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都内から故郷鹿児島へ。Uターン準備からリアル生活になって8か月の報告


帰郷のきっかけ

家族にとって引っ越しは一大イベントです。
東京鹿児島間は約1,500キロの距離。
それに、
「実家へ」とはいえ10年以上空き家状態。
Uターンを決意したきっかけ
4,5年前から私ども夫婦の会話に
自然、田舎、野山、土いじりなどのキーワードが頻繁交わされるようになってきたのです。
そろそろ田舎に帰るか。と言っても長い間お付き合いしてるお客さん達と別れるのは寂しい。忍びない。名残惜しい。

Uターンを決意したのは、次女の事で。
次女の環境を整えてあげようというのが大きな決断となりました。
というのは
次女は知的障害者なのです。
まず言葉が数えるほどしか出ないのです。
例えば
パパ、ママ、ちえちゃん(長女の名前)三女には赤ちゃんの泣き声の「うぇ~ん」と呼びます。ねんね(寝ること)バカァ~など。
他は自分流の手話で表現します。
これだけでは十分なコミュニケーションが取れないもどかしさがあって。
だから情緒は不安定になったりする。
娘も都会生活はすでに35年。
山河に囲まれた田舎での新たな生活を体験していくことで気持ちも安定してくるのではないか。新たな感受性も見いだせるのでないか。

それでUターンを決意。

実家の改装

僕の仕事も40周年で区切りが良い。
そうと決まったら引っ越しの準備です。
古い家屋の解体、整地、改装など
地元の知り合いや業者さんとの打ち合わせをしつつ
2022年1月準備開始。

庭は草だらけです。
解体・整地作業。

10年以上空き家状態。家屋の一つは傾き、草は生い茂る。
最初、ほんとに住める?生活できるの? 不安もよぎる。
費用も記しておきます。解体、撤去は家屋の大きさにもよりますが130万円から150万円が相場のようです。

解体、撤去、整地されました。

一棟の家屋、車庫、ブロック小屋の解体 撤去。それに整地。知り合いに依頼して費用は約90万円。

築50年。これから住む我が家になります。

写真は今から住む家です。外壁はまずまずですが築50年。
でも中はボロボロ。ほぼ全部改装です。
補修作業終了は4月末を予定。
一方、半年先にはUターンしようとしている我が家族。
次女の前では「引っ越し」は禁句なのです。
言ったら最後、今行こうとするのです。
半年先という先の事、時間の理解がとても苦手。
そう、過去の事も未来のことも関係ない。今なのです。
「今ここ」にフォーカスするのは大切なことですが、時間の感覚が認識できないと、今出来ることと、出来ないことがごっちゃになる。こういう時娘の場合は感情が激しく揺れ動くのです。だけど鬱にはならない。

東京生活に別れ

僕の仕事の方はというと
今まで施術したお客さんは少なくとも10万人は下らない。
施術で来院されるのはお客さんの紹介ががほとんど。
兄弟のような、親戚のようなお付き合いをさせていただいてきた。
だから、40年間施術してきて「5月いっぱいで店を閉じる」とのお知らせは正直辛かった。
予定通り4月で改装は完成。
大まかな内訳は、屋上の防水塗装、全面床の張替え、電気の配線、トイレの改造、システムキッチン、風呂場の設置など占めて約700万円。
5月31日火曜日。三体堂均整院での最終の施術を終える。
ホッとするやら、名残惜しいやら40年間の思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんできた。40年もの間お客さんと一緒に歩いてきたからこそ今の自分はある。ほんとそう実感した瞬間です。
東京生活に別れを告げる

引っ越しへの準備作業

住まいと店舗の二か所ありますからそれぞれ空っぽの状態で引き渡さないといけません。粗大ゴミはあらかじめ処分品を選別しておき、少なくとも1ヶ月前に申し込んでおいた方が無難。キャッチフレーズの「だれかのいらないが誰かの役に立つ」のジモティーを利用してフィットネスバイク、オーディオを処分。
さて、肝心の引っ越しをどこの業者にお願いするか?東京から鹿児島間約1,500キロの距離。安心して任せられ、かつリーズナブルな値段の業者はどこか。数社見積を依頼したところ70万円台から45万円など値段はまちまち。そして最後に見積を依頼した引っ越しのSという業者。対応も丁寧でしかも30万円。ここに決めました。長距離の引っ越しの場合は4社は見積もりを取った方が良いのではないでしょうか。
あとは現地で待ち合わせ。

帰郷

6月15日。車でいざ鹿児島へ。家族3人、飼っていたうさぎ、フェレットも同行。東京ともお別れです。道のり1,500キロ。初めての長距離運転。2時間おきに休憩を入れ23時間かけて我が家に到着。つ・か・れ・た。

引っ越し屋さん到着:積み荷の降ろし作業


東京から乗ってきた車&改装した我が家

まずやるべきことはPCR検査。家族全員陰性。
コロナ禍です。東京から車で来たの?と分かったら会ってくれません。まあそんなことはないでしょうが。とはいえお互いに要らぬ神経を使います。
実際感染してるかどうかは確認していた方が良い。
結果は家族全員陰性。ホッとしました。

そして市役所で転入、娘の通所施設の申し込みなど各種の手続き。
少々驚いたことは健康保険料は全国一律と思っていましたが自治体によって違うということ。鹿児島県は東京より保険料が高い。病院に行く人が多いので医療費が多く使われる。そのために保険料を負担する比率が高い?かは分かりませんが。
住まいの地域は鹿児島県の北部にあり宮崎県との県境にある霧島山系の山あいにあります。
27戸の人たちが暮らしている村です。家屋は点在していて「お~い!」と大声出しても隣の家には聞こえません。

本格的にスタート

娘の通所施設も決まりました。
施設の利用者さんは遠方の人たちが多いのです。うちの場合、施設まは車で約1時間。なので送り迎えは途中でスタッフの方と待ち合わせることに。

さて、私ども夫婦は荷物の整理をしつつ、家周りの作業です。
というのは草だらけ、薮だらけ、ササだらけなのです。農具は無かったので必要に応じて草取り鎌、鍬、フォーク、ナタ、一輪車、電動のこぎりなどを一つ一つ購入。
中でもとても威力を発揮してくれたのが草刈り機。負担のこない適度な重さ、素早く刈れる。10人力です。
夏場なのでとにかく暑い。汗が滝のように流れる。スズメバチ、諸々の虫、ヘビも時々出て来る。草にかぶれ、虫に刺される。カミさん「いやだ~ ああコワい 気持ちわるい~」と言いながらも朝になれば「さ~一丁やりまっしょ♪」と鎌を片手に草を刈ってる。
肉体労働だけど毎日が新鮮なのです。晩酌のビールの美味いったらありゃしない。疲れて汗かいた後のビールは甘く感じます。

10人力の草刈り機:バイクのヘルメットでヘッドカバーして作業してます。


草刈り機で毎日1時間 三週間かけて刈った梅林

こうして住んでる背景を思うと、ご先祖がこの地を住めるようにしたのは明治の初め頃と思われます。当時重機があるわけでもなく草を払い、木を伐採して農耕馬で土を耕し、石を積んで棚田にして生活できるようにした。それを今私が引き継いでいる。それを思うと 感慨深いものがありますね。

施術室と手作りの看板

屋号は東京時代の三体堂から東福堂へ。

私が学んだ整体の健康原理は人体の平衡性(骨格のズレ)可動性(骨格の可動域)強弱性(筋肉の柔軟さ)の3つを観察し 施術方針を決め そして施術し健康へと導く。簡単に言うとね。この3つは切り離せない関係。三位一体なのです。実は生まれ育った所が「三体堂」という地名。
地元には三体堂という屋号の治療院があるので苗字のまんまの「東福堂」にした。
少しずつ余裕が出て来ると、畑を耕そうか。菜園を作ってみようと。

家庭菜園
菜園でカブの収穫

初めての栽培です。カブ、ネギ、モロヘイヤ、白菜など「そこそこに育ってくれた」来年は耕作面積を広げようと計画。

放し飼い

東京から一緒に連れてきたうさぎとフェレットは元気に遊んでます。
ウサギのポンちゃんは放し飼いにしてるのですが

放し飼いのウサギのポンちゃん

のびのび ぴょんぴょん跳ね回ってますが、身を守るすべを分かっているのでしょうか、敷地から外には出ようとしない。

フェレットのムーンは巣箱から出たり入ったり。のんびり のんびり。

8月二人の娘が夏休みを利用して合流

外国に住んでいてIT企業に勤めている長女、東京在住で量り売りの仕事とエッセイストの末の娘。1ヶ月の休暇を取っての帰郷。久しぶりに一家5人が勢ぞろい。娘たちにとって山に囲まれた住まいに興味津々。

一緒にに栗拾い
娘たちと近くの販売所に栗を出品

2人はタオルを首に巻いて汗を拭き拭き草取り。時々「きゃっ虫!」と言いながら。母親とワイワイ言いながら料理作り。
ドライブしたり。バーベキューしたり。とにかく娘たちの「今を楽しむ」エネルーはスゴイ。良い刺激になりました。と同時に2人に合えた次女の喜ぶ姿が嬉しい。

近所の農家さんの畑で大根の種植え体験:1ヶ月半で立派な大根が!
父ちゃんは長女のまねっこをして外でパソコン作業

けもの道

帰郷して驚いた一つにイノシシ、シカの出没。イノシシは単独の場合が多いですがシカは群れで行動。田畑はもちろん庭にまでやってきます。村の人に聞いたところ、平成に入ってから出没するようになったらしい。

庭にまで来たイノシシの足あと:けもの道

シカは毎晩来てる。LEDの懐中電灯を当てると眼が青白く光るのです。「お~い」と言うと「キューン」と応答してくれたりする。哀愁を帯びた可愛い鳴き声なのです。こうしてシカが来てくれるのを楽しんでいますが専業農家の人にとってはたまりません。作物を食われてしまいますのでね。死活問題なのです。

一日の作業を終え、夕日を眺めるのも楽しみの一つ。

自然の脅威

9月台風14号鹿児島に上陸。

根こそぎ倒れた栗の木・折れた庭の木

川は増水してゴウゴウと音を立てる。周りの木々は折れるのではないかというぐらい大きく揺れのを目の当たりにすると、怖い。実際庭の木が折れました。栗の木も根こそぎ倒れました。山に囲まれた田舎の生活は生半可な気持ちでではだめですね。思い知らされました。

初めてチェーンソーを使う。倒れた栗の木を切断。

次女の乱心

帰郷してから落ち着いて施設へ通っていた次女。10月に入り時々情緒が安定しないときが出てきました。
というのは他害が時々。そう通所者さんや施設のスタッフさんへ手が出るのです。こういう行動の時考えられるのは気候の影響で不愉快になったりイライラする。自身の体調そのものがおかしくなりはけ口を求めて手が出る。
相手の感情に触発されて起こることもある。スタッフさんたちは良く対応してくれています。だけど感情は誰にでもある。責められないです。
今まで僕自身もバシッとやられたことが何回もあります。バシッとやられた時の僕の感情は怒り、イライラ、無視した時、また下手に出るとやられることもあります。にバシッとやられます。素早いのです。剣道の有段者よりも手の動きは早いかも。とにかく瞬時の動き。

もう一つの施設

東京時代の施設は軽作業のお手伝いがありました。
例えば、空き缶をつぶしたり、ペットボトルのシールはがし、ビーズ通し、紙漉きなど。嫌がりもせず集中してお手伝いしてました。今の施設はこういうお手伝いはないのです。
なので軽い作業やお手伝いをやらせてくれる施設にも通うことにしたらぐ~んと落ち着いてきて一安心。
次女なりに何か役に立ちたい。そういう気持ちがあるのだと思います。

吊るし柿

11月に入り 我が家は鹿児島でも奥の方でだんだん日の暮れるのも早くなると朝晩冷え込んできます。ふと日当たりの良い斜面に目をやるとオレンジ色の可愛い野イチゴを発見。つる性の植物。果実は1センチにも満たない大きさ。おいしい。甘酸っぱい味です。

野イチゴ
果肉は甘酸っぱい

霧島の11月。日の長さがぐ~んと短くなり朝晩はかなり冷え込んできました。近所の人のお家にたんまり成ってる渋柿を貰って吊るし柿に挑戦。
柿を紐に通して、屋根や木の枝に吊るすことで乾燥させます。これによって柿はより美味しくなる上、保存もきく。
しかし、吊るし柿作りは意外と手間がかかるのです。
まずは皮をむいて、穴を開けて、紐を通す。そして屋根に吊るす作業に入ります。

吊るし柿:約10日ほどで美味しくいただけました。

雪が降る

12月に入り寒い日が続いて続いて朝起きると外の景色が一変。雪なのです。雪が積もってる。困った!!

雪化粧にビックリ仰天

この雪で車は運転出来るのか・・娘の送り迎えが・・・。凍結が怖い。なぜ周辺の道路に凍結防止剤が置いてあるかやっと分かりました。
休ませようと思ったけど、娘は行きたいのジェスチャー。
然らば、恐る恐る出かけました。慎重に車を運転。
ところが、何なんだ!!ものの15分も下ったら雪がほとんどない!
標高差約100メートルでこうも違うとは。これも一つ一つ勉強です。

開けて正月

帰郷してちょうど半年。初めての正月です。

正月:日の丸を掲げるのが夢だった。

家族3人正月を無事に迎えられたのはありがたい。
さあ、これから気持ちを新たに!

原木130本

知り合いがシイタケ栽培の原木をダンプカーで持ってきてくれまして。その数なんと130本!ビックリするやらあきれるやら。いやいやありがたいことです。それにしても全く経験が者にとっては多すぎない?

130本。クヌギの原木
シイタケ菌と駒打ち用ドリル

ともあれ、コツコツと駒打ちです。駒を打ち込むときゴーン、キーン、カーンなど原木の響く音がみんな違うのです。とても心地よい響き。
シイタケは来年の10月頃収穫できるらしい。
気を付けるべきはシカです。シカはシイタケを食べるのです。

本格的にスタート

3月に入った途端、ウグイスが鳴き始めたと思ったらヨモギ、フキ、スイカ

自生しているフキ


ンポ、山桜花が咲き始める頃、村の総会がありました。慣れないながらも班長さんのお役を頂いて村の一員として仲間入り。お陰様で娘も村の人たちに可愛がられ、施設の方での活動も落ち着いてきました。村の人たちの力添えを頂きながら我が家の本格的なスタートとなりました。

帰郷して8か月の報告を終わります。

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