についてです。
現在はハレザ池袋が建っている場所ですね。
Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)が豊島公会堂の後継になるんでしょうか?「あうるすぽっと」との違いがわかっていません・・・
後半話が脱線しますがお許しを。

「豊島公会堂」私にとってかなり馴染みがある場所です。
小学校1年生時「学芸会演目」がウケたらしく「豊島区の演劇会」に学校代表?で出演することになりました。
その関係で何度か豊島公会堂の舞台を踏みました。
楽屋や舞台袖がやたら暗かったことを覚えています。

1年生で訳がわかってませんでしたから先生に言われるがまま。
クラスみんなでわちゃわちゃしていました。

何故か3年生くらいでも出演した覚えがあります。
その時だったのか?もう少し高学年か中学になってからか?「照明」のお手伝いで「舞台上手のスポットライト」を担当したこともあります。
入り切りのスイッチがむき出しのレバーで(古い家の電源ブレーカーみたいな)触ると感電するとのことですごく怖かった。
しかもライト焚いてる時はめちゃ熱い。
中学でも何かのイベントで公会堂に入った覚えがあるのですが詳細を思い出せません。

その豊島公会堂への道すがら「池袋らしい?」思い出があります。
別の記事で書こうと思ってたのですがここで書いちゃいます。

西口の小学校から東口の豊島公会堂へは「ウィロード(雑司ヶ谷隧道)」を通って行きました。
当時、ウィロード、北改札通路、中央通路、ビックリガードがルートとして考えられますがウィロードを通るのが最短です。
車も通らないし距離も短く狭いので人混みを避けられ短時間で抜けられます。子供の団体を通すには管理しやすいルートではないでしょうか。
※当時はウィロードなんて言葉無くて「ガード下」みたいに呼んでました。
※少年野球の試合で「豊島区総合体育場」へのルートも同様。

東口に出る現在のPパルコの脇、駐輪場のあたりの坂になっている場所。
現在も「石垣」が残っていますが、そこに上映中の「映画の手書き看板」がびっしり並んでいました。
そこにはなんと「ポルノ映画の看板」も!

小学校1年生の集団がぞろぞろと歩いて行くと目の前に「胸をあらわにした裸の女の人の絵が!」
まぁ考えてみれば小学校1年生。女湯に入れる年齢ですし見慣れています。
たぶんなんの感情も湧かなかったと思います。
(3年生くらいになると恥ずかしい)

後ほど問題になったのか?
ルートが替わって池袋大橋ルートで大回りしたような覚えもあります。
※もしかして少年野球の試合の時だったかも。記憶が曖昧です。

区役所、保健所に行くにもウィロードが最短ですし自転車も楽に通れます。
数は少ないですが親に連れられて幼少の頃ウィロードを使って東口に出ることもありルート変更された時はなんで遠回りするんだろ?と不思議に思っていました。
それに映画の手書き看板は日常的に商店街にも立っていました。
映画看板やポスターと共にポルノ映画も掲示されてたなぁ・・・
※街角に定期的に掲示されている場所がありました。

そんな映画の手書き看板ですが、ほぼ失われた技術となって久しいですね。
ポルノ映画の看板でも100年もすると浮世絵のように文化財になったりして!もう残ってないか・・・

余談ですが豊島公会堂には「8時だョ!全員集合」がたまに来ていたようです。
成人式も豊島公会堂でした。それが立ち入った最後だったでしょうか。

渋谷公会堂、文京公会堂・・・
名称が色々変更されてますけど「〇〇公会堂」がわかりやすくて良いと思うんですけどね。

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