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『忠魂義烈 実録忠臣蔵』(1928年3月14日・マキノ・牧野省三)

 昨夜のCCU=忠臣蔵・シネマティック・ユニバースは、昭和3(1928)年に日本映画の父、娯楽映画マスターの牧野省三が、自身の「忠臣蔵映画」集大成、決定版として取り組んだ世紀の大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』(1928年3月14日・マキノ・牧野省三)をスクリーン投影。オリジナルは80分だったが、その後、フィルムが散逸して、昭和43(1968)年に牧野省三40年忌と無声映画鑑賞会十周年を記念として、マツダ映画社の松田春翠が見つけたフィルムに、本作の同時上映作品『間者』(1928年・マキノ正博)の討ち入りシーンを64分に再編集。それが現在観ることの出来るフィルムである。松田春翠先生の名調子の説明も楽しく初期「忠臣蔵映画」として、そのエッセンスをタップリと楽しむことが出来る。

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 脚本は山上伊太郎と西条照太郎。昭和2(1927)年1月にクランクイン。名古屋に開設されたマキノプロダクション中部撮影所に、江戸城・松の廊下のセットを組んで撮影。この撮影所の所長は、十八歳のマキノ正博(雅弘)が任されていた。この松の廊下のシーン、完成画面を観ると、なかなか大掛かりで、縦の構図、お馴染みの横移動のショットなど、そのセットのスケールがよくわかる。俳優の数も相当人数である。

 一年がかりの撮影を終えて、公開直前の昭和3(1928)年3月6日、牧野省三が京都の自宅で編集中に、電灯の熱がフィルムに引火して火災が発生。ネガフィルムと自宅が全焼してしまう。主要なシーンのネガが失われてしまったが、妻・知世子がスタッフに指示をして、奇跡的に焼け残ったフィルムを編集、なんとか完成させた。しかし尺が足らなくなり、マキノ正博監督が、急遽、焼失してしまった「討ち入り」を再撮影して『間者』を完成させて併映作とした。現存するバージョンは、この『間者』「討ち入り」場面を加えて再編集したもの。

 この作品は、大正10(1921)年に、現在の「忠臣蔵映画」の雛形を作ったとされる、牧野省三『実録忠臣蔵』をさらに発展させている。「松の廊下の刃傷」→「赤穂城明け渡し」→「山科での内蔵助の放蕩」→「立花左近との対峙」→「討ち入り」→「凱旋」と、人形浄瑠璃・歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」での見せ場を、コンパクトに、しかもオールスターで描いている。大部分は焼失してしまったとはいえ、それぞれのシーンにインパクトがある。市川小文治が演じた吉良上野介の憎々しさは天下一品で、諸口十九の浅野内匠頭を虐める嫌らしさはなかなかのもの。「松の廊下の刃傷」で騒然とするなか、嵐長三郎(嵐寛寿郎)の脇坂淡路守が、タップリ見栄を切って、吉良上野介を叱りつける。アラカン先生、実にカッコいい!

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 大石内蔵助には、当初、関西歌舞伎の雄、二代目實川延若にオファーするも断られ、七代目松本幸四郎には延若に遠慮して固辞された。さらに三代目阪東壽三郎をキャスティングするも松竹が延若に遠慮して、結局歌舞伎役者は使えないこととなる。そこで新派の伊井蓉峰が演じることとなった。しかし天橋立でロケーションした「立花左近VS大石内蔵助」の重要なシーンで、なぜか伊井蓉峰は、本番で歌舞伎の六方を踏んで見栄を切る芝居をした。助監督で本作には大石主悦の役でも出演している、マキノ雅弘が後年「アホらしくなった」と語っている。父・省三から「活動写真について教えてやってくれ」と頼まれた雅弘が、伊井蓉峰に話をしようとしたら、伊井が帰ってしまったと、「映画渡世・天の巻 マキノ雅弘自伝」(平凡社)にある。

 全てが終わって、江戸の町を凱旋する赤穂義士が、両国橋を渡ろうとすると、服部市郎右衛門が「この橋をなんと心得る!御城内、表玄関正面の両国橋だ!」と叱る名シーンもある。「永代橋なら」とコースを暗に教えてくれる「忠臣蔵のイイ人」服部市郎右衛門を、本作で演じたのは片岡千恵蔵。やっぱりカッコイイ! 出てくるだけで画面が引きしまる。

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【スタッフ】
製作総指揮・監督・編集 マキノ省三
監督補 秋篠珊次郎
応援監督 吉野二郎、押本七之輔ほか
脚本 山上伊太郎、西条照太郎
撮影 田中十三ほか
撮影補 藤井春美
製作 マキノ・プロダクション

【キャスト】
大石内蔵之助良雄(伊井蓉峰)、浅野内匠頭(諸口十九)、吉良上野介義央(市川小文治)、立花左近(勝見庸太郎)、清水一角(月形龍之介)、松野河内守(中根龍太郎)、脇坂淡路守(嵐長三郎 のちに嵐寛寿郎)、お目附・服部一郎右衛門(片岡千恵蔵)、勅使・柳原権大納言(片岡市太郎)、忠婢・拳固のお源(杉狂児)、伜・与太九呂(中根龍太郎)、大石主税良金(マキノ正博)、将軍・綱吉公(小島陽三)、浅野大学(松本時之助)、田村右京太夫(中村東之助)、伊達左京之亮(小岩井昇三郎)、梶川与惣兵衛(山本礼三郎)、院使・高野中納言(金子新)、院使・清閑中納言(市川小莚次)、僧良雪(松村光男)、吉良間者・前野平内(荒木忍)、吉良間者・猿橋右門(川田弘道)、大石の下僕・実は吉良の間者・万吉(菊波正之助)、吉良の間者・石束甚八(秋吉薫)、切腹上使・荘田下総守(中田国義)、お目附・岡田伝八郎(若松文男)、介錯(静間静之助)、お茶坊主・平井長庵(梅田五郎)、田村の臣・石堂(守本専一)、田村の臣・榊原(大味正徳)、田村の臣・高味勘解由(斉藤俊平)、大老・柳沢美濃守(児島武彦)太鼓持・千住(大谷万六)、大石の僕・八動(都賀清司)、二男・大石千代松(松尾文人)、三男・大石大三郎(都賀一司)、清水一角の弟(津村博)、吉良の間者・牧山大五郎(尾上松緑)、そばやの爺〆助(藤井六輔)、吉良の家来・和久牛太郎(大国一郎)、吉良左兵衛之介(マキノ正美)、菅野の父 七郎左衛門(児島武彦)、間の一子・十太郎(嵐冠)、堀部弥兵衛金丸(染井達郎)、堀部喜兵衛光延(松村光男)、吉田忠左衛門(若松文男)、間瀬久太夫正明(嵐冠吉郎)、村瀬喜兵衛秀道(原田耕造)、小野寺十内秀和(大味正徳)、奥田孫太夫重盛(柳妻麗三郎)、原惣右衛門元辰(中村東之助)、貝賀弥左衛門友信(松本熊夫)、千葉三郎兵衛光忠(西郷昇)、木村岡右衛門貞行(南部国男)、中村勘助正辰(木村猛)、菅谷半之亟政則(森清)、早水藤左衛門満堯(大谷鬼若)、前原伊助宗房(橘正明)、寺坂吉右衛門信行(嵐長三郎)、岡島八十右衛門常樹(星月英之助)、神崎与五郎則安(市川小莚次)、萱野和助常成(矢野武夫)、片岡源五右衛門高房(市川小文治)、横川勘平宗利(豊島龍平)、三村次郎左衛門包常(小岩井昇三郎)、潮田又之丞高教(東下り)(金子新)、東郷久義(赤埴源蔵重賢)、山本礼三郎(堀部安兵衛武庸)、佐久間八郎(不破数右衛門正種)、近松勘六行重(英まさる)、富森助右衛門正因(坂本二郎)、倉橋伝助武幸(沢村錦之助)、武林唯七隆重(武井龍三)、大高源吾忠雄(天野刃一)、吉田沢右衛門兼貞(八雲燕之助)、矢田五郎右衛門助武(鈴木京平)、萱野三平(片岡千恵蔵)、小野寺幸右衛門秀富(市川谷五郎)、杉野十平次次房(川島清)、大石瀬左衛門信清(藤岡正義)、村松三太夫高直(牧光郎)、奥田貞右衛門行高(有村四郎)、間十次郎光興(小金井勝)、磯貝十郎左衛門正久(松坂進)、岡野金右衛門包秀市(原義雄)、間新六(マキノ登六)、勝田新左衛門武堯(久賀龍三郎)、間瀬孫九郎正辰(潮龍二)、矢頭右衛門七教兼(マキノ梅太郎)、大野九郎兵衛(尾上松緑)、勅使・玉虫七郎右衛門(大谷万六)、勅使・近藤源八(徳川良之助)、勅使・藤井彦四郎(守本専一)、勅使・早川宗助(荒尾静一)、勅使・田中清兵衛(高山久)
豊田八太夫(嵐冠三郎)、豊田庄助(尾上延三郎)、浅野後室・瑤泉院(玉木悦子)、戸田の局(花岡百合子)、大石の室・お陸(石川新水)、早水藤左衛門の娘・千賀(マキノ智子)、浮橋太夫(松浦築枝)、軽藻太夫(渡辺綾子)、吉野太夫(住ノ江田鶴子)、女中・お梶(三保松子)、吉良の侍女・妙香(河上君江)、そばやの姉・お富(水谷蘭子)、三平の新妻・露野(岡島艶子)、清水一角の姉(鈴木澄子)、吉良の間者・お梅(大林梅子)、浮橋の引舟・芳子(五十川鈴子) 、浮橋の引舟・田毎(都賀静子)、百足屋・与助(広田昴)、具足屋・為五郎(玉木潤一郎)、研屋・伝九郎(大岡怪童)、狂人荒物屋・千五郎(大国一郎)

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