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『不壊の白珠』(1929年10月17日・松竹キネマ・清水宏)

2023年6月3日、4日に、横浜シネマリンで、ピアニスト柳下美恵さんの演奏で上映されるのだが、構成・演出をしている舞台「マイ・ラスト・ソング」岐阜公演と重なり、観に行くことは叶わないので、娯楽映画研究所シアターのスクリーンで投影。蒲田スタイルのメロドラマを堪能した。

 清水宏監督が松竹蒲田撮影所に入社したのは、1922(大正11)年のこと。父の知人だった有島武郎の玄関番を勤めていたことがあり、小山内薫に紹介されて、栗島すみ子の口添えで映画界に入った。池田義信監督に師事するが、助監督の先輩に成瀬巳喜男がいた。

 1924(大正13)年、入社2年目、21歳の若さで『峠の彼方』(1924年8月1日)で監督デビュー。同時期の監督同様、ハイペースで作品を手がけていた。いわゆる松竹蒲田スタイルを支えたメイン作家の一人だが、蒲田作品は10%ぐらいしか残っていないので、現存する作品が少ないのが残念。

 僕が観ることができたのは、48作目となる1929(昭和4)年の『森の鍛冶屋』(1月5日)が最も古い作品。これも現存する18分の短縮版で、ストーリーは把握できる程度だった。そういう意味では、同年、10月17日公開の文芸メロドラマ『不壊の白珠(ふえのしらたま)』が101分のほぼ完全な形で現存(国立映画アーカイブ所蔵)はありがたい。しかもロールによって画面の色が違うフィルム染色版でもある。これがなかなかの味わい。今から十数年前にCSの衛星劇場でフィルムセンター限版が放映され、ようやく観ることができた。

 原作は菊池寛の同名小説。主題歌はビクターレコードからリリースされ、この年「東京行進曲」を日活映画とのタイアップでビッグヒットさせた作詞・西条八十、作曲・中山晋平のコンビ。歌ったのは、これがデビューとなった四家文子(よつや・ふみこ)。東京音楽学校を主席で卒業後、ビクターと契約。しかし、この頃は、音楽学校卒業者が低俗な流行歌を歌うことに抵抗があった時代。四家は藤野豊子の変名でレコーディングをしたこともあるという。

 もちろんサイレントなので、主題歌は流れないが、タイトルバックでは「不壊の白珠の歌 作詩 西條八十 作曲 中山晋平 ビクターレコード番号50986」とクレジットされ、一番の歌詞が画面に現れてから配役クレジットとなる。そしてエンディング、高田稔が洋行する客船を見送る八雲美恵子の姿に、三番の歌詞テロップがオーバーラップされる。

楽譜(1929年・ビクター出版社)

 舞台は東京。丸の内のオフィスでタイピストをしている姉・水野俊枝(八雲恵美子)は、職業婦人であるが古風なモラリスト。妹・玲子(及川道子)は、自由奔放なモダンガール。対照的な二人だが、おそらく父は早くに亡くなっていて、母(鈴木歌子)と三人暮らしで、家計は俊枝のサラリーで支えている。

 姉・俊枝を演じた八雲美恵子は、1903年、大阪市北区相生町生まれ。花柳界の近くで育ち、幼い頃から日舞を習っていた。18歳の時に造船技師と恋に落ちて、上海に恋の逃避行をするもすぐに破綻。内地に戻って芸妓となるが、その美貌ゆえに関西では名妓として人気となり、大阪の松竹楽劇部に入って舞台で活躍。1926(大正15)年に松竹蒲田に入社、本作の前年に幹部女優に昇格。栗島すみ子に続く看板女優となる。

八雲恵美子

 ぼくが最初に八雲美恵子を見たのは、小津安二郎のノワール『その夜の妻』(1930年)でのギャングの妻で、病気の娘のため、夫を庇うために、刑事に二丁拳銃を構える姿が強烈なインパクトだった。

 『不壊の白珠』では、和装姿で淑やかな古風な女性だが、内なるパッションを秘めている姉・俊枝を好演。東京駅前に1923(大正12)年に竣工した丸の内ビルディング(丸ビル)の片山商事の専務・片山広介(新井淳)の秘書として働いている。彼女は、同僚の成田省三(高田稔)に惹かれており、何度かランデブーをしていて、恋愛感情を抱いている。

 ある夜、遅く帰ってきた妹・玲子から「小田急で江の島へ行って、鎌倉逗子へ廻って、逗子ホテルで晩御飯をいただいたのよ」と成田とのランデブーを告白され、ショックを受ける。逗子ホテルは、1926(昭和2)年に開業した皇族御用達のモダンなホテル。昭和10年代に「逗子なぎさホテル」に改名、戦後は進駐軍に接収され、石原慎太郎の「太陽の季節」にも登場。1988年に閉業。桑田佳祐は2022年「なぎさホテル」という曲をリリース。

逗子なぎさホテル 絵葉書
グリル(戦後)

 時代の花形ホワイトカラーとはいえ、成田も相当無理をして、玲子とランデブーをしたと思われる。ともかく俊枝は、成田が妹と付き合うなんて!とショックでまんじりともしない夜を過ごす。

 妹・玲子を演じた及川道子は、これが映画デビュー作となった。1911(明治44)年、東京渋谷に生まれ、1924(大正13)年に小学校を卒業して、東京音楽学校一橋分教場声楽家に入学。同じ年に、小山内薫の紹介で築地小劇場へ。子役からスタートして、分裂後の1929年4月、築地新劇団に参加するが7月に退団。そこで9月、松竹蒲田に入社。本作へ出演した。なので、新人女優ではあるが、良い意味で大胆な役に挑戦。特に後半、奔放さを発揮するシークエンスでは、内面描写も含めて、見事な演技を見せてくれる。

及川道子

 物語に戻る。成田の気持ちを糺すために、会社を休んだ俊枝は、自分の気持ちを認めて手紙を出す。しかし、すでに成田は玲子に求婚していて、母からその話を聞かされて、俊枝のショックはさらに大きなものに。

 ここから三角関係のドラマにならずに、成田への思慕を抱いたまま、俊枝は妹の幸せのために身を退く決意をする。これぞ松竹蒲田のメロドラマ!というシチュエーション。一方、片山専務は、妻に先立たれたこともあり、艶福家で新橋の芸者と遊んでいたが、清楚な俊枝に真剣に恋をして、なんとか後添えになって欲しいと考えている。

 新派出身で、日活向島、松竹蒲田で活躍した新井淳は、最初、スケベ親父にしか見えないのだが、物語が進むにつれて、なかなかに良い人となっていく。

 成田を演じた高田稔は、僕らの世代では『エレキの若大将』(1965年・東宝・岩内克己)で青大将(田中邦衛)のパパを演じていた。また戦前のP.C.L.映画『良人の貞操』(1937年・山本嘉次郎)など東宝俳優のイメージが強い。1899(明治32)年に秋田県に生まれ、1917(大正6)年に獨逸学協会学校中学部を卒業。つまり現在の獨協高校卒業生なので、ぼくの大先輩でもある。東洋音楽学校中退後、石井漠一座に入り、浅草オペラの舞台に立っている。で、軍隊を経て映画界入り、帝国キネマを経て、東亜キネマで山本嘉次郎の入社第1作『断雲』(1924年)で主役を演じて、1929(昭和4)年に松竹蒲田へ移籍。小津安二郎『大学は出たけれど』(1924年)から蒲田の主演スターとなる。

 というわけで高田稔=二枚目のイメージがあり、八雲恵美子も及川道子もメロメロになるのも観客は納得。ちょっと優柔不断ぐらいなのが、当時は優男としてモテたのだろうか。回想シーンで、成田は俊枝とレビューか何かのステージを一緒に見いる。これでは俊枝が恋心を抱くのも無理はない。このキャラはのちの『良人の貞操』での、妻・千葉早智子の親友・入江たか子と不倫してしまう主人公のプロトタイプでもある。『不壊の白珠』で、浮気をしてしまうのは奔放な新妻・及川道子なのだが。そういう点で本作は「良人の貞操」ならぬ「新妻の貞操」でもある。

 前半、成田へ手紙を出した俊枝が、「話がしたい」と成田に手紙で呼び出されて銀座のティールームで逢うシーンがある。半地下の店で、ロケではなくセットなのだが、外で待ち合わせをして店に入ってくるカップルが、窓の外のシルエットで表現されている。これがなかなか効果的で、清水宏のモダニズム好みが味わえる。この呼び出しの手紙に、俊枝の住所が記されている。「東京市外 中野十七二五」とある。この頃、中野は東京市外だった。

半地下のティールームの外でストッキングを直す女性のシルエット!

 俊枝は、自分の想いを手紙に託したので、成田との交際に望みをかけていたが、成田の本意を知りがっかり。しかし、愛する妹のために、二人の結婚を祝福する。古風なヒロインにふさわしい選択なのだが、そこは「真珠夫人」の菊池寛、ただでは転ばない。ここからドロドロした世界が始まる。一説によると原作は、多忙の菊池寛に代わって、川端康成が代筆したという話もある。

菊池寛傑作長編小説12(1930年・平凡社)

 玲子と成田の結婚披露宴。媒酌をつとめるのは、俊枝に懸想をしている片山専務。この披露宴で、二人の結婚を祝福しながらも、本音は苦しい気持ちを抑えきれず、俊枝が倒れてしまったりと色々ある。その帰途、片山専務のクルマで俊枝が送ってもらうのだが、ここで専務の思いが爆発して、俊枝に愛を告白、さらには…という貞操の危機もあり。ここは運転手が機転をきかせてクラクションを鳴らしてことなきを得るが…

高田稔、及川道子

 一方、蜜月旅行(ハネムーン)の汽車で、成田は心ここにあらず。自分を愛していた俊子の気持ちを裏切って結婚をしてしまったことに後悔したり。同じ列車には、玲子のボーイフレンドでジゴロ的な不良青年・沢田(小村新一郎)が乗っていて、メフィストフェレスよろしく玲子を誘惑していく。

 ここから先の展開は、映画をご覧になるのが一番。自家用車も持てないサラリーマンの夫・成田と、ナッシュの新車を持っているジゴロ・沢田を玲子は天秤にかけてしまい、状況はどんどん悪い方へ展開していく。

及川道子、小村新一郎

 清水宏の演出は、マスターショットのアップと、全体をとらえる引きの画だけでなく、登場人物を前後に配しての奥行きのあるショットを効果的に入れている。同時期の小津安二郎、成瀬巳喜男、齋藤寅次郎、野村浩将たちの作品のルックとは違うヴィジュアルが楽しめる。

 後半、軽井沢の別荘に片山専務を俊枝が訪ねるシークエンス。片山の長男・広一郎(小藤田正一)から「新しい女中さん?」と間違われて俊枝は傷つき、片山の姪・龍子(伊達里子)と長女・よし子(高尾光子)から「タイピストってモガばかりでしょう?」と意地悪な洗礼を受ける。でも、片山専務は、必死になって俊枝を庇う。俊枝も職業婦人としての矜持を持っているので、彼女たちに反論する。このシーンもなかなかいい。

 というわけで、後半は、モダンガールの本領発揮で、家を出奔して沢田とダンスホールで狂乱の夜を過ごしている玲子と、妻の不貞に苦しむ成田夫婦の破綻。二人に心を痛める俊枝、三様の物語となっていく。

 サイレント映画であるが、演出、語り口が見事なので、101分全く飽きさせない。ラストも予定調和のハッピーエンドではなく、とりあえずのビターエンドであるものいい。ラスト、日本を離れて洋行に出る決意をした成田を、桟橋から見送る人々。この時代、海外への渡航はもちろん客船しかなかった。

 ラストシークエンスに、主題歌「不壊の白珠」の歌詞が画面に出てきて、四家文子の声が聞こえてくるような印象である。サイレント時代も映画主題歌がヒットしたことを不思議に思うかもしれないが、この映画を観ていると納得できる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。