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『阿片戦争』(1943年1月14日・東宝・マキノ正博)

 昭和18(1943)年1月、東宝が鳴り物入りで公開した大作スペクタクルロマン。前年12月3日公開の開戦一周年記念映画『ハワイマレー沖海戦』(山本嘉次郎)に続いて、円谷英二の特殊技術をふんだんに活かした「国威発揚」を謳った勇ましい作品でもある。この映画が封切られる3日前には、英米が、日本が占領していた中華民国での租借権を放棄して、中国=重慶国民政府に返還したことで、そのムードがより高まっていた。一方、ニューギニアのブナでは日本軍が全滅するなど戦況は悪化、勇ましくぶち上げていた「大東亜共栄圏」の夢は、次々と壊れつつあった。

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 もちろん銃後の庶民には、そんなことは伝わる由もなく、「英米憎し」を誰もが盲目的に口にしていた。この『阿片戦争』は、清とイギリスの間で1840年から1842年にかけて行われた戦争。イギリスの東インド会社は領地であるインドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利を得ていた。表向きは阿片販売を禁止していた清だったが、その蔓延は止まるところを知らず、取り締まりは不可能だから、輸入を認め、関税を徴収したほうが良い、という「弛禁論」が出てきた。しかし、それよりも、阿片吸引者を断罪し、風紀を粛正すことで、阿片需要を消滅させることで銀の国外流出を断つことができる、との「厳禁論」を、清国8代皇帝・道光帝が採用した。そこで「厳禁論」の先鋒であった林則徐が、特命全権大臣・欽差大臣として、広東に赴任、阿片の徹底取り締まりに当たった。

 というのがこの映画の前段に当たる。つまりイギリスは中国の銀獲得のために、インドで阿片を製造し、中国に売りつけていた。それを徹底的に排除すべく立ち上がったのが林則徐(市川猿之助)で、その政策に対して反発したのがイギリスの貿易監督官・チャールズ・エリオット(青山杉作)。映画『阿片戦争』はこの二人のトップの対立を軸に、阿片中毒で苦しむ庶民、アヘン窟で大儲けをする商人たちのドラマを盛り込んで、阿片戦争勃発までを描いている。

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脚本は小国英雄と、ノンクレジットながら黒澤明。林則徐(市川猿之助)が正義の政治家で、その腹心である近衛兵・穆資英(河津清三郎)と陳南田(坂東好太郎)がヒーロー。つまりハン・ソロとルークのような大活躍を見せる。そしてイギリス本国からの非難を無視しながら清への阿片輸出を促進するために、英国印度総督府から広東へ派遣された貿易監督官・チャールズ・エリオット(青山杉作)と、その弟の海軍将校・ジョージ・エリオット(鈴木伝明)の兄弟が悪役。パルパタインとアナキンというわけである。

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 この両者の対立を軸に、映画のロマンチシズムとなるのが、美しい愛蘭(原節子)と可憐な妹・麗蘭(高峰秀子)の姉妹。盲目の麗蘭を直すために、田舎から広東へ出てきた愛蘭は、眼の薬と信じて阿片を妹に与えている。林則徐の命で軍隊による「阿片一斉取り締まり」で起きたパニック、大混乱の中で、姉妹が離れ離れとなってしまう。姉・愛蘭は林則徐に庇護され、勇者・穆資英(河津清三郎)と恋に落ち、妹の行方を案じている。妹・麗蘭(高峰秀子)は、阿片中毒の老人に、悪徳商人・黄露萍(山本礼三郎)に売り飛ばされてしまう。

 生々流転、混乱のさなかの姉妹の生き別れ。果たして再会はできるのか? これはD・W・グリフィス監督『嵐の孤児』(1921年)のシチュエーションをそのまま持ってきて、戦乱の中のドラマの軸にしている。このあたりの脚色が見事。『嵐の孤児』は、18世紀末のパリを舞台に、リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュ姉妹が演じる二人が、フランス革命、ロベスビエールの恐怖政治の中、生々流転をするというもの。これを翻案して『阿片戦争』のスペクタクルロマンの「ロマン」のパートが感動的になった。

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 とにかく原節子さんが美しい。精悍な若者時代の河津清三郎さんと、広東総督府での舞踏会で踊るシーンは、まるでハリウッド映画のよう。妹が心配で顔を曇らせる原節子さんに対して、河津さんは「僕の仇は妹さんです」などと二枚目なセリフを言う。黒澤明が脚本参加しているのが頷けるほど「洋画的」なシーンやセリフがたくさんある。クライマックス、原節子さんが、東宝舞踏隊(日劇ダンシングチーム)の踊り子たちを従えて、華麗に踊るミュージカル・ナンバー。服部良一さんの音楽、演奏も素晴らしく、東宝娯楽映画の水準の高さを感じる。

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 一方、可憐な高峰秀子さんも素晴らしい。山本礼三郎さんの酒場に売り飛ばされ、芸を仕込まされて、酔客の前で、いやいやながら歌を唄わされる。この映画のために、西条八十さんが作詞、服部さんが作曲、渡辺はま子さんがレコードで唄った「風は海から」である。最初は仏頂面(デコちゃん得意の!)だったのだが、山本礼三郎さんに叱られ、覚悟を決めてからの堂々たる歌いっぷりがいい。

♪風は海から 吹いてくる
ゆれる港の 柳の枝で
泣いているのは 目のない鳥か
わたしも目のない 旅の鳥

 ちなみにこの「風は海から」は、この年4月1日封切りのエノケン映画『兵六夢物語』(青柳信雄)の中で、狐の妖怪・怪童女を演じた高峰秀子さんが、替え歌で歌うシーンがある。それほど『阿片戦争』でのこの歌が人々に親しまれた、ということの証でもある。

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また、東宝映画でお馴染みの面々のキャスティングも適材適所。アヘン窟のオーナー、丁徐伯(小杉義男)の狡猾さ、阿片中毒者(菅井一郎)の侘びしさ。安定の丸山定夫さんは、混乱の最中、原節子さんを助けてくれる、心優しき林牙梁を好演。丸山さんの知性的な雰囲気は、東宝モダニズムのインテリジェンスを支えていたことがわかる。

 初代・市川猿翁となる市川猿之助さんの林則徐は、堂々としたヒーローぶりで、歌舞伎を見るような、良い意味でのオーバーな演技に風格がある。新劇の巨人・青山杉作さんがつけ鼻をして老獪なチャールズ・エリオットを演じているが、まるで新劇の赤毛もののようで、これはこれで、流石にうまい。ヴィジュアル的には違和感があるが、見ているうちに、青山さんの芝居に納得させられていく。この歌舞伎の巨人と新劇の巨人が、丁々発止、それぞれの立場を主張しつつ、腹芸を見せる総督府での交渉シーンが素晴らしい。異なるメソッドの役者を対峙させることで、中国人とイギリス人の明確な違いを、観客に納得させる。恐るべし、マキノ演出!

で、猿之助さんが、総督府の舞踏会で、やはり東宝舞踏隊をバックに、堂々たる剣舞を見せる。僕らの知っている二代目・市川猿翁さんの「スーパー歌舞伎」の原点のような、衣裳、踊りに惚れ惚れする。踊りの最後に、手にしていた剣を、総督府の象徴ともいうべき時計(イギリスから贈られたもの)に投げつけて、時計盤に刺さった剣が、時計の針を止める。林則徐の覚悟、最後通牒と、観客が受け止めるような演出。これをミュージカル・シーンに持ってくるのも、素晴らしい。さすが、マキノ演出!

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 円谷英二特撮の見せ場はふんだんにある。広東湾に停泊しているイギリス船からの艦砲射撃。プールに浮かべたたくさんの船から、市街地に向けて大砲が炸裂する。僕らの知っている東宝特撮スペクタクルのヴィジュアルが、展開されるのである。このミニチュア特撮がクライマックスに向けて、どんどん良い意味でエスカレート。ラスト、阿片中毒者たちが、広東の街に火を付ける放ったことで、イギリスに攻撃の口実を作ってしまうが、この炎上シーン。ロングショットのミニチュアや、スクリーンプロセスなどを効果的に使って、逃げ惑う人々と燃え盛る街を描写。『ハワイマレー沖海戦』からわずか1ヶ月余で撮影されたことを考えると感動的である。

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 また、静岡県沼津市に建設された巨大なオープンセットで、広東の街並みが再現。多くのエキストラが行き交い、それが混乱、戦乱、パニックとなっていく。ロングショットではマットペインティングで背景を合成。ミニチュアとの使い分け、スペクタクルシーンのモンタージュの歯切れの良さなど、円谷英二さんの特殊技術の基本がすでに完成の域に達していたことを改めて実感した。

 ちなみに本作の同日封切り(地域によっては同時上映)が、高峰秀子さん主演『愛の世界 山猫とみの話』(1月14日・青柳信雄)で、こちらも円谷英二さんが特殊撮影を手がけている。つまり、デコちゃん同様、2本掛け持ちだったということになる。

 この年、東宝特殊技術課は多忙を極めていた。9本もの作品で特殊撮影、もしくは特殊技術で円谷英二さんの名前がクレジットされている。

1943.01.14 愛の世界 山猫とみの話 特殊撮影
1943.01.14 阿片戦争  東宝映画 特殊撮影
1943.03.18 音楽大進軍  東宝映画 特殊技術
1943.04.01 兵六夢物語  東宝映画  特殊技術
1943.04.29 あさぎり軍歌  東宝映画 特殊技術
1943.06.10 男  東宝映画 特殊技術
1943.09.30 少年漂流記  東宝映画東京 特殊撮影
1943.10.07 熱風  東宝映画 特殊技術
1943.10.21 進め独立旗  東宝映画 特殊技術
1943.12.29 浪曲忠臣蔵  東宝 特殊技術

 それだけ東宝映画の作品のバリエーションが多く、特殊技術課の活躍が期待されていたこととなる。しかし戦争の激化とともに、映画そのものの製作体制が次第に変わってゆくこととなる。


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