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『奇々怪々 俺は誰だ?!』(1969年9月27日・東宝・坪島孝)

深夜の娯楽映画研究所シアターは、東宝クレージー映画全30作視聴、いよいよプラスαへ突入。まずは谷啓さんと坪島孝さんの「やりたいように、やりたいことを」映画にした不条理SFの傑作『奇々怪々 俺は誰だ?!』(1969年9月27日・東宝)。坪島孝監督は、前年のゴールデンウィーク大作『クレージーメキシコ大作戦』(1968年4月27日)以来の谷啓さんとのコンビ作、ということになるが、これはクレージー映画にはカウントされていない(主観的な問題だけど、ずっとそうなっている)。が、ぼくの中では『クレージーだよ奇想天外』と並ぶ谷啓さん主演の傑作SF(こちらは不条理だけど)である。

坪島監督から伺ったのは「撮っても撮ってもなかなか終わらず」苦労した『クレージー黄金作戦』『〜メキシコ大作戦』のご褒美として、渡辺プロ社長の渡辺晋さんから「好きな企画でやっていい」と言われて実現したという。興行的には前作より落ちたという理由で「コケた」とレッテルを貼られた『〜メキシコ大作戦』以後、しばらくはクレージー映画は古澤憲吾監督と須川栄三監督が任されていた。坪島監督が復帰するのは翌年のお正月映画『クレージーの殴り込み清水港』(1970年)だから、しばらく間を置いてのことだった。

いわば「干されているけどご褒美」という微妙な感じである。アメリカのコメディが好きで、ショートショート小説が好きだった坪島監督が助監督時代から暖めていた企画でもある。発想の原点は、坪島監督の少年時代に遡る。ご飯を食べてすぐに横になると「牛になっちゃうぞ」と親に叱られた時に、本当に牛になったらどうなっちゃうんだろうか? と思ったこと。もしも、人が何かの拍子で牛になってしまったら、自分は、周りはどんな風になるのだろうか? 映画監督になっても、時折、そんなことが頭をよぎっていて「横になったら牛になった男の悲喜交交」の映画は作れないだろうか? と考えていたという。

また、谷啓さんが昭和39(1964)年にリリースしたノヴェルティ・ソング「あんた誰?」(作詞:塚田茂 作曲:山本直純)からのインスパイアもある。デキシーランド・スタイルの楽しい曲で、日常でよくある「勘違い、人違い」をテーマに放送作家の塚田茂さんが作詞。「満員電車で彼女の白い手をぎゅっと握ったら、隣の親父だった」に始まり「会社で見かけない学生に、給仕お茶と怒鳴ったら、社長の息子だったかも?」「街角で顔見知りに元気かい?と声をかけたらテレビの人気者だった」とコミカルなシチュエーションが続く。

で、最後に「一人暮らしのアパートへ帰ってみたら誰かいるので”あんた誰?”と声をかけたら父親だった」となる。この最後の歌詞は谷啓さんによれば、家に帰ったら自分ではない自分がいて「あんた誰?」って言われたら怖いだろう。と思って、その話を塚田茂さんにして出来たという。

歌はごく普通の「勘違い」を描いたものだが、それを歌っている谷啓さんのワンダーな発想では「もしも、自分が自分でなかったら?」というアイデンティティーの崩壊に繋がってしまうのだ。そんな話を、谷啓さんと坪島監督がしたことがあって、やがて田波靖男さんを交えて「そんな映画を作ってみようか?」となっていった。そこに「横になったら牛になっちゃうぞ」のエッセンスが組み込まれたのだ。

ある朝起きて会社に行ったら、別な男が自分として勤務していて、同僚の誰もが「あんた誰?」となったとき、自己のアイデンティティーはどうなるのか? 極めて不条理な展開の映画を作ろう、である。「ヒッチコック劇場」にありそうだね、という話から、ナレーションはアルフレッド・ヒッチコックの吹替をしていた熊倉一雄さんをキャスティングしている。

吉田日出子 谷啓 吉村実子

ヒロインには「東宝女優ではないフレッシュでユニークな女性を」ということで、劇団文学座を退団して、昭和41(1966)年に串田和美さんと「自由劇場」を立ち上げ、舞台で活躍していた吉田日出子さんを抜擢。昭和41年にNHKで和田勉さんが演出した植木等さん主演のドラマ「大市民」にも出演している。劇団を維持するためにドラマや映画出演も多く、大島渚『日本春歌考』(1967年・創造社=松竹)や、勅使河原宏『燃え尽きた地図』(1968年・勝プロ=大映)などに出演していた。

谷啓さんの主人公・鈴木太郎(牛印乳業・社員)がクシャミをするたびに、目の前の人物と人格が入れ替わってしまう。精神病患者・鈴木次郎となり、さらには凄腕の殺し屋・鈴木三郎となり、牛印乳業・新社長・鈴木四郎となり財力を欲しいままにする。という、観客も戸惑うような不条理な展開でも、吉田日出子さん演じるヒロイン・種村百合子は「鈴木太郎」の本質を理解して愛してくれる。

この映画の封切り10日後、10月7日から日本テレビでバラエティ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」がスタートする。吉田日出子さんもレギュラーでとぼけた味のコントを演じ、コメディエンヌとしてお茶の間に注目されることになる。

牛印乳業・新社長(なべおさみ)の婚約者・黒江みどり役に吉村実子さん。トップモデル・芳村真理さんの八歳下の妹で、女子美大付属高校在学中、今村昌平監督にスカウトされて『豚と軍艦』(1961年・日活)で映画デビュー。今村昌平『にっぽん昆虫記』(1963年・日活)や新藤兼人『鬼婆』(1964年・近代映画協会=東京映画)などに出演。東宝映画には、内藤洋子さん主演の『としごろ』(1968年・出目昌伸)に出演していたが、やはりお嬢様ではない「アンチ東宝女優」的なユニークな存在だった。

牛印乳業総務部につとめる平凡なサラリーマン・鈴木太郎(谷啓)は、郊外の団地に住み、妻・民子(横山道代)、息子・一郎(川口英樹)と幸せなマイホームを築いている。ある日、いつものように会社行くと、同僚たちが口を揃えて「顔色が悪い」「病気なんじゃない?」と心配する。普段は口喧しい総務課長・大場末吉(人見明)も「会社で倒れられたら面倒なことになる」と、鈴木太郎を帰宅させる。

で、翌日、出勤してみると、会社のデスクには、自分ではない鈴木太郎(犬塚弘)が座っていて、同僚たちは、本物の太郎を「あんた誰?」と不審者扱い。家に帰ると、別人の太郎(犬塚弘)が寛いでいて、妻子までも太郎(谷啓)を「あんた誰?」となる。「俺は一体誰なんだ?」アイデンティティー・クライシスとなった太郎は、実家に戻ると、母親・ふさ(本間文子)までもが「あんた誰?」。

「ああ、一体オレはどうしたらいいんだ?」と太郎は鉄道自殺を試みる。すると、先客が横たわっている。赤ちゃんを孕ったのに男に捨てられて世を儚んでいた種村百合子(吉田日出子)だった。結局、九死に一生を得た二人。太郎は百合子の勧めで、古今亭志ん馬師匠のテレビ「志ん馬モーニングショー」「尋ね人コーナー」に出演した太郎は、「鈴木次郎」と決めつけられてアイデンティーの危機に陥って、精神科に強制入院されてしまう。

この病院のシーンで患者役でハナ肇さんが本名・野々山定夫役でワンシーン登場。さらに次郎となった太郎を、偽患者として病院に潜伏中の凄腕の殺し屋・ベレッタの三郎と決めつけるギャング(二瓶正也)が現れ、脱走を補助する。で三郎となった太郎は、ヤクザの親分・井沢熊五郎(田崎潤)の命令で、牛印乳業社長の息子で、時期社長候補の鈴木四郎(なべおさみ)を暗殺することになるが…

クシャミをすると目の前の人間に入れ替わってしまい、太郎→次郎→三郎と次々と別な人間に変身してしまうが、性格や中身は太郎のまま。この不条理ドラマは、今ではシュールなブラック・コメディとして楽しめるが、坪島監督、田波靖男さんから、会社からも観客からも「訳が分からない」と散々だったと伺った。そのことをFacebookに書き込むと、当時14歳でこの映画を観た、映画評論家の大先輩・尾形敏朗さんから「摩訶不思議な展開ではありますが、”観客からも「訳が分からない」と散々な評判だった”という印象はなく、何よりも吉田日出子さんがすばらしかった」と、コメントを頂戴した。鳴り物入りで製作された芥川龍之介原作、内藤洋子主演の時代劇大作『地獄変』(豊田四郎)と二本立て公開されたものの、興行的に”受けなかった。散々だった”ことが前述の「散々だった」印象になったのだろう。

半裁ポスター

とにかく谷啓さんが追い詰められて「オレは一体誰なんだ?」とアイデンティティー・クライシスに陥るのがおかしい。いよいよ四郎を殺す!というときにクシャミ一発で、四郎に入れ替わった三郎になった次郎こと太郎は、牛印乳業の平社員から、なんと社長に(結果的に)出世、権力を欲しいままにする。ここからはサラリーマン映画のバリエーションであり、四郎となった太郎の横暴が、かつて大学の同期生だった労働組合のリーダー・山中(船戸順)の人生をめちゃくちゃにしてしまう。

せっかく手に入れた権力を手放したくない四郎となった太郎は、会社の資産を全て現金化して銀行の個人金庫に隠匿。誰に変身しても金庫の鍵さえ持っていれば大丈夫というわけだ。業務上横領までもしてしまうエゴイストと化して、百合子からも愛想をつかされてしまう。しかし肝心の金庫の鍵を、フィアンセの黒江みどりに「結婚するまであたしが預かる」と奪われてしまって…

後半、かなりブラックな展開になっていくのが坪島監督らしい。権力を手にした男がいかに豹変するか? それまでの善良な小市民から一転、エゴイスト四郎となった太郎(笑)その不条理なオチまでの展開がなかなか鮮やか。

クレージー映画のお楽しみである主題歌「吹けば飛ぶよな平社員」(作詞:田波靖男 作曲:広瀬健次郎)はラスト、意外や意外の姿となった太郎が歌う。この不条理かつのどかで、牧歌的で幸せなエンディングこそ、少年時代から坪島孝監督がイメージしてきた世界のヴィジュアル化だった。谷啓さんという稀有なキャラクターとの出会いがあり、「独立愚連隊シリーズ」の『蟻地獄作戦』(1963年)、そして『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年)でのクレージー映画参加。谷啓さんを主演にしたSFコメディ『クレージーだよ奇想天外』(1966年)の大成功と、坪島監督と谷啓、そして名伯楽の田波靖男さんの脚本あればこそ。田波さんは本作ではプロデューサーも兼任している。

この『奇々怪々 俺は誰だ?!』の奇妙な味わいは、東宝クレージー映画を愛してきたファンへの「ご褒美」でもある。不思議と後を引く面白さ。紛れもなく坪島監督&谷啓さんのベストワークの一つである。


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