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20年前介護職を選んだ理由
1.そんな仕事よくするねぇ
20年前、その仕事が「介護」という名の仕事だとは知らなかった。今よりもっともっと知名度は低くく、今よりも「そんな仕事、よくするねぇ!」と言われていたように思う。私が初めて介護の仕事を間近で見たのは祖母が入院した病院だった。始めは世間で言われているように、「いわゆる3Kって言われることを進んでする仕事でしょ。そんな仕事よくするなぁ〜。大変だわ」と思っていた。
2.えっ?!すごいかも?
私が当時まだ幼い長女の手を引き祖母のお見舞いに行くと毎回、「帰れ!来るな!」と怒鳴る同室のおばあちゃんがいた。もう本当に嫌で嫌で、見つからないようにそっと静かに入り、そのおばあちゃんのことを奇異な目で見ていたように思う。
今思うと、「認知症状があるのかな。まず、1番にその方に挨拶してから部屋に入るようにして、帰るときも挨拶して帰ろう」と思えるのですが、当時は「何でそんなこと言うんだろう。嫌だなぁ、怖いな」と思い、目を合わさないようにしていた。
そんな私に声をかけてくださったのが年配の介護職の方。「ごめんね。気にしないで。なかなかご家族が来れない方で、この部屋に来る人みんなに、あの調子だから」と言われ、「そんな大きな声で言ったら皆んなびっくりされるよ〜」と言いながら傍に寄る姿を見て、「すごい。なんか気持ちが軽くなった」と思ったのが始まり。えっ介護って、すごいかも!
3.そんなことまで?!
ほぼ毎日、祖母の所に行っていたある日、シーツ交換をしている介護職の人に「そんなにきれいにシーツをかけるなんてすごいですね」と声をかけると「キレイにシーツを張らないと、床ずれができるからね」と返答がある。小さなことだけど、それはそれは衝撃だった。3Kができればいいんじゃなかったんだ!そんなことまで考えてるんだ!
4.それから3年
気になっていた「介護」は忙しい子育てと、母の「そんな仕事やめとかれ〜(すごい偏見)」の言葉に押され、遠くなっていた。
そんなある日、ママさんバレーの仲間の息子さんが事故に遭う。長女と同級生で小学生になったばかりの母の日。私は偶然にもその現場を車で通りがかった。その息子さんとはその時は分かってはいなかったが、救急車を待つ道路に横たわるその小さな体に心臓が強く脈打った。邪魔になってはいけないと思い、その場に留まらず帰宅したが、動悸は治らなかった。
小さな体は懸命に闘い、ありったけの力で生き抜き旅立った。
5.決意
気になっていた介護を迷いながらも決めかねていた私はそれから、「生かされている意味」を考えるようになった。私が残された意味は考えても考えても出てこなかった。
出てこないなら、作らないと。
「ぼーっと生きてるんだったら、僕と代わってよ」と言われないように、生かされてるなら、少しでも自分以外の人の役に立てるように生きないと。やってみようかなと思っているなら飛び込んでみなきゃ。
6.あれから20年
私はまだ、介護の仕事を続けている。
だれかの役に立つ人間になれたかというと、まだまだ。しんどいなと思うこともよくある。
私が生かされている答えもまだ出ていない。それでも、「まぁ、頑張ってるんじゃない」と許してもらえるんじゃないかとも思う。
20年の間、渡されたバトンも増えて、次の世代にこのバトンを上手く渡せるように、もう少し足掻こうと思う。
あの時の気持ちを持ち続けて進もうと思う。「そんな仕事よくするねぇ」の声も光栄に思いながら、たくさんの出逢いに感謝して進もう。
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