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センス・オブ・ワンダー

言葉にできないものを、誰かがうまくつかまえて、言葉にあらわしてくれた時、
「それ!その通り、それが言いたかったの!それなの!」と心の中で大絶叫する。

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」という本の題名に出会った時も、私は大絶叫した。

子供の時から感じていた、この内なる躍動するスリリングなものを、ぴったり表わす言葉を、まだ見つけてなかったのだ。

英語だけれど、カタカナのその文字は、何語であるかに関係なく、
私の言葉となった。 センス・オブ・ワンダー。

この感覚、これは持って生まれてくるものなのだろうか?
私がそうだったように、子供ならみんな感じているのだろうか?

どんな感じ?と聞かれたら、うまく表現できないので、レイチェル・カーソンの本をそっと差し出すだろう。
けれど、私が言葉を綴るのは、この感じに突き動かされてのこと。
センス・オブ・ワンダー

生の息吹が内からほとばしり出て、好奇心という服を着て何かに向かっていくような。
感じるということ、限りなく。
五感と第六感をフル稼働。
私が、私の外へどこまでも広がっていく。

雨粒の中へ
新芽の中へ
ありの足の動きの中へ
流れる雲の中へ
波のしぶきと海の轟の中へ
あぶの羽音と花の香の中へ
木漏れ日と黒土の湿り気の中へ
旅人の横顔の中へ
街のざわめきの中へ

どこへでも、何にでも、興味と純粋な好奇心を広げていけたなら、
ここに存在している神秘に触れる驚きに、
心はずっと柔らかいだろう。
世界は、何度でも、新しいだろう。

センス・オブ・ワンダー

他の何がなくなっても、この世界に残したいもの。


レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」(上道恵子訳・新潮社)
*複数の訳本があります。

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