コミュニケーションが変動しそうだなぁって話

日々コロナのニュースが爆速で垂れ流しになって、最近ようやく適度な量の情報を吸うやり方を覚えてきた。政治、政策、お金、薬、情勢、その他もろもろ。

まあ人によってはこの頭のおかしいくらいの情報に溺れちゃったりしてるんだろうなと思う。TwitterをiPhoneから消してPCからしか見ない、又はその逆はけっこうおすすめ。
ニュースは全部ハイライトを1日一回みるなどね。

緊急事態宣言という名の今まで体験したことのない経営状態というか働くをしている。
経営としてはなかなかしんどいんだけど、まあそれは置いといて。
リモートワーク、zoom打ち合わせとかのオンライン打ち合わせがほとんどになった今、大きく言えばコミュニケーションなんだけど、それのものすごい極端な最適化が行われているなと思う。

どう考えても打ち合わせの数が増えた。
増えたと言うか増やせるようになった。
まあ全部オンラインだから移動時間がないのもあるんだけど、それにしても打ち合わせの可能な数が増えたと思う。
それだけで見たらもしかしたらものすごい今までは無駄なことをしていたのかもしれない。(ちなみに僕はそもそも実際会って話したい派)

まあ総じて持論なのだけど
恐らく実際会って話すこととオンライン上で話すことでは「何かしら」の差異がある。それは全く同じ内容を話していたとしても。

あんまり言い方は良くないのだけどコロナ情勢のおかげで僕はその「何かしら」を異常に信仰していたんだなということに気付いた。

多分過去のようにあんなに人と会って打ち合わせやコミュニケーションを取る必要はない。実際会わなくてもコミュニケーションは取れるし話は進む。

じゃあその「何かしら」ってなんだろうなと思うとコミュニケーション解像度みたいなもんなのかなとおもったりしてる。

実際会うと解像度は高く、オンラインはそれよりは解像度が低い。

その解像度は、顔色、声量、声色、喋る間、音質、匂い、目線など普段無意識レベルで認識してる人間っぽさのようなもの。

んで、僕は今までこれを常に意味もなく高い解像度のみで仕事やらコミュニケーションをとっていたわけだ。まあある意味無駄なことをしてたなと。必要な時と必要じゃない時があってそれを的確に判断していく必要がある。

このコロナの流れで日本中、というか世界中がこのコミュニケーションを強要される。
もちろんいろんな事がめっちゃ大変だし、受け止めないといけないこともたくさんあるんだが。

ある意味コミュニケーションが壮大に変化を迎えるんだなと思った。凄い不謹慎な言い方かもしれないけども、
変わっていく世界、変わっていくコミュニケーション、これに合わせていく感じはすごくやりがいあるし、頑張れるなぁと。

そんなことを考えた深夜。

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