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『婦人警察官』(1947年2月16日・大映京都・森一生)

ここのところ、敗戦直後の大映映画を連続視聴。国策映画から一転、GHQの指導の下、民主主義啓蒙映画となる。その変わり様を映画を通して体感しております。

10月23日(日)の娯楽映画研究所シアターは、昭和22(1947)年2月16日封切り、小夜福子、轟夕起子、月丘夢路、3人のタカラジェンヌ主演『婦人警察官』(森一生)をスクリーン投影。

小夜福子は、この時38歳。大正11(1922)年から昭和17(1942)年まで20年間、男役として絶大な人気を得ていた。轟夕起子は30歳。昭和6(1931)年に宝塚歌劇団21期生として入団、昭和12(1937)年に『宮本武蔵 地の巻』(日活・尾崎純)の主役に抜擢されて退団した。月丘夢路は25歳。広島高女在学中に小夜福子の舞台に感激して、昭和12(1937)年に宝塚音楽歌劇学校に入学、昭和14(1939)年から昭和18(1943)年に退団。この映画での三人が女学生時代の仲良し同級生という設定は、世代が違うのに全く違和感がない。これぞタカラジェンヌの魅力!

小夜福子
月丘夢路
轟夕起子

轟夕起子、月丘夢路は、戦前、戦中の映画スターとして銀幕で活躍していたが、小夜福子は戦時中、第二次東宝劇団に参加して舞台を中心に出演。映画には、宝塚在籍中の出演はあったものの、戦後は轟雪子、月丘夢路との『満月城の狸合戦』(1946年12月31日・松竹大船・マキノ正博)に次いで本作が2本目となる。つまり本作が、往年のタカラジェンヌ・小夜福子の映画女優としての主演第一作となる。

さて『婦人警察官』のトップにこんなタイトルが出る。

隣近所
力を合わせて
援けあって
祖国の再建に
邁進しませう

 戦時中の「撃ちてし止まん」に変わる、戦後民主国家建設のスローガンである。本作は、脚本・八尋不二はじめ、大映京都のデフォルトスタッフによる現代劇。敗戦直後の京都駅、四条河原町、そして市街地のロケーションを、100インチのスクリーンに投影すると、昭和22年の空気を擬似体感することができる。

四条河原町で交通整理
小夜福子

 敗戦後、GHQの意向で、婦人の職場進出が盛んに行われ、婦人警察官が、交通整理や浮浪児の取り締まりをしていた。ヒロイン、岸真知子(小夜福子)と林たか子(月丘夢路)は、女学校時代からの仲良しで、二人とも警察官となっている。もう一人の親友・野上キヨ(轟夕起子)は満州に行ったまま音沙汰なし。

 婦人警察官に対しては、道ゆく人も「あんなのちっとも怖くない」と懐疑的で、同僚警官・和田克典(伊達三郎)たち男性も同じように「政治の人気取り」と冷笑して、いまだに偏見がまかり通っている。が、彼女たちは、新時代を創る女性として、仕事に生きがいを感じている。

 この辺りは、民主主義啓蒙の描写なのだけど、戦時下の女子勤労動員を描いた作品や、女子挺身隊を主人公にした映画と同じアプローチである。イデオロギーは違えども「男性のように頑張ってはたらく女性」である。日本の警察で女性が初めて任用されたのは昭和21(1946)年、GHQの意向だった。この映画は、その啓蒙の意味もあって企画されたと思われる。

 ある日、京都駅で寝泊まりをしている浮浪児・坂口次郎(久原亥之典)が、山陰線で上洛してきた田舎のお爺さんを騙して、京都駅の風呂に入れている間に、荷物を盗んでしまう。この頃も、京都駅の浴場は営業していたのか。夜行電車やバスで京都に着くと京都タワーの入浴施設で汗を流したことを思い出す。

 京都駅前や街並みのロケが何よりの眼福。そんな次郎を補導した真知子は、彼を施設に預けずに、自宅へ引き取る。風呂に入れ、食事を出して、弟のように次郎の面倒を見る。次郎の両親は神戸の大空襲で亡くなって、ひとりぼっちとなり、戦地に行ったままの兄・坂口敬太(戸上城太郎)の復員をひたすら待っている。そうすれば「昔の暮らしに戻れる」と信じているのがいじらしい。

 この浮浪児問題は、齋藤寅次郎監督の『見たり聞いたりためしたり』(1947年6月10日・新東宝)でも描かれていく。浮浪児救済が「新国家建設には重要」というキャンペーンでもあった。菊田一夫のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が始まるのはこの年の7月5日から(映画化は翌年11月)だから、本作は浮浪児問題をいち早く扱っていたことになる。

ところが翌朝、次郎は、真知子の腕時計を盗んで、また浮浪児のコミュニティへ。「婦人警察官なんてちょっこいもんや」と仲間の前で嘯く次郎。ラジオ店の店先で「復員だより」(1946年放送開始)を盗み聞きして、兄・敬太の部隊の帰還船が、明日舞鶴に帰還することを知って欣喜雀躍する。

しかし、浮浪児の元締めから「ヤミ物資」の運搬を持ちかけられ、汽車から逃げ出すときに、飛び降りて次郎は大怪我してしまう。このロケーションも迫力がある。本当に走っている汽車から子役が次々と飛び降りるのだ。真知子は次郎の譫言を聞いて、神戸駅へ敬太を迎えに行く。大空襲の爪痕が残る神戸の外景ショット、神戸駅のホームに入線する復員列車。

なんといっても小夜福子がシュッとしている。のちの「おやじ太鼓」(TBS・1968年)「高円寺のおばちゃん」のイメージが強いので、タカラジェンヌ時代の美しさの片鱗を感じて、新鮮。戸上城太郎ものちのヤクザや悪役のイメージからはほど遠く、悩み多き青年、という感じが1947年である。戸上城太郎は、戦前、東宝京都撮影所俳優養成所で学び、昭和14(1939)年『沼津兵学校』(1939年・東宝・今井正)でデビュー後、日活に移籍して『海を渡る祭礼』(1941年・日活・稲垣浩)で主演。戦時中は日活が大映に吸収され、大映専属として『無法松の一生』(1943年・大映・稲垣浩)などに出演していた。

真知子は、次郎のためにも敬太の住むアパートを世話をする。このアパートには、なんと満州から命からがら引き上げてきて、今は暗黒街の仲間となっている(娼婦とは描いていないが、明らかに夜の女に)野上キヨ(轟雪子)も住んでいて・・・

劇中の女学生時代の写真

というわけで、八尋不二脚本らしい展開となっていく。婦人警察官の小夜福子と月丘夢路、そして汚れた世界に身をやつした轟夕起子。三人のタカラジェンヌが再会するまでの紆余曲折が描かれていく。

クリスマスの夜、三人が真知子の家に集まり、真知子の誕生日パーティーをする。小夜福子、月丘夢路、轟夕起子が、和装でおしゃれをして「さらば故郷」でお馴染みの「故郷を離るる歌」(ドイツ民謡)をコーラスするシーンがいい。

一方、復員兵、それも将校上りには、仕事もなく、自暴自棄になった敬太は、次郎の心配をよそに、酒に溺れ、博打に手を出して、抜き差しならなくなる。で、クライマックスは、ついに銀行強盗の一味に。

伊達三郎!
サイドカーで追跡する小夜福子!

クライマックスは、大映京都の活劇らしくカーチェイスもふんだん。サイドカーで悪漢のクルマを追跡する伊達三郎! なかなかかっこいい。しかし、兇弾に倒れてしまう。そこで小夜福子が、代わってサイドカーで追跡、追跡、また追跡。多羅尾伴内のように、悪漢が射つピストルの弾も、シュッと避けるのがおかしい。このカーアクションによる追跡劇は、京都の市内を走り抜け、なかなかの迫力。GHQによるチャンバラ禁止令のなか、大映京都のスタッフは、こうした現代アクションやミステリーで、娯楽映画の新境地を拓いてゆく。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。