松山という男を搾取してはいけない
これから書く文章は「渋家のとしくに」と「松山」って言って意味が分からない人は意味が分からないと思うので読んでも「???」なのでご了承ください。
先日松山という男が企画したイベントに参加してきた。どんなイベントだったかは知ってる人のTwitterのタイムラインをみればきっとわかるのでそのへんをみてください。大変たのしいイベントでした。ある種こんなに気を張らずにイベントに参加したのは10年ぶりとかだったかもしれない。松山はこのイベントを爆裂自腹を切ってやってくれたわけだ。感謝しかない。そしてお疲れ。
人には気が抜ける、気を遣わなくていい場所、コミュニティが必要だ。人にはどんな形であれ自分の言いたいこと、やりたいことを出せる場が必要だ。それがだれかのためにならなくてもお金にならなくても必要だ。でないと人は病むしメンタルがお逝きになられてしまうからだ。近年そんな場を、コミュニティをやっている松山は本当に素晴らしいし凄い。松山の愛、モチベ、彼を超近距離で支える人、それがあってこそそこは成り立っている。
僕も渋家というオルタナティブスペースなのか、シェアハウスなのか、若者の逃げ場所なのかわからんけどそういうものを10年くらいやっていたので凄いわかる、こんなもんは一ミリのお金にもならんし、わかりやすい価値や評価にならない。でもある種の生き方しかできない人間に超絶必要なのだ。そしてそこにあるのは利用者による衝撃の搾取である。この搾取は利用者、参加者によるものだが何が「衝撃」って利用者および参加者は搾取を自覚していないのだ。「好きでやっていそう」「そういう人だからw(それなりの感謝も含む)」こういうのですべて片付けられてしまう。
もちろん松山は「好きでやっているそういう人」なのだが、それと同じくらいの愛情やら情でやっている。何になるかはわからないけどこれが必要だと思ってやっている。そしてそこにはそれを必要としている人間がいる。
僕らは松山を搾取してはならない。なぜなら搾取をすればいつの日かそれはなくなり彼はやめてしまうからだ。疲弊し鬱になり何も面白いことできなくなってしまうからだ。
利用者、参加者に一緒に企画をやれといっても無理なことは知っている。少しだけ手伝うくらいならできるかもしれないがそれが続かないことも知っている。僕もそういう経験をしてきたし、なにより今の僕が一緒にやりきることができないからだ。立場や仕事、きっと人によっては家族もある。
松山を搾取しない方法、それは何か?
凄い極論を言う、金だ。彼にお金をぶん投げることだ。続けていくために。金がすべてじゃないこと、そんなことは百も承知で言う、でも続けていくには金がいる。彼が続けていくためには金以外にも必要なものはたくさんあるが、何よりいつの日か必要になるものは金だ。楽しい遊びを続けるための金だ。
松山はあの場において誰よりも優しく、誰よりもよくしゃべり、誰よりも愛が強く、誰よりもチキンで、誰よりも承認欲求が強くて、誰よりもさみしがり屋で、誰よりも資本主義と適合できなく、そして誰よりも弱いし強い。そんなあいつをもっとみんなわかりやすい形で愛すべきだ。
そんなわけで、松山、お疲れ様でした。とりあえず月末にお金振り込むのでこれからも続けてくれ。僕は資本主義ともっと遊んでくる。んで今より楽してもっと遊べるように頑張る。だからまだしばらく遊んでいてくれ。
僕らは松山を搾取してはならない。