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『鞍馬天狗』(1928年7月12日・嵐寛寿郎プロダクション)

山口哲平監督、アラカンさんが「寛プロ」を設立しで初の『鞍馬天狗』(1928年7月12日・嵐寛寿郎プロダクション)を娯楽映画研究所シアター・スクリーン1(一つしかないけど)で上映。

映画史上、初めて鞍馬天狗を演じたのは、大正13(1924)年、帝国キネマ『女人地獄』(長尾史録)の実川延笑、二代目が『鞍馬天狗 前中後篇』(1925年・日活大将軍・高橋康寿)の尾上松之助。アラカンさんは三代目となる。大阪の青年歌舞伎を脱退し、マキノプロダクションに入社して映画俳優となった嵐和歌大夫(嵐寛寿郎)は、嵐長三郎と名乗ることに。その時、マキノ省三監督から「この中からやりたい役を選べ」と、講談社の雑誌「少年倶楽部」(昭和2年3月号)を渡され、大佛次郎の「角兵衛獅子」を選び鞍馬天狗を演じることとなった。それが『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』(1927年4月29日・マキノプロ・曽根純三)だった。

 嵐長三郎は、マキノプロで『続・角兵衛獅子』(1927年8月12日・同)、『角兵衛獅子功名帖』(1928年2月10日・同)と3本の「鞍馬天狗」に出演後、マキノプロを脱退。嵐寛寿郎と改名、嵐寛寿郎プロダクションを設立。その第一作が、昭和3年7月12日公開の本作である。

 鞍馬天狗と角兵衛獅子・杉作の大冒険を、この後、繰り返されるお馴染みの展開の最初の映画版。前後編で71分なのだけど、鞍馬天狗(嵐寛寿郎)が出てくるのは前編の後半になってから。ヒーローものはそれで良いと思わせる前編の主役はほぼ杉作(嵐佳一)。

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 文久2年、勤皇の志士・倉田典膳こと鞍馬天狗が新撰組と偽って大阪城内に潜入。幕藩方の「暗殺人別帳」を手に入れるためだった。しかし、すぐに正体がバレてしまい、囚われの身となる。その情報を入手した幕藩方の密偵・暗闇のお兼(五味国枝)は、新撰組の近藤勇(小林礼三郎)に報告すべく京都へと向かう。また、その手柄を自分のものにせんとする隼の長七(尾上松緑)も、お兼を出し抜くべく京都へ。

一方、覚兵衛獅子の少年・杉作(嵐佳一)は、倉田典膳を慕うお露(生駒栄子)とともに大阪城へ向かう。城内の水牢に幽閉されていると知った杉作は、堀に飛び込んで、抜け道を見つける。同じ頃、新撰組の近藤勇も、鞍馬天狗処刑のために大阪へ向かっていた。

 杉作が、近藤勇に「大阪城に行かないで!」と橋の上で懇願すると、近藤勇は、「大阪はどっちだ?」と問う。近藤の真意を知った杉作は、反対方向を指差して、近藤は納得して京方面へ。これも日本人の好きな腹芸だけど、ああ、近藤勇は良い人だなぁと、観客は敵ながらあっぱれと大喜び。時代劇の面白さは、言わずもがなの腹芸にあり。

 前編のクライマックスは、大阪城を抜け出した鞍馬天狗が、追手をバッタバッタと薙ぎ倒す。アラカン先生、カッコいいのなんの!

 後篇は、かつて杉作の親方だった黒姫の吉兵衛(嵐橘右衛門)の下で身を寄せている倉田典膳に最大のピンチが訪れる。吉兵衛の妹で敵方のお兼の密告で、典膳の居所が見廻組の佐々木只三郎(秋吉薫)にバレてしまう。佐々木は桂小五郎(中村竹三郎)の名前を騙った偽の回状で、典膳を呼び出す。まんまと騙された典膳、暁国庵で孤軍奮闘の闘いを繰り広げる。いずれもお馴染みの展開だが、昭和3年の京都ロケーションを眺めているだけでも楽しい!

 クライマックスは、暁国庵に向かう、新撰組、杉作率いる角兵衛獅子軍団、桂小五郎たち勤皇党のカットバック。南禅寺境内などで撮影している。しかも一番良いところで「?」マークが出て、映画は終わる。次作『鞍馬天狗 恐怖時代』(11月30日・寛プロ=マキノプロ・山口哲平)へと続いていく。

 嵐寛寿郎は、昭和31(1956)年の『鞍馬天狗 疾風八百八町』(宝塚・志村敏夫)まで29年間、鞍馬天狗を演じ続けることとなる。この映画が作られた昭和3年、渥美清が誕生。49年後、アラカンさんは『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(1977年・松竹・山田洋次)に出演。鞍馬天狗のおじさんは、息の長いスターだったんだなぁと。

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