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『ダンシング・レディ』(1933年11月24日・MGM・ロバート・Z・レオナード)

ハリウッド・ミュージカル史縦断研究。昭和8(1933)年のハリウッドはエポック・メイキングの年でもあった。RKO映画『キング・コング』が大ヒットして、世界中で連綿と作られていく巨大モンスターが大暴れする特撮スペクタクルの時代が幕開けをした。また同じ、RKOでは最強のダンス・チーム、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビが『空中レヴュー時代』(12月29日)で華々しく登場。ダンス・ミュージカル映画の革命を起こした。

キング・コングとフレッド・アステア。ハリウッドの二大アイコンがスクリーンを席巻したのだ。1929年の世界大恐慌により、人々は疲弊して、経済的にも苦しかった。ひととき、辛い現実を忘れるために、人々は映画館の座席に身を沈めてミュージカル映画や、モンスター映画を楽しんだ。良い意味での”現実逃避”、エスケープムービーを作ることが、この時代のハリウッドの使命でもあった。

さて、そのフレッド・アステアのスクリーン・デビューとなったのが『空中レヴュー時代』公開の1ヶ月前、1933年11月24日にアメリカで封切られたMGM映画”Dancing Lady”『ダンシング・レディ』(ロバート・Z・レオナード)だった。クラーク・ゲイブルとジョン・クロフォード。MGMのトップスター共演によるブロードウェイの演出家とダンサーのぶつかり合いと愛を描いたバックステージものである。この年、3月9日に公開されたワーナーの『四十二番街』(ロイド・ベーコン)が大ヒット。その影響が色濃いミュージカル・ドラマとして企画された。

フレッド・アステア、ジョン・クロフォード

フレッド・アステアのスクリーン・デビューまで

フレッド・アステアは、ジョン・クロフォードのダンス・パートナーとして本人役で登場する。1899年、ネブラスカ州オマハ生まれのフレッド・アステアは、4歳からダンス・スクールで学び、2歳年上の姉・アデルとコンビを組んでいた。天才少年、少女、ダンサーとして全米のヴォードヴィル劇場を制覇。フレッドは17歳でブロードウェイ・デビューを果たして、20歳の頃にはトップスターとなる。

1920年代半ば、アステア姉弟は、ブロードウェイとロンドンのウエストエンドのステージに立ち、大西洋を越えた人気者となった。ジェローム・カーン作曲「パンチ&ジュディ」(1922年)、ジョージ&アイラ・ガーシュインの「レディ・ビー・グッド」(1924年)や「ファニー・フェイス」(1927年)などのミュージカルで、エレガントなアステア姉弟はブロードウェイのレジェンドとなる。

劇評家でコラムニストのロバート・ベンチュリー(本作にも出演)は、1930年に「フレッドが世界で最も偉大なタップダンサーである」と称賛の言葉を送った。ロンドンでは、フレッドはノエル・カワードと一緒に、ギルドホール音楽学校ピアノを学んだ。アステアのピアノはダンス同様、エレガントで人々を魅了した。

特に「バンド・ワゴン」(1931年)でのアステアのダンスは「史上最高のもの」と高い評価を受けた。時代はトーキー初期、各社はミュージカル映画を競うように製作していた。1927年、「ファニー・フェイス」終演後、映画界への転身を考えて、パラマウントでスクリーンテストを受けたが、そのルックスは「映画向きではない」と判断されてしまう。時代はトーキー初期、各社はミュージカル映画を競うように製作していた。

「バンド・ワゴン」を最後にアデルは英国の貴族・チャールズ・キャベンディッシュ卿と結婚、ステージから引退。パートナーを失ったアステアはソロ・ダンサーとしてステージに立つことに。そこで出演したのがのちに『コンチネンタル』(1934年・RKO)として映画化されるコール・ポーターの「陽気な離婚」(1932年)に出演。新パートナーのクレア・ルースとのダンスは大好評となる。

そこでアステアは改めてRKOのスクリーンテストを受けた。ハリウッドの伝説では、RKOは「唄えない。芝居ができない。はげかかっている。少しは踊れる」と厳しい判断をしたという。それでもRKOの撮影所長・デビッド・O・セルズニックはアステアと契約。早速、MGMの『ダンシング・レディ』に数日間貸し出すことにした。この時すでにRKOでは『空中レヴュー時代』の撮影準備が進められていた。

ポスター・ヴィジュアル

『ダンシング・レディ』

さて『ダンシング・レディ』に話を戻そう。この映画が作られた1933年は、ヘイズ・オフィスによる映画倫理チェック前夜の「プレ・コード期」の作品なので、ヒロインのジョン・クロフォードがストリッパーで、彼女にめをつけた金持ちフランチョット・トーンが、財力にあかして彼女を貧民窟から救い出そうとする。この一年後には、こうした描写は「アンモラル」。日本で言うと「公序良俗に反する」という事で問題となってしまう。

原作はジェームズ・ワーナー・ベラが1932年に発表した同名小説。ジャズ・エイジを題材にした大衆小説である。脚色はアレン・リブキンとP・J・ウルフソン。ノンクレジットで、本編にも出演しているロバート・ベンチュリーとゼルダ・シアーズが脚本の加筆をしている。ロバート・ベンチュリーは、前述のようにアステアを「世界で最も偉大なタップダンサーである」とお墨付きを与えた評論家でもある。アステアの映画界への推薦者でもあった。

ミュージカル・コメディではないが、アステアのようにゲスト出演的に登場するのが「三馬鹿大将」のテッド・ヒーリー、カーリー・ハワード、モー・ハワード。コメディ・リリーフとして大暴れするのではなく、いずれもクラーク・ゲイブルのアシスタント、ステージ・スタッフ役を演じている。もちろんオーバーなアクションや細かいギャグはあるが、あくまでも役者として出演している。

クラーク・ゲーブル、ジョン・クロフォード

ジェニー・バーロー(ジョン・クロフォード)は、根っからのダンサー。不景気のあおりで、今はバーレスクのストリッパーに身をやつしている。ある日、大金持ちのプレイボーイ、トッド・ニュートン(フランチョット・トーンが、仲間達とバーレスク劇場にやってきて、ジェニーを見染める。そこへ警察の手入れがあり、ストリッパーたちは警察に逮捕される。

深夜の簡易法廷で、ジェニーの裁判を傍聴するトッド。判事に向かって「ダンサーは私の転職。不景気で仕事がないから罰金は払えない」と開き直るジェニーに惹かれたテッドは、保釈金を肩代わりしてジェニーは釈放される。深夜の食堂で貪るように食事をするジェニーに、シャンパンを飲みながら「君はダウンタウンにいては行けない、アップタウンを目指しなさい」と励まし「靴を買いなさい」とメッセージを添えて、密かに50ドルを忍ばせて渡す。

アパートで目が覚めて、トッドの手紙と50ドル紙幣を見つけたジェニーは憤然とする。独立自尊の精神で生きてきたジェニーは、恋愛や金持ちに興味が全くなかった。というわけで勝ち気なヒロインと、金持ちのプレイボーイのロマンスになるかと思っていると、ここでクラーク・ゲイブルが登場する。

敏腕演出家・パッチ・ギャラガー(ゲイブル)は、新作舞台の稽古に余念がない。ジェニーは何とかその舞台に出たい。トッドの知り合いの口利きでオーディションを受けようとするも、パッチはジェニーに全く興味を示さない。舞台係のモー(モー・ハワード)は、ジェニーのダンステクニックに驚嘆するも、パッチは見ようともしない。

ならばとジェニーは、パッチのあとをストーカーのようにつけて、チャンスがあれば、自分をアピールしようとするが、なかなかうまく行かない。そこでテッドがショーに出資することになり、ようやくテッドはジェニーの才能に気づく。そこからパッチのシゴキが始まる。『四十二番街』の演出家ワーナー・バクスターのように、クラーク・ゲイブルも、ステージのためなら寝食も忘れて演出の鬼となる。このあたりステレオ・タイプではあるが、当時の映画が作った「厳しい演出家」のイメージは、わりとパターン化されている。

リハーサルでピアノに合わせて、若いシンガーのアーサー・ジャレットが歌うは主題歌”My Dancing Lady”。この曲で、センターでジェニーが踊る姿を見て、パッチは「ワーナーを外す」と言い出す。パッチはジェニーをオフィスに呼び出して、主役抜擢を告げる。嬉しくて礼を言うジェニーだが、パッチはあくまでもクールを装っている。そこで「握手をして」というジェニーに釣られて、つい手を出してしまうパッチ。男のこけんに関わるとでも言いたそうな表情。当時の女性ファンが、ノックアウトされるゲイブルの”可愛さ”でもある。

かくしてジェニーは、パッチの猛烈なシゴキに耐えて、彼の理想のダンサーとなり、主役の座をビビアン・ワーナー(グロリア・ホイ)から奪い取ることに成功。ここで主題歌”My Dancing Lady”がリフレイン。今度はフルサイズである。男性ダンサーに担がれて、堂々たる主役ぶりを発揮するジェニー。

パッチ「オープニングをミスター・アステアと踊るかね?」
ジェニー「わかったわ」
パッチ「フレディ!教えてやってくれ」

ここでフレッド・アステアが登場。ステージのオープニング・ナンバーのルーティーンのリハーサル。ジョン・クロフォードとのルーティーンの練習で踊る。『ザッツ・エンターテインメント!』にも収録されていた記念すべき、アステアの初映画出演シーンである。アステアはちょっとクールなベテラン・ダンサーという感じである。ダンスの途中、足を痛めたジェニーは途中でリタイア。パッチのオフィスに運び込まれる。パッチから足のマッサージを受ける。

いつしかパッチとジェニーは相思相愛の関係に…。しかしトッドは、ジェニーを失いたくないという思いが募り、ついにショーへの出資を打ち切る。パッチは仕方なくダンサーたちと解雇して、ショーをクローズさせることに。ジェニーはまたしても失業、トッドの求愛を受け入れて劇場を去っていくが、どこか虚しい。

虚しいのはパッチも同じ。ならばとパッチは私財を投げ打って、自らショーを製作することに、カンパニーを再結集させて再びリハーサルを始める。もちろんジェニーもトッドの元を去る。ジェニーはトッドが自分の愛情を得るために裏工作をして、ショーをストップさせたことを知り、パッチへの本当の愛に気づいて、彼の胸に飛び込む。ジェニーがトッドと一緒になってしまった後、パッチは酒に溺れていた。しかも明日は舞台の初日。債権者に追いかけらてどうにもならない。ジェニーは「ショーがあたればいいじゃない」とポジティブだが、パッチは「彼らはだません。初日の幕が開くかどうかわからないのに」とどこまでもネガティブ。こういう時、男は弱いね。

そこでジェニーは、振り付けもセリフも全部頭に入っているから「出させて」と懇願する。『四十二番街』のクライマックスの逆パターンである。それでも泥酔したパッチは「人生は短すぎる」と嘆くばかり。そこでジェニーはパッチを挑発する。

ジェニー「あなたもおしまいね。確かに人生は短すぎるわ。初プロデュース作品も評価されない。元の出資者のブラッドリーの作と囁かれるだけ。ギャラガーではムリだと噂されるだけ」。ここまで言われて、正気になり立ち上がるパッチ。クラーク・ゲイブル映画のパターンで、追い詰められて大切なものを失いそうになった男が立ち上がる瞬間である。

ジェニー「悔しかったら、やりましょう Keep Go a Hed!」。これで発奮したパッチは再び鬼の演出家となり、ジェニー主演のブラッドリー・シアターの舞台「ダンシング・レディ」の幕がいよいよ開く…

ショーのオープニングは”Heigh-Ho, the Gang's All Here”。アールデコのピカピカのセット中央に円形に配された女性コーラス・ガールが唄っている。そこへ男性コーラスたちが唄いながら、それぞれパートナーのもとへ。ビールで乾杯する男女たち。キャメラはバークレイ・ショットよろしく俯瞰となり、男女が円形になって回り出す。「プレッエルとビールで乾杯ね」と次々と美女たちがカメラ目線でセクシー・ポーズ。完全にワーナーのバズビー・バークレイのミュージカルを意識した構成になっている。

やがて、トップハットにタキシード、ホワイトタイのフレッド・アステアと、美しいドレスのジョン・クロフォードをエスコートしてステージ中央へ。ここでアステアのヴォーカル。クロフォードが続いて唄い出す。唄いながら軽快なステップを踏む二人。アステアもクロフォードもキレが良い。見ていて実に気持ちがいい。

やがて舞台が迫り出して、アステアとクロフォードを載せた円形の「魔法の絨毯」は星空を、雲の上を飛ぶ。不安定な絨毯の上で、華麗なステップを踏む二人。映画でしか表現できないことを意識してのマジカルなダンス・シーンである。たどり着いたのは、ドイツ南部ババリア=バイエルン地方の山奥の村の広場(アールデコのセットだけど)。チロリアン・スタイルの男女のダンサーが、ビールのジョッキを手に、二人を大歓迎。ナンバーは”Let's Go Bavarian”の大合唱となる。

ポルカのリズムに乗せてクロフォードとアステアが唄う。やがて二人も民族衣装・チロリアン・スタイルになり、フォークダンス、フォックストロットで踊る。劇場は大拍手! 舞台袖のパッチも「悪くない」と満足している。客席には恩讐を忘れ、かつての恋人の晴れ舞台に声援を送るトッドの姿。

いよいよフィナーレ。リチャード・ロジャース&ロレンツ・ハートの”Rhythm of the Day”である。ワルツを踊る16世紀のスタイルのダンサーたち。そこへタキシード姿のネルソン・エディ!が現れて「君たちは時代遅れだ。今はリズムの時代」と唄い始める。ネルソン・エディの「立ち上がれ!」の掛け声に乗って、ダンサーたちが舞台の柱を抜けると、1930年の現代人のスタイルに変身する。馬車に乗ったジョン・クロフォードも、柱を抜けてピカピカのクルマから降りて「今はリズムの時代」とタップを踏む。そこで肌もあらわに、ポリス・スタイルの女の子たちの群舞となる。同ポジや編集を駆使して、バークレイを意識した「映画ならではのスペクタクル・ナンバー」をゴージャスに展開。で、クライマックスはポスター・ヴィジュアルにもなっている鏡を効果的に使った木馬に乗った女の子たちのセクシーな饗宴となり、”My Dancing Lady”のリプライズでショーはフィナーレとなる。


【ミュージカル・ナンバー】

♪ホールド・ユア・マン Hold Your Man(1933)

作曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン 作詞:アーサー・フリード
*唄・ダンス:ウィニー・ライター、コーラス

♪アラバマ・スイング Alabama Swing

作曲:ジェームス・P・ジョンソン
*演奏:ラリー・ファイン(ピアノ)

♪エヴリシング・アイ・ハブ・ユアーズ Everything I Have Is Yours(1933)

作曲:バートン・レーン 作詞:ハロルド・アダムソン
*タイトルバックに流れる。
*唄:アーサー・ジャレット

♪ダンシング・レディ My Dancing Lady(1933)

作曲:ジミー・マクヒュー 作詞:ドロシー・フィールズ
唄:アーサー・ジャレット(リハーサル)

♪ハイ・ホー、ギャングス・オールヒア
Heigh-Ho, the Gang's All Here(1933)

作曲:バートン・レーン 作詞:ハロルド・アダムソン
唄・ダンス:フレッド・アステア、ジョン・クロフォード、コーラス

♪レッツ・ゴー バーバリアン Let's Go Bavarian(1933)

作曲:バートン・レーン 作詞:ハロルド・アダムソン
唄・ダンス:フレッド・アステア、ジョン・クロフォード、コーラス

♪リズム・オブ・ザ・デイ (That's The) Rhythm of the Day(1933)

作曲:リチャード・ロジャース 作詞:ロレンツ・ハート
*唄:ネルソン・エディ、ジョン・クロフォード(吹替・ミルドレッド・キャロル)
*唄:アーサー・ジャレット

♪ヘイ!ヤング・フェローズ Hey! Young Fella(1933) 

作曲:ジミー・マクヒュー 作詞:ドロシー・フィールズ
*唄・ダンス:コーラス
Sung and Danced by chorus

♪シボネイ Siboney(1929)

作曲:アーネスト・レクーナ
演奏:キューバン・クラブでのダンス音楽


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