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あとで心に残るもの

いよいよ社名を変更するに至ったジャニーズ2度目の記者会見。(全部は見ていないのに偉そうに書いててごめんなさい) あとに残ったもの。それは声から出ていた、なにかだけです。特に、いのっちの声から受けとったものが濃く残りました。ルールを守らないイタイ記者たちに言った「落ち着いてください」「落ち着きましょう」の声に、わたしの中に生まれつつあった希望がさささっと消えていく感覚がしたし、そういえば彼の慈悲深そうに目を細めるときの顔も、屈託のない優しい先輩みたいな笑顔も知ってる顔でした。大人になるにつれ、出くわしては傷つき、もやもやしても忘れるしかなかったものに似てたなぁ…。
つまり彼にとっての「誠実な大人」があれなのか、と思うときのため息の感情も人生初めてじゃなかったです。
you tubeにコメントを残したこともないし、ツイッターでつぶやくこともしない、あえて何も言わないわたしみたいな人や、権力の前では物を言えない人たち(子供も含む)に対する彼らの本音が知りたい。聞いてみたい。
わたしたち大衆が「僕にも子供がいます」というワードに弱く、決められたルールを守る大人に憧れるような、かんたんにコントロールできる存在だと思っているなら、性犯罪に対する意識も対応も変わらないのかもしれない。そう思ってどよーんとなりました。
彼の子供だって(知らんけど)、パパを信じたいだろうし、経済的に自立できない年齢だとしたら、子供は親と絶対的な依存関係にあることもまだわかってなくて、だからもし、あの記者会見を見て何かを感じたとしても、今はなにも言えないのでは?親の発言や選択した行動に対して、子供が何を言うかは時間が経たないとわからないと思いました。だからこそ「子供も見ています」という彼の言葉はとても重いはずなのに。これ以上子供を利用しないでほしかったです。
もしわたしが記者としてあそこにいたら「しらんがな」とか言いながら椅子とか蹴って、暴言吐いて、SPの人に脇掴まれ、退場させられていたと思います。加害者が現実を受け止めず、自分に起きたことを不公平だと感じているのは不思議とわかる。その時はただの違和感だとしても、後からじわじわくる。後に残すものが強烈なのでほんとに嫌です。

噂かもしれないけれど、ジャニー自身も虐待されて育ったのだと証言している人の動画をyou tubeで見ました。あり得る話だし、暴力が暴力を生む負の連鎖はリーディングをしていても感じます。わたしの家族も、たぶんどんな家にもそのメンバーに代々受け継がれている心の傷があると思ってます。誰かがその人の代で終わらせる決意をする以外にない負の遺産のようなものが。

人間の闇ってどれだけ複雑で深いんだろう。でもその海の底は私の海の底と繋がっているかもしれなくて、だから彼らの声に反応したと思うと嫌だなあ。人間に対する恐怖は怒りになり、ぶつける先のない怒りは空中分解し返ってきます。上からタライが落ちてくる。また期待してしまったナイーブな自分に。自分以外の人はちゃんとしてるはず。今度こそ誠実に対応してくれるはず。そういう期待を抱いては、何度も裏切られて、そしてまた期待してしまっていた自分に。
彼らが選んだ道は楽な道ではないはずだから同情する気持ちもあったのに、「落ち着きましょう」でよくわからなくなりました。いのっちが代読したジュリーさんの手紙にうるっときて信じた瞬間、速攻で裏切られた衝撃が、そうさせたのかもしれません。

「タロットの宇宙」というのホドロフスキーの本の中で、その家に代々続く心の傷の犠牲になる胎児が描かれた「12番の吊られた男」の言葉にこういうのがあります。「私は思考する物であり、思考される者ではない。私は感情とは別である。私は感情を、ただ平和しかない不可侵の領域から観察する。欲望の川から無限に遠ざかっている私は、ただ無関心のみを知る」

わたしの「自分より他人を信じて期待しては落ち込み、年々無気力になっていくパターン」を今ここで終わらせたいのなら、人は残酷になれるという現実を受け入れなくちゃ。大人は子供の幸せを一番に考えるという幻想も捨てなくちゃ。そう思いました。だってもう無気力になるにも飽きたし、有名になることへの憧れもなくなったのだし。「12番の吊られた男」の「世界を放棄することなく、そこから私は身を引いた」の意味を考えるとき、幼少期に親や周りの大人たちから信じこまされた幻想から身を引いて、自分の魂に集中するときの、意識の持ち方がちょっとわかる気がするんです。自分自身に戻ることが目的になったとき、永遠に続いてきた負の連鎖が止まるイメージが掴めそうなときがあります。自分なりの哲学のようなものでしか乗り越えられないことって人生には必ずあるから、哲学やタロットがあってよかったし、芸術があってよかった。本や映画や音楽があってほんとによかった。

あそこのスタッフに漂うピリピリ感は好きじゃないけど、ホックニー展は行くでしょう。創作過程の動画も必見ですよ。そのエネルギーに圧倒されて若干ヘロヘロになりながら彼の作品を見ていると、この世界は広くて、いろんな大人がいる。信用していい大人がいっぱいいる。わたしたちは負の連鎖を終わらせることができるし、それで世界が変わらなくても、その瞬間その瞬間、どこに意識を向けるかだけなんだなって思えました。写真はホックニー自画像うちわです。家でよくやる手巻き寿司専用うちわにしたくて狙っていたので在庫があってよかったです。