見出し画像

『喜劇駅前火山』(1968年・東京映画・山田達雄)

「駅前シリーズ」第23作!

 昭和43(1968)年5月25日。今東光原作の風俗喜劇『河内フーテン族』(千葉泰樹)と二本立で公開されたシリーズ第23作。フランキー堺の喜劇二本立てとなった。この頃はまだ東宝系でフランキーの喜劇が作られていたが、この年の年末、松竹でフランキーと伴淳三郎の『喜劇大安旅行』(瀬川昌治)が大ヒットしてから、翌年の「駅前シリーズ」終焉とともに、フランキーの喜劇は、松竹で連作されることとなる。

 さて『駅前火山』は、桜島を抱く錦江湾、鹿児島が舞台。以外なことに「駅前シリーズ」で、初の九州ロケとなる。とはいえ『社長紳士録』(1964年・松林宗恵)で、森繁・フランキーは鹿児島へロケーション。フランキーは今回も、女嫌いの薩摩隼人を好演している。

 演出は、新東宝出身の山田達雄監督。森繁とは、新東宝での助監督時代『アマカラ珍騒動』(1950年・中川信夫)以来となる。プログラムピクチャーを手堅くまとめる手腕を買われての登板となった。

 脚本は、プログラムピクチャーの名手でのちに、時代劇作家・隆慶一郎となる池田一朗。駅前イズムを取り入れながら、鹿児島湾の海底油田計画をめぐる壮大な詐欺騒動。森繁久彌率いる男性陣と、淡島千景率いる女性陣の対立を、いつもの「商店の喜劇」からスケールアップ。濃密な物語が展開。マンネリ化していた「駅前シリーズ」のカンフル剤となっている。

 またシリーズを歴任してきたプロデューサーは、金原文雄から奥田喜久丸へとバトンタッチ。奥田は、もともと昭和20年代末、フランキー堺とシティ・スリッカーズ時代から、フランキーの個人マネージャーで、川島雄三を追ってフランキーが日活から東京映画に移籍したときにも暗躍。『人も歩けば』(1960年・川島雄三)から企画者としてクレジット。フランク・シナトラと井上和男共同監督による日米合作映画『勇者のみ』(1965年)のプロデューサーとして、日米の橋渡しをした。さらに『007は二度死ぬ』(1967年)の日本ロケコーディネイターとして活躍。昭和40年代後半にかけて、東京映画、東宝映画で、石原プロ作品にも関わっている。

 さて『駅前火山』で最もトピックなのは、音楽をヒットメーカー、浜口庫之助が手掛けていること。昭和40年代、和田弘とマヒナスターズ&田代美代子「愛して愛して愛しちゃったのよ」、石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難う」、ザ・スパイダース「夕陽が泣いている」、CMソング「ロッテチョコレート」など、ハマクラソングが街角に流れていた。

 浜口庫之助が編曲した「ケメ子の歌」を毎日放送「歌え、MBS・ヤング・タウン」で披露して人気となったGSグループ、ザ・ダーツが主題歌を担当。昭和43年2月1日に「ケメ子の歌」でデビューしたザ・ダーツは、浜口のお気に入りだった。

 東宝マークに流れるイントロは、浜口作曲の曲をザ・ダーツが演奏している。主題歌のイントロとして作られたもの。

♪BOBOBON 桜島BON
桜島恋をした BOBOBON 
南の島に恋をした BOBOBON 
BOBOBON
燃えろよ恋の島 燃えろよ桜島
BONBONBON

 ザ・ダーツは、「ケメ子の歌/ブーケをそえて」「いつまでもスージー/君は恋の花」「遠い人/黄色あめ玉」の三枚のシングルをリリースしたのみで、昭和44(1969)年には解散。そういう意味でも『駅前火山』の主題歌は貴重な音源となった。

 劇中、ザ・ダーツは「ホテル林田温泉」のラウンジで、浜口庫之助作詞・作曲のエレキ・ムード歌謡を演奏する。

 ♪霧島山に 降る雨は(あコリャ)
  さかれた恋に むせぶのに
  男心は 流れ者だよ
  街の明かりが 恋しいさ
  行かないで 行かないで
  行くなら 私も連れてって

 さて『駅前火山』は、お景ちゃんこと淡島千景にとっては、最後の「駅前シリーズ」出演となる。今回は、鹿児島屋社長・森田徳之助(森繁)の奥さんで、副社長・桂子の役。徳之助の妹で、セスナ機を操縦して鹿児島から奄美大島まで飛ぶ、現代女性・森田純子(池内淳子)は、美人だが活発すぎて、いまだに独身。いつもは和服姿が多い、池内淳子が終始洋装というのも珍しい。

 映画は、桜島を望むベスト・ビュー・ポイント「城山観光ホテル」の庭から始まる。このホテルは『社長紳士録』(1964年)でも舞台になっていて、この庭で森繁社長が桜島をながめていると、池内淳子と旭ルリの芸者がやってきて、記念写真を撮るというシーンがあった。なので『駅前火山』のオープニングで、徳之助がホテルの庭で詩吟「我が胸の」(平野國臣・作)を朗々と吟じるシーンには「社長シリーズ」を観ているデジャブを感じる。

 我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば
 煙うすし 桜島山

 そこへ外国からのゲストを接待する、淡島千景と池内淳子(ここは着物)が現れる。徳之助は外国人ゲストにこの歌を翻訳してくれと妹・純子に頼むも、桂子に「余興はいい加減にして」とケンもホロロ。相変わらずの恐妻家ぶりである。そして『社長紳士録』で池内淳子が現れた左側の入り口から、芸者・〆香(嘉手納清美)たちがやってきて、徳之助にウィンク。もう「社長」だか「駅前」だか、わからなくなってくる。浮気癖で恐妻家の森繁社長である。

 さて、今回のトラブルメーカーは、東京から流れてきた間抜けな詐欺師・松木三平(三木のり平)と藤山有三(藤村有弘)の二人。何か儲け話がないかと「駅前チーム」に取り入る。折しも西郷隆盛のひ孫・堺次郎(フランキー堺)が、桜島海岸一帯をレジャーランド化しようと、壮大な計画を立てていた。次郎の家は、老舗の酒屋で母・梅乃(沢村貞子)が切り盛りしている。第2作『駅前団地』から皆勤賞の旭ルリが、堺家のお手伝い・松子を演じている。

 女嫌いの薩摩隼人の次郎は、その資金作りのために、地熱発電所を計画。錦江湾を海底ボーリングして、蒸気を噴出させることを考えていた。その話をヒントに、三平と有三の二人は、錦江湾に海底油田があるとの与太話を仕立て上げ、徳之助たちを騙そうともくろむ。

 次郎の部屋で、三平と有三が計画を聞くシーン。熱心に話す次郎は、客にラーメンを御馳走する。前作『駅前開運』にタイアップで登場したエースコックの「駅前ラーメン」の袋を破って、麺をそのままボリボリ、粉末スープをかけて、ムシャムシャ。いくらなんでも食べれないと拒む三平たちに、次郎はビーカーのお湯を差し出す。「腹の中では同じこと」と乱暴である。『駅前飯店』(1963年)でやはりフランキーがエースコックのラーメンをガリガリたべていた「ラーメン生齧り」のリフレイン。

 大仕事をするために、次郎に精神鍛錬を猛烈なシゴキを受ける三平と有三。滝に打たれたり、散々な目に会う。西郷隆盛スタイルでご機嫌な次郎は「♪ドンガラガン〜」といさましく歌って、二人に「闇汁をば食いもうそう」と闇鍋をすすめる。「もぐらじゃのう」とムシャムシャ食べる次郎におそれをなす二人。三平は草履、有三は擦り切れた雑巾。たまったもんじゃない。しかも締めは「駅前ラーメン」。これでタイアップが成立したとは、なんともはや。

 さて、その三平たちの計画にまんまと乗ってしまうのが徳之助。女房の尻に敷かれているのが面白くないので、その鼻をあかしてやろうと一儲けを企てる。昔から徳之助と半目している、地元の網元・伴野孫作(伴淳)は猛反対するも、欲にまけて海底油田の話に乗る。

 と、いつもの色と欲の狂騒曲になっていくのだが、次郎の姉で鹿児島料理屋「はんや」を、鹿児島と東京で営む、堺さくら(新珠三千代)が、さらに「社長シリーズ」度を高めてくれる。「駅前」初出演となる新珠三千代に鼻の下を伸ばす森繁を観ていると、またまたデジャブに。しかも東京へと浮気の旅行もするので、尚更である。

 キャストは、孫作の女房・浪江に中村メイコ。鹿児島屋の店員・花山伸子にジュディ・オング。彼女は、徳之助の息子・徳太郎と恋仲である。さらに徳之助、次郎、孫作たちのの師匠・「健児の舎」の蒲生先生に山茶花究。第1作からほぼレギュラーだった山茶花究にとっては、これがシリーズ最後の出演となる。資生堂のキャンペーンガールとしてブレイクした前田美波里は、東京からやってくる油田のインチキ鑑定師・大木ひばり。と、賑やかな面々が顔をそろえている。

 物語はインチキ海底油田の投資話から、亭主連合軍と女房連合軍の対立へと発展。詐欺師二人も、徳之助のグループに加わり、男性対女性の壮絶な戦いへと発展。これが作品のスケールをアップしてくれる。喜劇映画として、三木のり平と藤村有弘の二人が機能していて、さまざまなシーンで笑いが弾けている。最初は悪人だった二人が、憎めない男になり、ラストには三平は意外な女性をゲットすることになる。

 いろいろあって、徳之助は次郎をけしかけ「おっとい嫁じょ」を決行する。つまり、次郎の嫁にするために、深夜、純子を拉致してしまおうというもの。かつて鹿児島県大隅半島の北部の奇習として知られていた。かなり乱暴な犯罪的行為で、人権上許されない「誘拐婚」である。これも当時の感覚では、薩摩隼人の男らしさということか。この「嫁盗み」をクライマックスにもってくるとは、今の感覚では違和感しかないけど、昭和43年にはローカリズムということで容認されていたというのも、ナントモハヤである。

 というわけで、次郎と純子は、めでたくゴールイン。大団円を迎えるわけだが、山田達雄の演出は快調で「駅前シリーズ」特有のダレ感が少ない。もう二、三作、山田達雄監督で観たかったと思うほど。昭和33(1958)年にスタートしたシリーズも10年目を迎え、次作『喜劇駅前桟橋』(1969年・杉江敏男)が最終作となる。




よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。