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私と模型と始まりと

我々モデラーはなぜ作るのだろうか
模型というのは「型を模した物」すなわち機能を持たない偽物である。
寸法や仕組みを知るための建築模型や人体模型と違い、趣味で作るキャラクターモデルやスケールモデルそれ自体は現代においてはなんら社会的意義を持たないだろう。ただ、そんなことはどうでもいい。
我々が模型を、プラモデルを作るのは「好きだから」だ。
たとえそれが何の役にも立たなかったとしても、その手で組み立て、触れて、動かし、愛でることのできる模型が好きで仕方がないのである。
だからこそ、我々は作るのだろう。
そんな模型と私の11年間の物語をここに綴る。


私が模型と出会ったのは小学校4年生とかその辺りのことだ。
親の転勤で生まれ故郷の京都に来てしばらくした頃、新築のマイホームに移り住んだ。人生で4つ目の我が家、そのすぐ近くに1軒の模型店があった。
その店は父が子供の頃からある老舗で、私は父に連れられその模型店を訪ねた。店先にあるショーケースには完成品の模型が無数に並び、店内には様々なジャンルの模型が天井まで高々と積まれていた。それはまるで一つの世界であり、私の心に強い衝撃を与えた。「作りたい」という衝動が生まれるのに時間は掛からなかった。

最初に作ったものは童友社の翼コレクションというシリーズだった
銀色の日本軍機だったことは覚えているが、残念ながら型式までは覚えていない。模型店の店主が勧めてくれた一品だった。それとタミヤのニッパーに接着剤。今思えば小学生に勧める品としてはいささか渋いのだが、おじいさん店主だったので致し方ない。

作ったのは買ったその日の夕食を終えてからだったと記憶している。
翼コレクションは小さな箱に2、3枚のランナーに塗られたパーツと展示用台座、説明書が入っていた。私は夢中で組み立てた。初めてのプラモデルは失敗だらけだった。彩色済みゆえに、はみ出した接着剤は手に付き塗面を汚した。それでも形は成った。喜びと悔しさが入り混じったような複雑な感情だった。

机の向かいでは、父がHGシャア専用ズゴックを作っていた。組み上がったズゴックを見て、自分の興味はそちらへと揺らいだ。ガンダムは見たことがなかった。ズゴックも知らなかった。父に教わったジムを貫くポージングを取らせれば、3分で間接は緩くなり腕は2秒で垂れ下がった。なんだか虚しいような気分…にはならなかった。
関節がヘタったズゴックより、私の組んだ飛行機の方が ”遊べた” からだ。

他では何一つ勝てない父に、模型作りでは勝ったような気がしたのかもしれない。自分の作ったものは、良いものなのかもしれない。ただの稼働モデルと固定モデルの差だった。だが、その思い上がりは学校の図画工作では味わえなかった程の完成の喜びを抱かせ、私を再び模型店へ赴かせたのは言うまでもない。

第一章 第一節 出会い 
次回は第二幕「ランボルギーニに憧れて」をお送りします。


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