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vol.3 出来の悪い娘の在宅介護 【ALS(筋萎縮性側索硬化症)】

家に帰ろう、お母さん

大学病院での2週間の検査入院を経て、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)の球麻痺が中心に始まるタイプ」と診断されて帰宅。

「こんなに大変だったの?!」と予想以上に大変だったのが食事でした。母は見た目ではわかりにくいですが、手に力が入りにくく、体も疲れやすくなっていました。

飲み込みが悪くなり、舌の動きも悪くなってきた母が一番困ったこと、それは食事でした。簡単な調理はできたものの、母に食事を届けるのは、車で3分のところに住んでいる私と弟のお嫁ちゃんの役割となりました。

強い味方の弟のお嫁ちゃんとハンドミキサー

お嫁ちゃん、いや〜本当に強い味方です。隣に住んでいるとはいえ、本当に優しくて、良くしてくれます。お粥を作ったり、刻んだり、ミキサーにかけたり・・・

そして、強い味方と言えば、ハンドミキサー!

本当に助かりました!まあ〜3度の食事を食べられるようにするために、トントン、ウイ〜ンとありとあらゆるものを加工する必要があるので、悩まず買うことをお勧めします。

これまで私が職場(特別養護老人ホーム)で「同じような食感で美味しくないだろうな〜。見た目もなあ〜。毎日食べるのはつらいだろうな」と見ていた、細かく刻んだ食事やらミキサー食、やわらか食が、もうキラッキラッ!に輝いて見えました。彩りも最高で、スプーンの背で軽く潰せる野菜たち、

「あ〜〜このご飯、ノドから手が出るほどほしいわぁー」と何度も思いました。

当事者になってみないと、気づけないものです。

施設で食事を作ってくれている皆さん、今まであんまり美味しくなさそうだなんて思ってて、本当ごめんなさい!

仕事が遅くなると、待っている母の顔が浮かび、「ああ〜早く届けないと!お母さん、待ってるだろうな」と焦る気持ちを抑えつつ、車を運転して帰りました。そんなときは、ほとんど弟のお嫁ちゃんが作ってくれていて「お母さんのとこに、◯◯持って行っといたよ〜」と日々変わらない笑顔で言ってくれました。もう、本当に感謝しかありません。

抱えきれないことを、そっと助けてくれる人がいるって、こんなにも心がホッとするんだと知りました。


どうする?胃ろう?


口から充分な栄養が摂れなくなったときの選択肢の一つとして胃ろうがある。
胃ろうとは、胃に小さな穴を開けて、直接栄養を送り込む手術や、その装置のこと。
母が後悔しないように、弟やアメリカに住む姉も含め話し合いました。

この頃、動きにくくなったときのことも想定し(大学病院は家から1時間弱)、主治医は大学病院の先生から訪問診療の先生へ、バトンタッチしました。ALSの患者さんを多数診てこられたベテランの女性医師です。

初めて訪ねた日に困っていること、これから先、何を選択すれば良いの悩んでいることなど、1時間近く話を聞いてくださいました。呼吸器はつけないと強く希望する母と、母の選択を尊重したいけど、苦しくなったらどうするのか、それでいいのか考えに考えて、

「呼吸器はつけない。胃ろうはしよう」

に決めました。この後もこの意向を何度も確認する場面が出てきましたが、母の気持ちは最後まで変わりませんでした。


あんた、その前に、一緒に釧路に行かん?!

日々忙しく仕事をしてきた私は、大人になって母と旅行に行った記憶がありません。母はいつも元気いっぱいで、旅行が大好きな人でしたから、私がいなくても、日本国内ではおさまらず、アメリカ、フランス、カナダなど、長時間の飛行機を苦に思うこともなく、自由に旅を楽しんでいました。そんな母が、胃ろう増設の手術の前、

「あんた、一緒に釧路に行かん?お父さんのことが落ち着いたら行きたかったんよ。仕事、休める?」と遠慮ぎみに聞いてきました。親と旅行に行くという理由で、仕事を休むなんてこれまで考えたことがなく、

「えっ!行けるかな?!」・・・

でも、もしかしてこれが最後になるかもしれないと頭をよぎりました。

「行こう!よしっ!弟も誘おう!」と思い切って決めました。だって、私の長女がいる釧路、ずっと行きたいって言ってたもんね。初孫で小さい頃からずっと可愛がってくれた長女がいる釧路にずっと行きたがっていたんです。今、行くしかないわ。一緒に北海道何て最高じゃない!

弟が帰ってきたら、言おう。「一緒に釧路に行こう!」

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