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1970年代池袋に住まう子供達の行動範囲

今回は子供の頃の行動範囲について思い出して書きたいと思います。

行動範囲が広くなるのは小学校高学年くらいでしょうか。
中学生ともなると他県に及びますね。
これはチャリンコに乗って遠出が出来る体力と地理的な知識が付くからだと思います。もちろんチャリンコだけではなく、電車利用の場合もあります。

チャリンコの範囲は小学校高学年くらいから池袋西口を中心として・・・

・北は大山、板橋大谷口、板橋本町
板橋交通公園、大山・模型のグリーンマックスなど。

・南は目白、高田馬場
学習院の池、おとめ山。
ザリガニ釣り。

・東は護国寺
外車ディーラーへ(目的は後述)

・西は東長崎~江古田
豊島区の西の果てへ冒険。
当時は池袋からのバス通りは要町三丁目交差点の先が開通しておらずどん突きでした。

チャリ乗って遠征するキッカケは「スーパーカーブーム」だったかも知れません。
「あそこにフェラーリが展示されてる!」「あそこにランボルギーニが!」などの噂が入ればチャリを飛ばして見に行きました。
特に板橋本町や護国寺辺り、ヤナセ等の外車ディーラーが近くて見どころだったと思います。
トキワ荘近くで「ランボルギーニミウラ」を所有されているお家がありました。オレンジ色だったかな?今思うとどういう情報網だったのだろう?
(今度思い出して記事にしてみます)

中学生になると北は戸田橋、浮間公園くらいまで伸びます。チャリだと楽勝ですね。高田馬場へピザを食べに、豊島園へ映画チラシを買いに・・・

後楽園や神宮に野球を観に、浅草や新宿の酉の市の縁日に行く場合は電車でしたね。
西武池袋線に乗って飯能名栗川や高麗川へ。
小学校遠足の定番でしたから土地勘があり行き慣れてましたのでD-BOX上州屋で固形燃料やキャンプ道具を買って河原で遊んだものです。

今の子供達より行動範囲広くておおらかだったかも知れませんね。
親の気持ちになるとちょっと心配になります(笑)


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