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秋の嬬恋

先週、嬬恋に一泊二日で遊びに行きました。あいにくの雨だったけれど、しっかり降るのは、たいてい車で移動しているときで、景色がきれいだから少し歩こうという時には止んでいて、思い返せばほとんど傘はさしてなかった。
深い霧の中に立つ灰色の山々や、水墨画のような湖や、ふいに悪魔が雲からあらわれて、車ごと魔界に連れてってくれそうな幻想的な空も、雨に濡れて光る植物も、とにかくきれいでした。


毎年泊まるところは決まっていて、時期もだいたい今頃。今年もやはり、わたしたち以外の宿泊客がいなかったので、バーベキューは夜の9時までというルールも無視していいことになり、受付のお兄さんが早々に帰ったあとは、雨の降る森の中に夫とふたりきり。

二階建てのバンガローにはバーベキューができるバルコニーがあって、そのトタン屋根に付いてる四隅のランプが雨を照らすので、キラキラ光る雨雫を見ながらのバーベキューもなかなかよかった。

これだけ自然に癒されたのだし、朝も早く、前日の夜もほとんど寝ていなかったので、ぐっすり眠れるかと思いきや、なぜか頭がガンガンに冴えていた理由がよくわからなかったのですが、それでも自分がどれだけ回復したかは至る場所でひしひしと感じました。体も心も疲れていた数年前は、山を見ても木を見てもたいてい泣いていたから。泣きたい時に泣くことが、あの頃のわたしにとっては回復へ道だったのだと思います。
食べるものを改善し、ぬり薬も飲み薬もすべてやめたことで、体が少しずつ少しずつ元気になっていきました。近所の公園まで歩くだけでも、貧血になりふらついていたので、ヨガとダンスを毎日やって筋肉をつけました。筋肉がついてきたころ、なにかを決断する精神力も戻ってきたので、花屋をやめてToshiewskyを開始して、お客さんに会うことでどんどん元気になっていき、その勢いでデイサービスでケアの仕事を始めました。結果的にだけど「人生に新しいことを取り入れた時点でその人はすで癒されている」のタロット的思考を実践したのです。
でもまだ、完全に回復したわけじゃないことは、夜に眠れなかったことからわかります。でもそれで?という感じなのです。
あの頃は、過去の自分が死んだみたいで嫌だったし、一向によくならない体調も精神的に弱い人みたいで嫌だったのですが、今はすべての価値観がひっくり返っていく快感を静かに味わっています。
仕事で大きな失敗したり、借金をしてしまったり、人に裏切られたり裏切ったり、事故や事件に巻き込まれたり、どんな人にも生きる意欲をなくしてしまうほど辛い経験があると思うのですが、そこでちゃんと傷つくことも、ちゃんと怒ることも、すべてを手放すことも、自分の中に抵抗があるわけで、そこに向き合うだけでも時間がいるし、体が変わるにも時間がかかります。若い頃のわたしが知る必要のなかったこういう類いのことを、今少しずつ学んでいるのだと思うとき、新しいアイデアが浮かびそうな感覚があります。ワクワクしている時の感覚です。その感覚がまたわたしを癒してくれる。循環してるって嬉しいです。

もし今まさに、心と体が繋がっていなくてしんどい人がいたら、もっとありえないほどの時間をかけてと言いたい。あなたが今思っているよりも茫々に、時間という概念を忘れるほどに。回復と欲望を尊重する生き方は両立できるのだと、気づく時が必ずきます。

「あらゆる問題、あらゆる苦しみは、創造する能力を欠くことで硬直してしまった自我に由来する」これは3番の女帝が語った言葉で、ホドロフスキーの「タロットの宇宙」に書いています。
女帝の笏が、彼女の性器によって支えられている意味を考えるとき、恋愛やセックスで生きる喜びや情熱を取り戻すというのもあるけど、より自分に近い解釈があるはずで、例えば一度隠れてしまったわたしの中の男性性が、次の出番がやってくるのを待ちながら影を潜めていると思う時もあるし、もしかすると、フェミニズムを勉強していくうちに、いっかい全ての男がほんとに嫌になってしまった経験が(笑)、今も地味に影響しているのかもしれないと思う時もあります。もしそうであるなら、それは過去を振り返っても仕方のないことだから、ゆっくり回復していく未来を信じることにしました。
戻った東京がめちゃくちゃ涼しくなっていて、今もまだ嬬恋にいるみたいな気分です。