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『喜劇 日本列島震度0(ゼロ)』(1973年11月22日・松竹大船・前田陽一)

 ラピュタ阿佐ヶ谷「蔵出し!松竹レアもの祭」の最終週、前田陽一監督『喜劇 日本列島震度0(ゼロ)』(1973年11月22日・松竹大船)を、綺麗なプリントで久しぶりに楽しむ。渋谷実監督の薫陶を受け、昭和39(1964)年『にっぽんぱらだいす』で監督デビュー。昭和40年代、松竹喜劇のエースとして、その作風やクオリティは不安定であるものの、発想やノリの良さもあって、前田作品はいつも気になる面白さがある。

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 特に万博に沸き立つ昭和45(1970)年、戦争中の軍や上官への恨みから、8月15日正午、九段の御魂神社(架空)の賽銭箱から現金を奪おうと計画する戦中派のフランキー堺さんと財津一郎さんのコンビの『喜劇 あゝ軍歌』(脚本・早坂暁)は傑作となった。フランキー&財津コンビで、ロバート・アルトマン監督の『M★A★S★H マッシュ』(1970年)にインスパイアされた、偽医者騒動を描く『喜劇 命のお値段』(1971年)が作られた。そして、敗戦直後の焼け跡への郷愁と、辛く厳しい現実をリセットしたい“破滅願望”が込められた『喜劇 男の子守唄』(1972年)と年一作のペースで作られた。

 この『喜劇 日本列島震度0』が企画された1973(昭和48)年は、小松左京のS F小説「日本沈没」がベストセラーとなり、閉塞した時代のストレスから「終末論ブーム」が巻き起こっていた。東宝では年末、12月29日公開の特撮スペクタクル『日本沈没』(森谷司郎)が鳴り物入りで製作され、新聞や週刊誌は、その製作状況をニュースとして伝えていた。


その「日本沈没ブーム」を当て込んで企画されたのが、「フランキー堺&財津一郎コンビ」による『日本列島震度0』だった。主題歌は「あのねのね」が歌う「地震が来ればの唄」。

♪地震が来ると 地面が揺れます
地面が揺れると ビルが倒れます
ビルが倒れると 土建屋が儲かります
土建屋は儲かると 政治家になります
政治家になると 妾を持ちます
妾を持つと マスコミが騒ぎます
マスコミが騒ぐと 週刊誌が売れます
週刊誌が売れると 紙がなくなります
紙がなくなると トイレをがまんします
トイレをがまんすると イライラします
イライラすると 貧乏ゆすりをします
貧乏ゆすりをすると 地面が揺れます
地面が揺れると 地震になります

フランキー堺さん演じる福田清造は、江東ゼロメートル地帯で4代続く老舗の足袋職人。工業化の波で、仕事は払底。暇を持て余していて、サラ金で小金を融通してはパチンコ屋に通う日々。しかし根は真面目で、関東大震災から50年、来るべき「東京大地震」の危険を、ご近所に訴え続け、少し疎まれている。

財津一郎さんは、悪徳サラ金を経営して、庶民から利息を搾り取っている小悪党・大津金次郎。「あけぼの区役所」の地震対策課に勤務する、ギャンブル好きの公務員・南(石橋正次)とその同僚たちは、お互いを保証人にして、江東一帯のサラ金から借金をしまくって、自転車操業しながら、競輪や麻雀、ギャンブル三昧。本人たちは懲りてないが、本当の悪党はこうした庶民である。という前田陽一監督の「思想」である。

実際、この頃、前田陽一監督は住所不定で、石橋正次さんたちのような「危ない日々」を過ごしていたと、僕が高校生の時に初めて前田監督に会った時に伺った。そういう日常を脱したいから「大地震でも来れば、借金がチャラになる」と南たちは考える。

 その南の高校時代からの恋人が、福田清造の娘で、区役所勤めの福田真知子(鳥居恵子)。あの鳥居恵子さんである!『学園祭の夜 甘い経験』(1970年・東宝)『制服の胸のここには』(1972年・東宝)で当時の若者たちの胸を締め付けた若手女優。のちの木之内みどりさんに連なる清純派アイドルの系譜にある。鳥居さんは、のちに「日本沈没」の主演を務めた藤岡弘さんと結婚するから、やはり、この映画は「日本沈没」に縁がある。もう一人、藤岡弘さんと縁がある女優さんも出演している。「仮面ライダー」の野原ひろみ役で共演した島田陽子さんが、地震研究所員の役で「東京大地震の恐怖」について訴えるシーンがある。

 石橋正次さんと鳥居恵子さんは、若いけど、高校時代から毎週土曜日にデートを続けてきて倦怠期を迎えている。何か新鮮なことはないか? 彼女たちにもリセット願望が芽生えている。さて、町内の地震対策委員に選ばれた福田清造は、大張り切り。兼ねてから肩入れしている占い師・中島蓮月(日色ともゑ)が「1973年12月1日 東京に大地震が来る」と予言をしたものだから、大騒ぎとなる。町内の連中も戦々恐々、相談した挙句に、当日は八丈島へ避難旅行をすることとなる。果たして、予言通り、大地震が来るのか? 

 江東ゼロメートル地帯を言いながら、中央区の佃島界隈でロケーション。佐山俊二さんは老舗佃煮屋「天安」の主人。タコ社長・太宰久雄さんは床屋の主人で、その妻は水木涼子さん。「男はつらいよ」でもタコ社長夫人を演じている。その従業員が十勝花子さん。町内のおばさんに「男はつらいよ」シリーズでお馴染みの谷よしのさん! 銭湯では、日色ともゑさん、水木涼子さん、谷よしのさんの入浴シーンも!

 財津一郎さんの大津は、南たちが借金づけをいいことに、怪しげな防災グッズを買わせたり、その際、課長・和光源治(谷村昌彦)の印鑑をチョロ任せと指図したり。悪いことこの上ない。

 町内にはベテランの噺家・遊遊亭円佐(三遊亭円右)師匠が住んでいて、松竹マークが開けて、「地震雷火事親父と申しまして」と円佐師匠の落語から映画が始まる。

登場人物は多く、賑やかな場面が続くが、あくまでもスケッチなので、ドラマに有機的に絡んできたりはしない。そのごった煮感覚こそが、前田映画の魅力で、町内の面々が集まるのがスナック「赤とんぼ」。もちろん主題歌「地震が来ればの唄」(前出)を歌っている、人気絶頂のフォークデュオ「あのねのね」のビッグヒットに肖ったもの。しかし、このスナック「赤とんぼ」には「あのねのね」は登場しない。八丈島への避難旅行の当日、テレビのオーディション番組があるからと不参加を表明する学生として、下宿の物干場で「赤とんぼ」の歌を歌い、テレビで「愛の調べ」を歌う。「愛の調べ」はコミックソングではなく、真面目なラブソングなので「そのねのね」名義^_^。ともあれ「あのねのね」の歌唱シーンも、今となっては貴重な記録となっている。

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 いよいよ運命の12月1日を前に、町内の全員が八丈島行きをキャンセル。福田と蓮月の二人だけの寂しい「避難旅行」となる。八丈島で迎えにくる、旅館の女中に、懐かしやキャッシーさん! この時代の人気タレントでテレビやラジオに引っ張りだこだった。色々あって芸能界を引退されたが、2011年、僕がピンク・マティーニと由紀さおりさんのアルバム「1969」の企画に参加して、オレゴン州ポートランドでのクリスマス・コンサートのロビーで、なんとキャッシーさんに声をかけられた! 長らくポートランド在住とのことで、色々な話を伺った。

 さて、町内の人たちは、清造の地震かぶれに辟易して、避難を断ったが、やはり不安月のる。そこで「最後の夜」をスナック「赤とんぼ」で過ごそうと、みんなが集まって「宴」となる。そこへ現れるのが「赤とんぼ」の店舗デザイナー(という設定の)灰田勝彦さん。みんなに勧められるがままに、歌うは、敗戦後、焼け跡に流れた「東京の屋根の下」(作詞・佐伯孝夫 作曲・服部良一)。“心情戦中波”を自認していた前田陽一監督の若き日の思い出の曲で、東京大空襲で焼け出された人々が、この歌に「明日への希望」「復興の喜び」を感じたものだと、酒を飲みながら、前田監督が話してくれた。

岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』(1963年・東宝)で、戦後、モノのない時代に結婚をした江分利(小林桂樹)と夏子(新珠三千代)が、苦労している時に、二人で散歩しながら歌った曲として登場する。最初に映画で披露されたのは、昭和23(1948)年の齋藤寅次郎監督『見たり聞いたりためしたり』(東宝)のなかで灰田勝彦さんが歌うシーンだった。焼け跡からの再出発、それまでの暮らしを、望むと望まざるとにかかわらずリセットした戦後への、前田監督の思い。これで「借金がチャラになる」という不純な動機の根っこにあるのは、そうした「焼け跡ノスタルジー」でもあった。

だから、灰田勝彦さんが延々と「東京の屋根の下」を歌うシーンがいい。本家『日本沈没』の東京大震災の特撮シーンに匹敵するほど、本作のハイライトである。

で運命の12月1日、八丈島に財津一郎さんもやってきて、フランキー堺さんと、日色ともゑさんの三角関係の決着をつけるべく「12月1日正午、東京に地震が来るか来ないか」の賭けをする。地震が来れば、蓮月はきっぱり譲ると。運命の時は刻々と迫る・・・。


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