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『草を刈る娘』(1961年・西河克己)

 初秋の津軽平野、岩木山の裾野に広がる草原では、近隣の村落から若い男女が草刈りにやってくる。津軽地方の農家では、古くから農耕馬が大切な労働力であり、厳しく長い冬に備えて、秋になると、その農耕馬の飼料のために草刈りが一斉に行われていた。

 青森 県弘前市出身の石坂洋次郎の小説「草を刈る娘」は、そうした草刈りの季節に若い男女が、年寄りの“楽しみ”で出会い、さわやかな 愛を育んでいくという文字通りの青春小説。本作は「草を刈る娘」の二回目の映画化にあたる。初作は昭和28(1953)年の新東宝『思春の泉』(中川信夫)。主演は左幸子と宇津井健だった。

 1960年代の日活では、吉永小百合を中心に、石坂洋次郎原作の青春映画が数多く製作された。『若い人』(1962年・西河克己)、『青い山脈』(1963年・西河克己)、『風と樹と空と』(1964 年・松尾昭典)など、若くフレッシュな吉永小百合にとって、リベラルで清新、そして古くからのモラルを吹き飛ばすような青春のエネ ルギーに満ちた石坂文学は格好の題材だった。

 そうした吉永小百合×石坂洋次郎作品の初期にあたるのが本作。『草を刈る娘』が公開されたのが、昭和36(1961)年 10月25日。その一ヶ月前に公開された石原裕次郎と芦川いづみ主演、石坂原作による『あいつと私』(中平康)にも吉永は出演しているが、芦川の妹役だった。そういう意味では、本作から吉永 小百合主演による石坂文学の映画化が本格的にスタートすることになる。

 また純愛コンビとして、日活青春映画を支えていくことになる浜田光夫と吉永小百合は、『ガラスの中の少女』(60年若杉光夫)で初共演。この年の8月には、舛田利雄監督の『太陽は狂ってる』では、吉永の出番は少ないながらも鮮烈な印象を残している。

 演出にあたったのは、アクションからメロドラマまで、幅広く娯楽映画を手がけてきた西河克己監督。本作を機に、吉永小百合×石坂洋次郎の日活青春映画の数々を手がけることになる。この時期の日活映画には珍しく、ロケーション主体の作品となっている。悠然たる岩木山に訪れる秋の気配。西部劇の幌馬車隊よろしく、隊列を組んで進む。村の人々の馬が引く荷車。石坂洋次郎のふるさとでもある青森県の津軽平野が本作もう一つの主役でもある。

 モヨ子(吉永小百合)は、町に女中奉公に出ていたため、草刈りの仕事は今年が初めてである。その叔母であり、双見部落のリーダー的存在でもある、そで子婆さん(望月優子)には、大きな目的と趣味があった。年に一回の草刈りで、違うコミュニティの若い男女を結びつけること。今年は富田部落のやはりリーダーであるため子婆さん(清川虹子)が、遠い親戚の時造(浜田光夫)を連れてきたので婆さん同士の企みで、二人を引き合わすことになる。

 実りの秋。のどかな草原で若い男女が出会い、恋に落ちる。実におおらかな世界が繰り広げられる。モヨ子の夢は、子供をバンバン産んで、出枯らしのようなお婆ちゃんになること。

 岩木山が日活スコープの画面いっぱいにひろがり、左右から望月優子と清川虹子が駆け寄ってきて、久々の再会を喜ぶ。まるで大自然を舞台に見立てた漫才のような構図が、たびたび展開される。その微笑ましさ。

 そしてこの物語のなかでは、当然のことながら登場人物は津軽言葉で会話をする。吉永も浜田も津軽の若者に見えてくる。吉永の東北弁は実にチャーミング。同じ石坂文学の映画化である『風と樹と空と』(1964年・松尾昭典)でも、東北から集団就職で上京してくるお手伝いさんの東北弁がアクセントになっていたが、本作にその萌芽がある。余談だが、こうしたキャラの延長線上に、『三丁目の夕日』 三部作(2005〜2012年・山崎貴)で堀北真希が好演した六ちゃんがいる。

 さて、肉体も精神も健康のモヨ子と時造は、自然に任せていけば、いつかは夫婦となり、立派な子供を産むことは明らか。二人の幸福が約束されたなかで、さまざまなサイドエピソードが繰り広げられていく。農業を否定して東京に出て行ったモヨ子の幼なじみ三郎(平田大三郎)が、舞い戻って来ることで、時造の心境は穏やかでなくなる。秋祭りの夜、その嫉妬がピークに達する。大人から見れば些細なことでも、青春真っ只中の若者にとっては大事件。

 大事件といえば、クライマックスのはま子(小園蓉子)殺人事件をめぐるミステリーも、大自然やおおらかな人々の目線を通して描かれる。草刈り隊に、さまざまな品物を売りつけるテキ屋に扮した佐野浅夫のインチキくさい感じも、牧歌的な世界のなかでアクセントとなっている。駐在を好演したのがコメディアン出身で元「あきれたぼういず」の益田喜頓。ロケは湯治で知られる白沢温泉、岩木神社などで行われている。

 吉永が歌う主題歌「草を刈る娘」(作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正)が、レコード化されるのは、昭和37(1962)年7月になってから。のちに吉永は「寒い朝」でビクターからレコードデビューを果たすことになるが、その歌声が楽しめるのはスクリーンのなかだけだった。

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