見出し画像

『ミッション』(1986年・英・仏・米・ローランド・ジョフィ)

「エクソシスト」サーガ5作品を見終わり、続いて娯楽映画研究所シアターで投影したのは、ローランド・ジョフィ監督『ミッション』(1986年・英・仏・米)です。そのココロは、イエズス会とモリコーネ(笑)

初見の時、かなり衝撃を受けた作品です。18世紀、スペイン植民地下の南米・パラナ川上流の「滝の上」(現在のパラグアイ)で、先住民・グアラニー族に布教活動をするイエズス会の宣教師たち。

ジェレミー・アイアンズ、リーアム・ニースン、そしてロバート・デ・ニーロが演じる神父たちが、原住民と理想郷を作る。しかし、スペインとポルトガルの領地争い、ヨーロッパでのイエズス会への迫害などを背景に、ローマから遣わされた枢機卿(レイ・マカナリー)が下した決断の残酷。

分断から融和、そして神の僕(しもべ)である教会が下した決断により、原住民たちとスペイン・ポルトガルの戦争となってしまう。

124分のなかに、南米の大自然のなか布教活動を続ける宣教師たちの労苦。元傭兵で奴隷商人だったロドリゴ・メンドーサ(デ・ニーロ)が、恋人を弟に取られてしまい怒りに任せて弟を殺して絶望を味わうも、ガブリエル神父(アイアンズ)との出会いにより「信仰」に目覚め、かつてロドリゴの「人狩り」のターゲットだった原住民たちに受け入れられて、理想郷を作っていく。「魂の浄化」と「魂の成長」もきちんと描かれる。

その「ユートピア」のシーンは、何度観ても素晴らしい。ずっと、映画のなかに居たいと思わせてくれる。

しかし、スペインとポルトガルの領地争いの思惑に、従わざるを得ないアルタミラーノ枢機卿(レイ・マカナリー)が苦悩の上、下した決断のあまりにも残酷なこと。

信仰に従い、運命を受け入れようとするガブリエル神父、村人を守るため銃を手にするロドリゴ神父、そして共に戦う決意をするフィールディング宣教師(リーアム・ニースン)。正義のためでも、戦いに参加することは「デーモニッシュ」なことで「悪魔に魂を売る」に等しい行為。

実はここで「エクソシスト」シリーズと、テーマが重なっていく。まるで悪魔に憑依されたかのように、原住民とともにポルトガル兵たちを倒していくロドリゴ神父とフィールディング。その戦いが壮絶なだけに「信仰とは何か」「神とは何か」を、観客が考えていくことになる。

この壮大な悲劇をまとめ上げるのが、エンニオ・モリコーネの素晴らしいスコア。映画を観ている間中、モリコーネの音楽に身を委ねる喜びがある。

前半、ガブリエル神父が原住民と打ち解けるシーンがいい。手にしたオーボエで奏でる「ガブリエルのオーボエ」。オーボエの定番曲として、さまざまな音楽家が演奏している美しい曲。モリコーネの音楽がドラマを動かしていくのだ。言葉や習慣は違えども、音楽は最高のコミニュケーションである。ガブリエルは、村人に音楽を教えて、コミュニティには楽器の工房まで作られる。

音楽が信仰につながっていく。果たしてこの布教はジャングルで生きる村人のためになるのか? そんな疑問も湧いてくる。信仰を持つ人々の善意は、同時に侵略や支配にもなっていく。そうした矛盾も、この映画では描かれている。

枢機卿の回想というかたちで、そうした矛盾と逡巡も描かれている。教会を裏切り、信仰に背いた殉教者たちは、はたして悪なのか? 生き残った者たちは自己正当化するが、それを善というのか? 「ミッション」のテーマは、そこにもある。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。