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娯楽映画研究家「ブギウギ」日記 Part1

2023年10月2日スタートしたNHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」を連日観て、感想をX、Facebookにアップしています。そのまとめページを作成しました。毎日更新していきます。


第1週 ワテ、歌うで!

2023年10月2日 - 10月6日

しかし役名が「アホのおっちゃん」って^_^
弟・六郎くんのスタイルがフクちゃん的なのもイイですなぁ。

いよいよ道頓堀・松竹座へ。松竹楽劇部の松本四郎(良)部長に「よう喋るおなごやな」と言われて無事入団。ドラマではお母ちゃんも一緒だったので「よう喋る親子やな」(笑)その花丸劇場では、われらが片岡一郎さんが活弁を!つまり片岡さんは松竹座で活弁をしたことに!

拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」でいうと「2 松竹楽劇部 意地でも一流になってみせる」の項にあたる部分でした。#ブギウギ #ブギウギ伝説

第2週 笑う門には福来る

10月9日 - 10月13日

笑う門には福来る#1

USKの第1期生 トップスター娘役・大和礼子(蒼井優)のモデルとなった飛鳥明子さん。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)では、4「大先輩 飛鳥明子」の項で、笠置シヅ子さんの憧れの先輩として登場します。

笑う門には福来る#2 

スズ子たちは梅丸少女歌劇団の部屋子として楽屋周り一切を任される。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)では、第1章の2「松竹楽劇部」にあたります。

笑う門には福来る#4

良かったですねぇ。百日咳騒動と仲間たちの絆。スズ子の演技力も見事ですが、弟・六郎くんが、イイねぇ。令和の「爆弾小僧」誕生!^_^ BKらしい楽しさ!

笑う門には福来る#5

いよいよスズ子が舞台デビュー。1927年7月「日本八景をどり」の華厳滝の「水飛沫」の役!三笠静子の初舞台を華やかに再現。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)では2「松竹楽劇部」にあたります。来週は趣里さんの登場!「桃色争議」のエピソードだ!

第3週 桃色争議!

10月16日 - 10月20日

桃色争議!#1

いよいよ大人になったスズ子(趣里)が登場。大先輩・大和礼子(蒼井優)の向上心。清々しくも楽しい展開に。大和礼子のモデル、飛鳥明子さんのエピソードは「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)4「大先輩 飛鳥明子」で描いております。

桃色争議!#2

カフェーで二村定一「アラビヤの唄」が流れていた。才能がなくとも頑張って続けること。本当にそうだなぁと。芸道もの、バックステージものとしても充実してきて、これから、ますます楽しみ。

桃色争議!#3

見事でしたねー! 退団を決意した桜庭に対してスズ子が悩み、誰もが自分自身を見つめる。その上でのショーマストゴーオン。ミュージカル映画ならこれだけで一本出来てしまうほどの濃密さ。で桃色争議への伏線でまた明日。

桃色争議!#4

1933年、東西の松竹少女歌劇で起こったストライキのエピソード。大和礼子(蒼井優)のキリリとした表情、頼もしさ。拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」では3「浅草国際劇場」にあたる時期であります。

桃色争議!#5

毎回がクライマックスのようなテンション。大和礼子(蒼井優)が抜群にイイ。少女歌劇を揺るがした東西の桃色争議。東京で水の江滝子さん、大阪では飛鳥明子さんがリーダーとなってストライキ。史実を盛り込みつつの展開!

第4週 ワテ、香川に行くで!

10月23日 - 10月27日

ワテ、香川に行くで! #1

桃色争議で舞台をボイコットして、飛鳥明子=大和礼子(蒼井優)をリーダーに高野山=山のお寺に籠った大阪松竹楽劇部=USKのレビューガールたち。まさかドラマで観られようとは!足立紳脚本もイイですね。スズ子のお父ちゃんとお母ちゃんの世話焼きが幸福の連鎖に! 今週も楽しみ!
しかし、レビューガールたちが「1・2・3・4 やったぜ!梅丸!」と声がけしてトレーニングしていたけど「1・2・3・4 やったぜ!カトちゃん!」を65年前に先取りしていたのか! これぞブギウギ・マルチバース(笑)

ワテ、香川に行くで! #2

またもや濃密な展開。股野(森永悠希)の覚悟、大和礼子(蒼井優)への告白は「男はつらいよ」のサイド・ストーリーのよう(笑)桃色争議の責を負っての礼子の覚悟は、史実とはいえ切ない。毎回緩急の面白さに感心!

ワテ、香川に行くで! #3

桃色争議が決着、責任を負って飛鳥明子=大和礼子が退団。そしてロケットガールズの誕生。といった史実に今回も感動、また感動のドラマが盛り込まれる。15分でこの充実。この頃東京ではエノケンが大人気だったのだなぁと想いを馳せたり…

ワテ、香川に行くで! #4

トップシーンで、草彅剛演じる羽鳥善一=服部良一が上京するところから始まる。ディック・ミネの「東京へ来れば」の一言で、服部先生が上京を決意したのは、1933(昭和8)年のこと。つまり「桃色争議」と同じ年でありました。

スズ子、いよいよ香川へ。史実では18歳の夏、母と弟・八郎と三人で喉の療養に行った際の出来事だが、足立紳の脚色のうまさ。出生の秘密をめぐる疑問が渦巻く。回想シーンの効果的。お父ちゃんの「不安からは何も生まれへん」名言ですなぁ!

ワテ、香川に行くで! #5

故郷香川でスズ子が出生の秘密をついに知ることに… 東かがわ市でのロケーションがいいですね。笠置シヅ子さんが生まれた場所が変わらぬ風景として109年後の今、ドラマに登場する。石倉三郎さんの白壁の当主。不躾な感じ、お大尽ぶり、流石です!

第5週 ほんまの家族や

10月30日 - 11月3日

ほんまの家族や #1 

スズ子が出生の秘密を知り、実母・キヌ(中越典子)と対面する。母の悲しみ、スズ子のショック。二人の感情が短いショットの積み重ねで描かれる。18歳の夏、笠置シヅ子さんが向き合った事実をドラマに昇華させ、心揺さぶられる。

ほんまの家族や #2 

香川で知った出生の秘密。スズ子のショックの描き方が見事。川に横たわり両手両足を広げて空を見上げる。回想の「二人の母」。ずぶ濡れのスズ子が弟・六郎に「抱きしめて」。映画的なショット、感情表現。おばあちゃん(三林京子)の言葉。今日の構成、本当にお見事です!先週から今日にかけての香川でのエピソード。拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)では、第二章9「弟の入営と二人の母 胸に秘めた十八歳の夏のこと」で綴っています。

ほんまの家族や #3

物語は1937年へ。オープニングで再現されている「恋のステップ」は笠置シヅ子が1934年に大劇の柿落とし公演「カイヱ・ダムール」主題曲として歌いコロムビアから発売されたデビュー曲。作曲はレイモンド服部(と今年になって特定された)。この再現は感無量!

ラジオからは淡谷のり子=茨田のり子(菊地凛子)の「雨のブルース」(服部良一作曲)が流れ、スズ子は「ビリビリ」来る(笑)いよいよ物語が動き出し、ラストには益田次郎冠者=松永大星(新納慎也)がステージを視察に!やー、楽しみ、楽しみ(笑)

オープニングの「恋のステップ」については「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)第一章3「恋のステップ」で詳述しております。CD「ブギウギ伝説〜笠置シヅ子の世界」にも収録!

今日の「ブギウギ」で、1934年八月、笠置シヅ子のレコード・デビューとなる「恋のステップ」(作詞・高橋掬太郎 作曲・服部ヘンリー)のステージ「カイヱ・ダムール」が再現されたことは、やっぱり感無量。2023年のOSKチームが89年の時を経て、大劇(ドラマでは1937年の道頓堀劇場)のステージが、こうしてBKドラマで華やかに再現してくれているのは素直に嬉しいし、「やってて良かったなぁ」です。

この「恋のステップ」は2014年にリリースした「ブギウギ伝説〜笠置シヅ子の世界」で、レコード発売元であるコロムビアのCDに収録することができました(DISC2)。

例えていうなら「グレン・ミラー物語」で「ムーンライトセレナーデ」や「チャタヌガ・チューチュー」を再現するようなことで、朝ドラ「ブギウギ」が「音楽バイオグラフィ」でもあることを改めて実感しました。
ほんと、この仕事をしてきて良かったなぁ!です。

ほんまの家族や #4 

衝撃の急展開! UGD(SGD・松竹楽劇団)からのオファーで、スズ子へが東京へ呼ばれるもお母ちゃんは反対。そして大和礼子(=飛鳥明子)がなんと…。ドラマチックだが、史実に基づいているエピソードでもある。このあたりは「笠置シヅ子ブギウギ伝説」第2章6「スイングアルバム」 、7「笠置シヅ子東京へ!」にあたります。しかし、松永財閥(=三井財閥)の御曹司・松永(=益田次郎冠者)のキャラ!いいねぇ。今日も六郎くん、ちゃんとわかってる!

ほんまの家族や #5 

大和礼子のお別れの会。そしてスズ子の上京をお母ちゃんが認める。そこに生まれる「本当の家族の絆」根性なし一家!というフレーズが最高。退団公演のフィナーレ「さくら咲く国」の再現!そしていよいよ松竹歌劇団(梅丸歌劇団)へ。

来週のタイトルは、なんと笠置シヅ子のデビュー曲「ラッパと娘」のスキャットのフレーズではありませんか!やー、これは楽しみ、楽しみ!

「さくら咲く国」のフルバージョン↓

第6週 バドジズってなんや?

11月6日 - 11月10日

バドジズってなんや? #1

1938(昭和13)年4月21日、笠置シヅ子は特急つばめで上京。4月27日からの帝劇SGD(松竹楽劇団)初公演「スヰング・アルバム」に出演するためである。そのシーンから始まり「ゴジラ-.1.0」も歩いた数寄屋橋から服部時計店方向へのショットもあった。拙著では第二章7「笠置シヅ子東京へ!」に当たる部分。
そしてSGDの副指揮者として参加した服部良一(→羽鳥善一)がいよいよ登場。すでに翌年7月の舞台「グリーン・シャドウ」用の楽曲「ラッパと娘」を作曲していることになっている。
いよいよ、音楽伝記ドラマ、戦前ジャズの黄金時代の描写に、胸がときめく!

バドジズってなんや? #2

スズ子と秋山はいよいよ日帝劇場(日劇+帝劇・笑)へ。演出は松永大星(→益田次郎冠者)、音楽監督・羽鳥善一(→服部良一)、制作部長・辛島一平(→大谷博)たちSGD(松竹楽劇団)が勢揃い。小栗基裕演じる中山史郎は、吉本ショウからやってきブロードウェイ帰りの中川三郎!このメンバーが朝ドラに登場するだけで嬉しい。

そして一井(陰山泰)は、伝説のトランペット奏者でSGDスウィング・バンドのリーダー・斉藤広義がモデル。笠置シヅ子の「ラッパと娘」のラッパ! というわけで朝ドラの不思議な有楽町・日比谷の光景のなか、いよいよ「スウィングの女王」時代の幕開け!拙著では第二章「人生が変わる」のパートに突入であります。

バドジズってなんや? #3

「バドジズってなんや?」というサブタイトルがいい。服部良一、作詞・作曲による昭和14(1939)年SGD公演「グリーン・シャドウ」主題歌なのだけど、ドラマではスズ子と羽鳥善一の出会いの曲、「ジャズとは何か?」を体感するための重要な曲として扱われている。つまりミュージカル映画における「テーマ曲」である。
史実では、笠置シヅ子はSGD立ち上げの即戦力として1938年4月21日に上京。27日には「スヰング・アルバム」が帝劇で開幕する。それまでの数日間、笠置と服部の出会いのエピソードを、こうした形でドラマ化するのがいい。
歌い出しを500回歌っても掴めない「ジャズのフィーリング」。果たして? 明日がますます楽しみであります。

バドジズってなんや? #4 

笑う鬼・羽鳥善一の「ジャズ」を理解するために懸命なスズ子。いいねぇ、これぞ音楽伝記映画、いやドラマ。まさか2023年に「ラッパと娘」がこうしてフィーチャーされるなんて。吉祥寺の羽鳥宅のピアノの上に置いてある写真はウクライナ人音楽家で服部の師匠・メッテル先生!

メッテル先生の写真が置いてあるだけで羽鳥善一(→服部良一)のこれまでがさりげなく匂わされる。カツオくん(高田幸李)は、この父あればこの子あり!という感じのユニークな男の子。もちろん服部克久先生がモデル。

かつて克久先生とご一緒した時に『歌うエノケン捕物帖』『エノケン・笠置のお染久松』ってすごい映画だよねと、お父様の音楽による笠置シヅ子映画の話に。僕が2003年「エノケン生誕100周年」の時に、その2本の映画DVDを企画したと話すと「ありがとう、ありがとう」と。ある会食の席でしたが、その夜のことを、可愛いカツオくんを観ていたら思い出しました。

今日の「#ブギウギ」で羽鳥善一宅のピアノの上に飾ってあった一枚の写真。服部良一先生が師事した亡命ウクライナ人音楽家・メッテル先生の肖像でした。これをさりげなく置く、スタッフの配慮に感激です。

リンクは、昨夜「偲ぶ会」があった佐藤剛さんが若き日に勤めていたミュージック・ラボの代表・岡野弁さんによる渾身の評伝「メッテル先生〜朝比奈隆・服部良一の楽父 亡命ウクライナ人指揮者の生涯」です。

ぼくは剛さんの紹介で岡野弁さんのお宅に通い、服部良一先生の話、メッテル先生の話など弁さんの音楽人生のロングインタビューを重ねた日々に思いを馳せています。「佐藤剛さんを偲ぶ会」の翌朝に、テレビに「メッテル先生」が出てくるなんて!

バドジズってなんや? #5

1938(昭和13)年4月28日、帝劇でのSGD旗揚げ公演「スヰング・アルバム」初日を朝ドラで再現。スズ子がジャズを掴もうと必死に頑張った「ラッパと娘」(本当は1939年7月公演「グリーン・シャドウ」で披露)をステージ狭しと歌い踊る。最高ですね!服部良一先生と笠置シヅ子さんの1939年の挑戦が2023年にこうして再現され、全国のお茶の間(古いか・笑)に流れる。


「ラッパと娘」がこれだけの人に同時視聴されたのは史上始めてではないかなぁ。なんだか、それだけでも嬉しい、嬉しい。拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」では第二章「スイング・アルバム」「ラッパと娘」などでこの時期のSGDを詳説しております。買うてや!↓↓↓

気がかりなのはお母ちゃん(水川あさみ)が床についていること。これも史実なので、今から胸が痛みますが… 羽鳥善一のノリノリ指揮!緊張をウキウキしていると表現。このキャラ、いいですねぇ。と言うわけで茨田のり子(→淡谷のり子)の強烈な一言も含めて良かった!

「#ブギウギ」を毎日楽しんでおりますが、史実と重ねたり、実際のパフォーマンスやステージをイメージしつつ、その相違から脚色の妙、演出を味わうと言うのは、まさに「ブギウギ・マルチバース」の楽しみでもありますなぁ。しかし今日の「ラッパと娘」良かったですねぇ。ほんと、幸せです!
瀬川昌久先生にお見せしたかったです!

第7週 義理と恋とワテ

11月13日 - 11月17日

義理と恋とワテ#1 

旗揚げ公演から一年、スズ子のデビュー曲「ラッパと娘」がヒット中。というところから始まる。史実では、この年の7月に「ラッパと娘」が生まれ12月15日にコロムビアから発売される。「ブギウギ」世界線では、コロンコロン・レコード(カエルのマークはコロちゃんならぬケロちゃん?)で、宮本亜門演じる作詞家・藤村(→藤浦洸)が登場。茨田りつ子(→淡谷のり子)のキツい洗礼を受ける。

ますます面白くなってきて、虚実の「虚」に色々と時代の空気が織り込まれている。そして、羽鳥が手にしていた雑誌の「スヰングの女王」礼賛原稿は、雑誌「スタア」に掲載された双葉十三郎先生の寄稿「笠置シヅ子論」のことでは、ありませんか!

この原稿では、1939年4月17日から上映されたSGD公演「カレッジ・スヰング」における笠置シヅ子のパフォーマンスを礼賛したもの。拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」では第二章11「スウィングの女王」で引用しております。

今、婦人公論,jpにアップされている佐藤利明のエッセイは、そのパートを再構成したものです。「#ブギウギ」の世界線と「ブギウギ伝説」がシンクロ!しております(笑)

義理と恋とワテ#2

今週もダイナミックな展開。笠置シヅ子の引き抜き騒動は、1940(昭和15)年夏のこと。東宝の樋口正美からダイレクトに「日劇へ出て欲しい」とオファー。松竹の三倍のギャラアップが条件だった。ドラマでは憧れの松永大星(→益田次郎冠者)の画策ということになっていて、日宝(→東宝)社長が直接交渉にやってくる。この辺り、なるほどの脚色!

拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」でも第二章17「引き抜き騒動」でこの顛末について描いているが、服部良一がシヅ子の気持ちを汲みつつ「僕に任せておきなさい」と頼もしき行動を取るのだけど。羽鳥善一のリアクション、らしくていいねぇ。情熱の芸術家!

一方、弟八郎(→六郎)が丸亀連隊に入営するのは、実際には1938(昭和13)年1月。ここは第2章9「弟の入営と二人の母」にあたるエピソード。お母ちゃんの病気もあって、移籍を決意するあたりも、なるほどの脚色であります。このダイナミックな展開を、15分に凝縮する足立紳脚本、見事、見事! 明日も楽しみであります。

義理と恋とワテ#3

スズ子の「移籍騒動」が大変なことに。ここからは史実から離れての「ブギウギ・マルチバース」展開。軟禁寸前に逃走して、松永に逢うも失恋。「別れのブルース」が流れるなか、夜の街を彷徨うスズ子。これこれ、音楽伝記映画、いやドラマらしくなってきた。登場人物のエモーションに、ヒット曲を重ねる。王道の演出もいい。

コロンコロン(→コロムビア)レコードで、茨田りつ子のキツイが正しい一言で、自分が「浮かれていたことを知る」スズ子。史実では、松竹幹部の別荘に軟禁されている間、服部良一から次回公演の譜面を渡されて気を紛らわして、じっと事態がおさまるのを待っていたが、ドラマのスズ子は自ら行動して、何もかも悟る。これぞ物語のチカラ!

そして下宿に戻ると、羽鳥善一と作詞家の藤村が、ワイワイと新曲を作っている。この歌詞は「センチメンタル・ダイナ」(作詞:野川香文,作曲:服部良一)!名曲誕生の瞬間をフィクションで再現する。これぞ「音楽伝記もの」の楽しさ。ということは藤村は「雨のブルース」も作詞した大井蛇津郎=野川香文でもあったのか!
拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」では第二章17「引き抜き騒動」と13「センチメンタル・ダイナ」にあたる部分を、ドラマチックに脚色しているのが楽しい、楽しい。

義理と恋とワテ#4

スズ子の下宿に押しかけてきた羽鳥と藤村(宮本亜門)が「センチメンタル・ダイナ」をワイワイ作っている。この二人の創作シーンがイイ。スズ子に相応しい曲、彼女が歌って輝くための曲を作っている。これが今回のテーマでもある。「自分が自分らしくいられる」ことがいちばん。それに気づいた秋山(→秋月恵美子)は、中山史郎(→中川三郎)のプロポーズを断る。(史実では秋月恵美子はSGDに初出演してすぐにOSSKへ戻っている)

笠置シヅ子の「引き抜き騒動」と、秋山恵美子がなぜSGDからOSSKに戻ったのか。結果は史実なのだけど、そのプロセスを「#ブギウギ」の登場人物の成長のエピソードとして描いていく。答えは現実だけど、そこに導く展開は、脚本・足立紳の世界。これぞマルチ・バース。

さぁ、いよいよ明日は「センチメンタル・ダイナ」がUGDのステージで披露される! 楽しみ、楽しみ。「センチメンタル・ダイナ」はレコード、『脱線情熱娘』(梅丸いや松竹映画・笑)での映画テイクともに、こちらのCDに収録してます!

義理と恋とワテ#5
今週もスズ子の「引き抜き騒動」、秋山&スズ子の恋の顛末、そしてジャズ・ソング「センチメンタル・ダイナ」(作詞・野川香文 作曲・服部良一)のステージとダイナミックな展開。秋山と下宿のお父さんの相撲の別れ、良かったねぇ。ハイキックの土俵入り!

そして1940(昭和15)年3月15日リリース、笠置シヅ子二枚目のレコード「センチメンタル・ダイナ」をステージで歌うクライマックス。ブルースの哀調から一転、スピーディなホット・ジャズとなる。スズ子のシャウトと大阪行きの汽車の秋山のタップがシンクロ。コッポラの「コットン・クラブ」のタップと銃撃戦のシンクロを思い出した。

これぞミュージカル、これぞ音楽伝記映画の楽しみ。スズ子と秋山のセンチメンタルな屈託が、羽鳥善一(→服部良一)の作曲による「センチメンタル・ダイナ」の後半のホットな展開で消え去っていく。楽曲の構成とドラマがシンクロ! やー、見事であります。

「センチメンタル・ダイナ」の曲の魅力については、拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)の第二章13「センチメンタル・ダイナ」で詳述しております。
そして第8週「ワテのお母ちゃん」の予告でお母ちゃんの病気、六郎の出征、そして戦争の影が匂わされて…十数秒の予告に凝縮されたこれから・・・

第8週 ワテのお母ちゃん

11月20日 - 11月24日

ワテのお母ちゃん #1

1939年9月1日、ナチスのポーランド侵攻で第二次大戦が勃発。一気に戦時色が高まっていく。朝ドラらしい展開。松永が辞めた後のSGDは、山口国敏がモダンな演出を引き続ぎ、服部良一のジャズ志向がさらに高まっていたが、そこはマルチバース。新たな演出家・竹田が「時局に沿った」ステージを演出。目立たぬようにとスズ子が会社からも念を押される。

「おとなしゅうするんが、お国に奉公することになるんやろうか?」
挙国一致の「新体運動」はやがてジャズへの弾圧になっていくが、このあたりは「笠置シヅ子ブギウギ伝説」第二章15 「ペニイ・セレネード」で細かく触れております。

服部良一の恩師・メッテル先生が日本を去ったエピソードも語られ、六郎へも赤紙が届き、時局はエンタテインメントや娯楽から「自由」を奪っていくことなる。お母ちゃんの病気とともに、明朗な「ブギウギ」世界にも暗雲が・・・

ワテのお母ちゃん #2

今日は、久々に大阪・福島の「はな湯」中心に、お母ちゃんの病気、そして六郎の出征が描かれる。「朝ドラ」ではお馴染みの展開だけど、登場人物への感情移入が合えるだけに、これからの運命を考えると切ない。

六郎を演じている黒崎煌代くんが素晴らしい。「裸の大将」の系譜の「無垢な魂と戦争」というテーマが際立つ。無邪気に坊主頭にしたことを喜び、お父ちゃんの激昂に「大きい声好かんね」と傷つく。六郎の無垢な魂は、この物語の「救い」でもあったが…

「軍隊では頑張るねん」「鈍臭いの卒業するねん」と決意を表明してお母ちゃんを涙ぐませる。そんな六郎の素直さを誉めるお母ちゃん。出征の朝の「行ってまいります」ではなく「行きます」の意味…見送る人々の万歳の虚しさ。

東京の劇場でも挙国一致」のスローガンが虚しい。「新体制」に淡っせて「いつも通りに、でも目立たぬように」との方針。スズ子の「ただのどっちつかずじゃないんですか?」との怒り。

1940年7月7日「7.7禁令」から、エンタテインメントへの逆風が吹き始めるが、服部良一や笠置シヅ子たちは「これまで通り」であり続けようとした。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」第二章の後半は、こうした「戦争とエンタテインメント」について描いております。

ワテのお母ちゃん #3

丸亀連隊への入隊を前に「もう会えないかも」と、弟・六郎が上京。スズ子の下宿で一夜を過ごす。屈託のない素直な六郎を演じる黒崎煌代が素晴らしい。下宿で出されたご飯を深夜にもかかわらずパクパク食べる生命力。しかし戦争での死への恐怖を抱えている。押しつぶされそうな気持ちを、寝床でスズ子に涙して話す。ギュッと抱きしめるスズ子。このシーンはたまらないなぁ。

そして大阪では病気のお母ちゃん(水川あさみ)が「わてバチでも当たったんやろか。スズ子、キヌに会わせんかったから、そのバチやろな」とお父ちゃん(柳葉敏郎)に話す。それでも「このまま何があってもスズ子をキヌに合わせてほしくない」。これから先、自分の知らないスズ子を、キヌが見届けることに耐えられない。という本音。

今回は、姉弟、夫婦。それぞれが布団で本音を語る。見事な脚色。わずか15分の時間に、これだけのドラマが凝縮されている。そして「ハハキトク」の電報。しかしステージに穴は開けられない。ショー・マスト・ゴーオンである。竹田(野田晋市)、羽鳥善一(草彅剛)のそれぞれの立場でのプロフェッショナルについてのことば。これも見事。

お客さまには、プライベートなことは一切関係ない。スズ子は悲しみと不安を抱きながらも、プロとしてステージに立つ。「センチメンタル・ダイナ」をシャウトするスズ子。この曲は、この瞬間のために描かれたのではないか!と思ってしまうほど、ハマっている。これぞ音楽伝記映画(いやドラマ)の真髄! 

今週の展開は「笠置シヅ子ブギウギ伝説」では第二章9 「弟の入営と二人の母 」で執筆しております。(このパートは婦人公論.jpで公開中)やー、足立紳脚本、水川あさみ、黒崎煌代の芝居は本当に素晴らしい。朝から泣かされました!

ワテのお母ちゃん #4 

スズ子が大阪へ。病床のお母ちゃんとのやりとり。切ないなぁ。けどアホのおっちゃんが一週間かけて探してきた桃を食べたお母ちゃんが床から出て、番台へ。いつものように元気に。マジックモーメントある。この辺りはベタだけどいい

再び床についたお母ちゃんとスズ子のやりとり。お父ちゃんが加わって、漫才のような会話になる。「死んだら二度とお母ちゃんに(歌)聞かせたらん」「そりゃイヤやな」「このイケずドアホ娘!」「ワテはスターやから金とるぞ」親子三人のおかしくて、やがて悲しき親娘漫才

「梅丸楽劇団 福来スズ子が歌います」とお母ちゃんに聞かせるのは、少女時代に風呂の掃除をしながら歌っていた「恋はやさし」。ああ、これも「音楽伝記映画(ドラマ)」の味わい。切ないなぁ、悲しいなぁ。

今週は、弟・六郎の出征、母・ツヤの死と、つらい展開なのだけど、それゆえホームドラマとして凝縮された味わい。「#ブギウギ」の今後、ますます目が離せないですなぁ。

ワテのお母ちゃん #5

ツヤ(水川あさみ)のお通夜。スズ子ははな湯を閉めて梅吉(柳葉敏郎)に東京で一緒に住もうと。ここまでは史実と同じなのに、そこからの急展開は「吉本新喜劇」のラストのような、アッと驚く奇跡の連続(笑)

で、はな湯「最後の日」に、いきなりの本上まなみの登場! 記憶喪失の缶焚きのおじさん・ゴンベエ(宇野祥平)の正体が、ここでわかる。しかもお母ちゃんが昔書いた「尋ね人」のチラシが起こした奇跡。はな湯は安泰。梅吉は大阪に残るのか? 

と「#ブギウギ」は史実を離れてのホームドラマの世界線になるのかと思いきや・・・やー、これはすごいなぁ。泣いて、泣いて、大笑い。でラストは、史実通りに。この世界線の行ったり来たりが「#ブギウギ」の楽しさ。

今週の「ワテのお母ちゃん」には、足立紳のシナリオの妙に、良い意味で翻弄されて、泣かされて、最後はハートウォーミングとなる。見事だなぁ。来週も楽しみであります。

第9週 カカシみたいなワテ

11月27日 - 12月1日

カカシみたいなワテ#1

今週は、お母ちゃんが亡くなって一年、お父ちゃん(柳葉敏郎)は飲んだくれの日々。昭和15(1940)年7月7日の「7.7禁令」をデフォルメして、わかりやすく描いている。実際は、この年の3月に笠置シヅ子の「センチメンタル・ダイナ」、4月「セントルイス・ブルース」がリリースされている。史実とは巧みに一年ずらしをしている足立紳脚本。

「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめませう」のスローガンがここから始まった。実際には、ドラマのようなエンタテインメントへの締め付けはもう少し後からなのだけど、笠置シヅ子が舞台で「三尺四方はみ出して」歌ってはならないと、検閲官から指導されたのは史実。付けまつげもターゲットとなった。
そのあたり、時代の空気がガラリと変わった感じを、今日のエピソードではわかりやすく描いている。すべて「前線で闘っている兵士の労苦を思えば」の思考停止で、無茶苦茶な規制がまかり通り始めていた。SGD(松竹楽劇団)でも次第に、欧米のジャズは演奏できなくなって、日独伊三国同盟以降は「枢軸国の音楽」以外はNGとなっていく。

そのあたりは「笠置シヅ子ブギウギ伝説」の第二章19「笠置シヅ子とその楽団」で詳述しております。ただ、昭和15年はまだ都会ではジャズに対しては寛容で、「7.7禁令」はあくまでもお上のやっていること、自分たちは関係ない、と考えている実演家も多かった。

この頃の映画を観ていても「忠君愛国」を謳いながらも、エノケンがジャズソングを歌ったりしていた。「本音と建前」だったのである。しかしそうした締め付けが「空気」となり「非国民」呼ばわりしていく、庶民が今でいう「ネトウヨ」的になっていくのは、あっという間だった。

そうした時代の空気の変化を、今日のエピソードは、わかりやすく描いている。「ラッパと娘」は三尺四方の枠の中では歌えないからねぇ。思わず、飛び出してしまったスズ子に、丸の内署の警官が「公演中止!」と怒鳴る。大袈裟に見えるかもしれないが、そんな時代になってしまったのである。

カカシみたいなワテ#2

今週は櫻井剛脚本。7.7禁令以降、パフォーマーに対する風当たりが強くなり、スズ子も丸の内署で「指導」を受けるが、茨田りつ子(菊地凛子)は自分であり続けるために必死の抵抗。笠置シヅ子と淡谷のり子の資質の違い、キャラクターの違いを鮮やかに描いている。

丸の内署の廊下、スズ子が戻ってくると入れ替わりに新劇の役者たちがしょっ引かれてくる。日帝劇場(なんというネーミング!)の前の国防婦人会の奥さんたちが、派手な服装のりつ子を見咎めるシーン。ぼくが子供の頃の朝ドラや銀河テレビ小説では、こうした描写がよくあり、子供心に「自由が奪われた時代」をイメージすることができた。

「これは私の戦闘服です。丸腰では戦えません」と毅然と反論するりつ子。かっこいいなぁ。この「ぜいたくは敵だ」キャンペーンに、みんなまんまと乗って、庶民の分断がどんどん広がっていった。嫌な世の中だねぇ。でもSNSでもこんな分断が日常茶飯事だもんなぁ。

「三尺四方をはみ出して歌ってはならない」というルールに従って、つけまつ毛をカットして「ラッパと娘」を歌うスズ子に、「カカシが歌っているみたいだったわ。今日のあなたはつまんない」と言い放つりつ子。エンタテイナーとしては正論だけど、時局に抗うことになる。この辺りの対比がわかりやすくていいねぇ。
そしてなんと、田舎からスズ子に憧れて上京してきた小林小夜(富田希望)が弟子入り志願。もう「いなかっぺ大将」の世界というか、このアナクロニズムがたまらない。久世光彦「水曜劇場」のような崩し方で、ああ、ホームドラマを観ているんだなぁという不思議な幸福感につつまれる。

さて、今宵は、名古屋・今池得三で19時から「笠置シヅ子ブギウギ伝説」トークライブ、ブギウギナイト!を開催します。これまでの「#ブギウギ」のおさらい、これからの展開、登場する楽曲エピソードを予見するようなイベントです。動く笠置シヅ子さんの超絶パフォーマンスを、娯楽映画研究所から蔵出しして、ホットでブギウギな夜に!ぜひ、いらしてください。

カカシみたいなワテ#3

櫻井剛脚本での展開は、これまでの音楽ヒストリーからホームドラマの王道になってきた。スズ子に弟子入りした小林小夜と梅吉が意気投合。親の縁が薄かった小夜は「お父ちゃん」と慕って二人で昼から酒盛り。ああ、それはあかんやろ。で、スズ子の怒りが大爆発。

趣里ちゃんの芝居、迫力あるなぁ。何かにつけて厳しかったという笠置シヅ子さんの一面を垣間見るような怒り方。圧倒されました。彼女が情けない気持ちになるのも無理はない。ステージのでの自由な表現が奪われ、バンドマンが一人づつ戦地へ。当局の締め付けだけでなく、時局に迎合した人々からの誹謗中傷がヒステリックにエスカレート。

昨夜の今池得三でのブギウギナイトでも「時局と大衆の変化」について語ったばかり。辛島の「音楽を楽しみたい人たちと、糺したい人たちの板挟み。何をすればいいのか、分からない」とUGD楽劇部長・辛島一平(安井順平)の苦悩… 本当に嫌な時代である。嗚呼!

12月1日のNHKカルチャーオンライン講座「佐藤利明の熱烈歌謡曲 ブギウギ伝説・笠置シヅ子の音楽人生を語る」では、そうした時代の変化、当時の感覚についてもお話できればと思っています。

カカシみたいなワテ#4 

ますます戦時色になるなか、当局の検閲やそれに対する忖度もあり、服部良一作曲、高峰三枝子の「湖畔の宿」が槍玉に。一方、東宝映画主題歌「支那の夜」李香蘭の「蘇州夜曲」は検閲を免れて大ヒット。そうした時代の空気を(ややざっくりとだけど)再現している。

ホームドラマ的には、スズ子と梅吉は喧嘩したまま、下宿でも上と下で別々に暮らしている。コーヒーも自由に飲めなくなりつつある時代、羽鳥善一もまた苦悩している。史実では、まだ昭和15年は自由にジャズが演奏できて「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」「セントルイス・ブルース」と笠置シヅ子の「スウィングの女王」全盛時代だった。

スズ子が「蘇州夜曲」を梅丸楽劇団のために「歌わせて欲しい」と申し出るも羽鳥は「君はここから歌いたいわけじゃないんだろ?」。スズ子に相応しいのはやっぱりこの曲しかないということで、稽古場で羽鳥のピアノ伴奏で、久しぶりに自由に「ラッパと娘」を歌い踊る。素晴らしいねぇ。でも切ない。

そして楽劇団の解散。これも史実をデフォルメしているけど「時代」をわかりやすく伝えるための脚色。実際は1941(昭和16)年正月の邦楽座公演「桃太郎譚」を最後に、松竹楽劇団は解散。この公演には笠置シヅ子は参加していなかった。この辺りは「笠置シヅ子ブギウギ伝説」の第2章19「笠置シヅ子とその楽団」で描いております。

12月1日(金)NHK文化センター青山で19時から「佐藤利明の熱烈歌謡曲 ブギウギ伝説・笠置シヅ子の音楽人生を語る」を開催。オンラインでも受講できます。

カカシみたいなワテ#5

今日で通算45話。梅丸楽劇団解散でステージを失ってしまったスズ子。「あかん、歌い方を忘れてしまう」13歳でデビュー以来13年、ずっとステージに立ち続けてきたが「時局」が歌うことを奪ってしまった。ではどうするのか?が今日のお話。

史実では松竹楽劇団解散後、笠置シヅ子はSGDスウィングバンドの中澤寿士をバンマスに「笠置シヅ子とその楽団」を結成。バンドを率いて全国巡業を始めて、戦時中も歌い続ける。そうした活動のサジェッションをしてくれたのは、服部良一であり淡谷のり子でもあった。

というわけで「ブギウギ」マルチバースでも、茨田りつ子の「舞台に齧り付いてでも、自分の歌を歌いなさい」に刺激を受ける。こんな時局だからこそりつ子は、自分の楽団を率いて、ステージを続けている。「別れのブルース」に魅了される観客。臨検の警官もしみじみ聞いているのがいい。

お父ちゃんが伝蔵のおでん屋台で大げんかした理由も明らかになる。誰もがスズ子の「自分の歌」を聞きたいのだ。親子酒のシーンもしみじみいい。で、ショー・マスト・ゴー・オン。スズ子は「福来スズ子とその楽団」を結成すべく、バンマス・一井(陰山泰)に声をかける。ああ、一井は、「ラッパと娘」の斉藤広義と中澤寿士、二人がモデルなんだと納得。

今夜、19時からNHK文化センター青山で「佐藤利明の熱烈歌謡曲 ブギウギ伝説・笠置シヅ子の音楽人生を語る」講座では、戦前、戦中、戦後の笠置シヅ子さんと服部良一さんの音楽人生についてお話をします。オンラインでもご参加できます!

第10週 大空の弟

12月4日 - 12月8日

大空の弟 #1

タイトルだけでも展開がわかる。切ない。「福来スズ子とその楽団」旗揚げたものの時局は益々ジャズに対して厳しい。調子の良いマネージャー、五木ひろき(村上新悟)登場。史実では、淡谷のり子の紹介で楽団のマネージャーとなった中島信という人で、戦時中に笠置シヅ子とその楽団は、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまう。

だからこそのC調キャラ。四人編成の楽団に仕事がないまま、1941年12月。嗚呼、いよいよか…トラブルメーカー小林小夜も戻って来て、凝縮された展開なのだけど、インパクトがあったのは丸の内警察署でまたまた取り調べを受けていた茨田りつ子が、憤りを感じて青森弁で叫ぶシーン。淡谷のり子のポリシー、時局に抗いながら、自分を貫いた「あの頃」を再現している。
そして、本日の最後、役場の人が届ける「戦死広報」…。これも史実通りなのだけど、六郎のキャラクターが魅力的だったので、なんともつらいなぁ。

大空の弟 #2

1941(昭和16)年12月6日、笠置シヅ子の弟・八郎は仏印沖で戦死。そして12月8日日本が米英に宣戦布告、太平洋戦争が開戦となる。「#ブギウギ」でも最愛の弟・八郎の戦死広報が届いて、お父ちゃん、スズ子がそれを俄には受け止めることができない。紙切れ一枚で伝えられる弟の死。気丈に振る舞うことで考えないようにするスズ子。つらいなぁ。

「ラッパと娘」を歌っても「悲しいお方も」で声が詰まる。タップを踏もうにも足が動かない。不眠のままいくつかの夜が過ぎる。下宿のおばちゃん夫婦が出してくれたおにぎり。イイなぁ。その日、ラジオからは日米開戦を告げる「大本営発表」。

誰もが「これで戦争に勝てる」「勝ったら景気が良くなる」と晴れがましい気持ちで万歳の声をあげる。これが当時の庶民のリアクションである。その歓呼の声と裏腹に暗く沈んだスズ子が街を歩く。沈鬱な表情からやがて、スズ子も意を決したように万歳!と手をあげる。趣里の演技が本当に素晴らしい。彼女がどんな思いで万歳をしたのか? 戦時下の日本人の複雑な心境が見事に描かれている。

今週のタイトル「大空の弟」は、戦死した亀井八郎のために服部良一が村雨まさをのペンネームで作詞、作曲した楽曲。笠置シヅ子は戦時下の公演でこの歌を歌い続けた。長らく幻の曲とされていたが、2019年に楽譜が発見され、神野美伽が笠置シヅ子を演じた舞台「ハイヒールとつけまつげ」ではじめて歌われた。
このことは、拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」第三章21「アイレ可愛や」で1941年12月8日の服部良一先生、その頃の笠置シヅ子さんはどうしていたのかと共に描いております。

大空の弟 #3

太平洋戦争が始まり、真珠湾奇襲による「勝ち戦」のムードで人々は「お祭り」のような気分に。しかしスズ子は最愛の弟・六郎の戦死のショックから抜けられない。喫茶店で羽鳥に六郎の思い出を語り「葬式とお祭りがいっぺんに来たようです」と心情を話す。

笠置シヅ子の弟・八郎は1941(昭和16)年12月、開戦直前に移動中に亡くなっている。歓呼の声のなか、最愛の弟の死をどう受けたのか。その本音は僕たちにはわからないが、櫻井剛のシナリオはスズ子の気持ちを素直に描いている。

一方、お父ちゃん・梅吉(柳葉敏郎)も東京を引き払って香川に戻る決意をする。東京に居場所がないという梅吉。お父ちゃんには帰るところがあるけどワテにはないとスズ子。二人ともギリギリの気持ちである。羽鳥善一宅に呼ばれたスズ子と茨田りつ子(菊地凛子)に、羽鳥は二人の「合同公演」を持ちかける。

笠置シヅ子と淡谷のり子の合同公演は、開戦まもなく、実際に開催されている。「スウィングの女王」と「ブルースの女王」の競演。誰もが「これは行ける」と思うが、スズ子は六郎ショックで歌が歌えなくなってしまっている。「ラッパと娘」の「悲しいお方も」のフレーズで詰まってしまう。

辛さを抑えて気丈に振る舞っていても、ギリギリの感情である。そうしたなか、羽鳥善一はスズ子から聞いた六郎のこと、弟への思いを込めて「大空の弟」(作詞・村雨まさを=服部良一)を作曲する。近年、この譜面が発見され、2019年に舞台「ハイヒールとつけまつげ」で披露された「大空の弟」がこうして笠置シヅ子の曲としてドラマの中で誕生する。

#ブギウギ」が音楽伝記ドラマとして優れているのは、こういう展開にある。ストーリーも感情も、悲しみも全て、笠置シヅ子が歌った楽曲に集約させていく。見事だなぁ。

大空の弟 #4

今日は神回。15分のドラマで1941(昭和16)年12月23日の茨田りつ子と福来スズ子合同公演のライブをタップリと見せてくれるとは!史実でも淡谷のり子と笠置シヅ子の合同公演は太平洋戦争開戦まもなく開催されている。まずりつ子の「雨のブルース」。1938(昭和13)年、野川香文作詞、服部良一作曲。つまり「センチメンタル・ダイナ」を書く二人による、淡谷ブルース第二弾。

りつ子の「歌手は歌と共に生きております。この世がどうあろうと 絶望に打ちひしがれようと、歌うことは生きること、それに変わりはありません」のセリフ、まさにアイ・クッド・ゴー・オン・シンギングの精神!これだけでもクライマックスなのに、続いてスズ子が、六郎への想いを込めて「大空の弟」(作詞・作曲:服部良一)を歌う。


シンプルなピアノ演奏で、六郎の戦地からの便りを歌う。勝利の報告がどこか虚しく「〇〇部隊」と伏字だらけの手紙に対する苛立ち、家族の悲しみが込められた歌詞。一見、戦意高揚の軍事歌謡でありながら、笠置シヅ子の、福来スズ子の「悲しみ」がストレートに伝わってくる。この曲は、2019年に譜面が見つかって、ようやくその存在が確認された。

つまり1940年代の笠置シヅ子、服部良一の想いがそのまま80年以上眠っていて、2019年に大阪で開催された神野美伽のミュージカル舞台「ハイヒールとつけまつげ」で披露され、今日、福来スズ子によって、テレビを通して、こうして僕たちに届いた。「#ブギウギ」世界線が、時空を超えて戦時中の笠置シヅ子とリンクしたのである。

「大空の弟」を歌い終わって、号泣したまま立ち上がれないスズ子に、羽鳥は「福来くん、しっかりしなさい」と優しく、厳しく、頼もしく声をかける。草彅剛、本当にいいねぇ。羽鳥善一という人物の素晴らしさを体現している。スズ子が客席に六郎の幻影をみて、心の澱、屈託が溶けていくショットが素晴らしく、感涙、いや号泣。

そして「ラッパと娘」!福来スズ子とその楽団の四人によるスウィンギーな演奏!吹っ切れたスズ子のシャウト! 最高の「ラッパと娘」のパフォーマンスをたっぷりを見せてくれる。ここでりつ子の「歌うことは生きること」の言葉が生きてくる。ああ、これぞ音楽伝記映画(ドラマか)。今日の「ラッパと娘」は番組史上最高でありました。


というわけで娯楽映画研究家は、この感動を胸に、明後日12月10日(土)、笠置シヅ子さんの故郷、東かがわ市引田 讃州井筒屋敷での第6回佐野新平翁まつり「佐藤利明が語る笠置シヅ子のブギウギ伝説」トークライブに登壇します。13時30分スタート、入場無料(先着順)です。お近くの方は是非是非!

 大空の弟#5

エピソードの締めくくりに相応しい心温まる父と娘の「親子酒(スズ子は呑んでないけど)」がいい。アバンタイトルで、合同公演での茨田りつ子の「雨のブルース」がリフレインされ、淡谷のり子の存在感が一気に増す。そして伝蔵で呑んでいる梅吉とスズ子の会話。

「六郎の歌 あれ、ええな」

「せやろ」

「涙止まらんやった お前の歌聞いてたら 正直になったわ 誤魔化されへん 六郎は死んだんやな」

梅吉もスズ子も、六郎の戦死をようやく受け止めて、次への一歩に踏み出す。1941(昭和16)年暮れ、世間は戦勝ムードに浮かれる一方、庶民はそれぞれの悲しみや屈託も抱えていた。いつまでもスズ子の世話になっていたら、甘えてしまうから、今度こそ頑張りたいから、と梅吉は香川へ帰る決意をする。

「大空の弟」を聞いていたら、六郎だけでなく、お母ちゃん・ツヤのことまで思い出してとお父ちゃん。「お前が歌うてくれていたら、寂しいない」としみじみ。「決まっとるやろ、親子だから」とスズ子。血は繋がっていないけど、二人の絆は固い。「お前がワシの娘でよかった」「ワテも」。いいなぁ。

別れの朝、梅吉は「元気でな」と一言。スズ子は「しんどなったら、戻ってきていいから、困ったことがあったら…」。そう、寅さんの旅立ちに妹・さくらがかける言葉と同じである。「#ブギウギ」が優れているのはこういうツボをきちんと抑えてくれていること。「ほなな」「ほな」のやり取りに親娘の感情の全てが込められている。

しかし時局は、スズ子やりつ子の歌う場所を奪っていく。コロンコロンレコードには当局が「不適切」と判断した音盤の山が返品されてくる。「別れのブルース」のような退廃的な曲は次第に追いやられていく。東京ではもう歌えない。

そこで「福来スズ子とその楽団」は秋田での興行へ。そんなスズ子に羽鳥善一は、新曲「アイレ可愛や」の譜面をプレゼントする。「福来くん、歌い続けるんだ」。「アイレ可愛や」はジャズが歌えなくなった笠置シヅ子のために、服部良一が書いた南方歌謡。「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)第三章21「アイレ可愛や」でこの曲の成り立ちについて詳述してます。

「アイレ可愛や」については、通販生活「オトナの歌謡曲」でも「大空の弟」と共にコラムを執筆しました。近日中にアップ予定です。さて、明日12月9日(土)東かがわ市引田・讃州井筒屋敷で「佐藤利明が語る笠置シヅ子のブギウギ伝説」トークを開催。13時30分から!

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。