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vol.6 出来の悪い娘の在宅介護 【ALS(筋萎縮性側索硬化症)】

胃ろう増設手術へ

2016年10月の終わりに胃ろう増設の手術のために入院。訪問診療の主治医から、胃ろうをするのであれば、ある程度の嚥下機能と肺活量が維持できているうちに作っておく方がいいでしょうとの助言をいただき紹介してくださった病院に入院する。

上肢の動きにくさがあり、飲み込む力も低下してきてはいましたが、まだ刻んだ食事やミキサーにかけた食事を食べられる時期ではありました。でも、体力があるうちがいいよねということで、母も納得して入院。

死ぬほど苦しかった内視鏡検査

比較的、難しくはないと思っていた胃ろう増設手術でしたが、飲み込みが難しくなってきていた母にとっては内視鏡が咽頭や食道を通過して行う、内視鏡検査の段階で心がくじけそうになりました。検査終了後、話しにくくなっていた母は筆談で言いました。

「こんなに苦しいなら、死んだ方がまし」

とかなり眉間にシワを寄せて。

「何でもへっちゃら」と、ずっと強い性格の母だったので、かなり辛かったことがわかり、私までへこみました。

検査の結果は手術適応ということで、「手術のときは麻酔もあるし、頑張ろう」と声をかけて手術の承諾書に弟がサインをする。

胃ろう増設手術へ

弟が手術前から付き添い、私は仕事を終えた手術後に行きました。手術自体は一時間もかからないものですが、やはり手術から戻った母は麻酔がまだ効いてはいるものの、眉間にシワがより、とても辛そうです。

口から食事や水分が摂りにくくなった場合、胃に穴を開ける「胃ろう」と鼻から胃まで管を入れて栄養を注入する「経鼻胃管」があります。

手術は短時間で管理が難しくなく体に負担がないのが「胃ろう」というイメージでしたが、嚥下機能が落ちた人にとって、大変な手術だったんですね。考えてみれば当たり前です。

今まで仕事で胃ろうをされた方の介護もしてきていたのに、本当の辛さや、痛さが私は理解できていなかったんです。支えてこられたご家族さんの決断の辛さや心配する気持ちも私はちゃんと分かっていなかったんです。

あ〜ひと安心!順調です

岡山に住む、孫(私の娘)も応援に駆けつけ、少しずつ母らしさを取り戻していきます。看護学生さんお手製の文字盤を使って、たくさん話し始め、笑顔も戻ってきました。

孫パワーすごい!

少しずつ状態が安定してくると、元々の頑張り屋の性格を発揮し、始めたばかりのLINEの返信もゆっくりではあるけど頑張り始めました。
あ〜よかった〜ひと安心。

安定と不安定を繰り返す

術後の身体のしんどさからは徐々に回復してきたものの、精神的に不安定な日々がやってきました。少しの言葉や出来事で不安定になり、泣くようになりました。それまで母が泣くなんて場面は見たことがありませんでした。

病気になってからも、ずっと涙を見せなかった母が、毎日面会に行っていた弟の前で、つらいと泣くようになったんです。

ALSは前頭葉(知能,人格,理性,言葉を話す,手足を動かす,などを司る脳)の機能が低下することがあると言われています。

でもね、もし私の体がどんどん動かなくなって、それが治らない病気で、しかも意識はしっかり保たれると知ったら・・・医学的にALSは前頭葉に障害が出るんだろうけど、

思い通りに動かない体の自分と、健康な人との感覚や発する言葉に溝を感じてしまいます。
前頭葉もおかしくなるよって思います。人格だって変わりかねません。

ALS=前頭葉の障害があるから

なんて単純に考えたくはないんです。

泣いたり、叫んだりしたくなります。伝わらないときは、諦めてしまうこともあります。

こりゃ、もう限界だなぁ。家に帰ろう

弟から「泣いてばかりだから、あんたが見て連れて帰った方がよかったら連れて帰らん?」と相談され、翌日に会いにいきました。

母の顔を見て「家に帰えろう。大丈夫だから」と言うと「これ(胃ろう)誰がするん。おった方がええじゃろ」と不安顔の母。

「私がするんじゃがぁ。明日からお母さんと住んで、私がするんよ。あたりまえじゃが!」と言うと、もう顔をぐちゃぐちゃにして泣きました。

よしっ!決まり!

同室の方にも迷惑をかけるので、2、3日後の退院予定を少し早めて退院することでお願いしました。病院の方には急な退院の我儘を聞いていただいて感謝しています。

もう本当によくがんばったよ!
さぁ、家に帰ろう、お母さん。
やっぱり家にいた方がお母さんらしいわ。


#ALS #介護  #胃ろう


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