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No.13

「わたしは自分を大衆化させるために、
自分自身を惨殺するために、
そしてそのあと、
自分の肩から重要性をおろすために書きます。」

「私はなぜ書くのか」という対談本を開くと
マルグリット・デュラスのセリフにカギカッコがしてある。蛍光ピンクのマジックが不調和。

自分を大衆化させないように言葉を選び、
自分自身を殺さないために書くのが
本物の作家だと思う素人がいざ書こうとすれば
肩に力が入っていく。

毎日が苦しいのは、ただ己のために生きてるからで
いっそ死んだことにしてみようと思う。
Kにそう伝えたのがおとといかな。
それからのKは嬉しそうだ。
今夜も鼻歌を歌いながら、廊下を行ったり来たり、
レコードでIn Dreamsをかけて踊ったり。
Kも一回死んでくれたのだ。
そう思うと、優しい気持ちになる。
風呂上がり、普段は決してつけない化粧水を
顔につけてあげた。
目は閉じているけれど、
象の水浴びみたいな、歓喜の顔。

創造の情熱は変容の連続でないと死ぬ。
今日これから死んで、明日生まれる。
明日の朝、私は何をしたいだろう。
デイサービスの日だと気づいて、
そして行き、その場所でどうしたいだろう。

最近新しく見た映画の記録。
ひどかったのはタイトルのかけらも思い出せない。

シャンタル・アケルマンの
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」
アキ・カウリスマキの
「カラマリ・ユニオン」
「ル・アーヴルの靴みがき」
「白い花びら」
「枯れ葉」
ビリー・アイリッシュのドキュメンタリー
「世界は少しぼやけている」
アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー
「アニエルによるヴァルダ」

日仏学院で買ったパンフレット

風呂上がりにアマプラでノスタルジアを見つけた。
最初の教会のシーン、見たことがある。
エルメスか?と思って調べたけれど、
わからなかった。
どんな内容の映画だったのか思い出せない。

下高井戸シネマで見たCM動画に感動したのでタルコフスキー日記を借りたのだけど、
数日分の日記を読み、子供時代の写真を見て、
それだけで信用できる大人だってことがわかった。
ロシア人のイメージに戦争がのっかっていたことに気づいて、またかと思った。