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『陸軍中野学校 開戦前夜』(1968年3月9日・大映京都・井上昭)

 昭和41(1966)年にスタートした、市川雷蔵主演のスパイ映画「陸軍中野学校」シリーズ第五作は、いよいよ昭和16年11月、太平洋戦争開戦前夜の物語となる。『陸軍中野学校 開戦前夜』(1968年3月9日・大映京都・井上昭)は、結果的に、翌年、昭和44(1969)年7月17日の雷蔵の急逝により、これが最終作となった。

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 第1作『陸軍中野学校』(1966年・増村保造)が、日中戦争が激化する昭和13(1938)年の物語だったから、映画の中に流れた時間は3年間。日本が後戻りできなくなる戦争の道を辿っていくなか、特務機関のスパイ、椎名次郎(雷蔵)が、平和を願う上官・草薙中佐(加東大介)の指揮の下、歴史の裏側で最悪の事態にならないように暗躍を続けてきた。

 毎回、事件は椎名次郎たちの手により、一通りの決着は見せるものの、大きな時代の流れに抗うことができずに、昭和16年11月を迎えた。今回は、日米開戦も辞さない覚悟の日本動向をキャッチすべく、米英の諜報機関が暗躍を続けるなか、その情報源を絶とうとする陸軍中野学校卒業生たちの必死の戦いを描く。昭和16年11月5日から、12月8日の真珠湾攻撃の当日までの、いわば最後の1ヶ月間の物語である。

脚本は、第二作『雲一号指令』(1966年・森一生)第三作『竜三号指令』(1967年・田中徳三)を手掛けてきた長谷川公之。今回は、誰もが知っている歴史の時間軸のなかで、人知れず暗闘を続けた椎名次郎たちの活躍を、生々しいタッチで描いている。監督は、前作に続いての井上昭。キャラクターも前作を踏襲しているが、前作で山下恂一郎が演じていた3期生・狩谷三吉を、大映バイプレイヤー・塩崎純男が演じている。役者は違うが、シナリオも演出も同一人物、椎名の頼もしき部下として描いている。

 今回のヒロインは、香港で椎名次郎が出会う、謎めいた一の瀬秋子(小山明子)。彼女と椎名は、開戦直前の1ヶ月、真剣に恋をする。しかし、お互いの立場は真逆。非情なスパイの世界に男女の恋愛は成立しない。というクールな恋でもある。一方、椎名とともに、敵国スパイを摘発すべく暗躍する、海軍の情報将校・磯村宏(細川俊之)が大活躍。その許嫁・中田晶子(織田利枝子)との恋が、対照的に描かれる。また陸軍の女好きの従軍画家・水池吾郎に船越英二。冷静沈着な雷蔵と対照的に、快楽主義の俗物を好演している。

 ワシントンで日米交渉が決裂寸前の昭和16年11月5日。椎名次郎(雷蔵)は、草薙中佐(加東大介)の命を帯びて、船で香港へ向かっていた。前作『密命』のラストと同じショットから物語が始まる。前作のラストのちょうど一年後だが、ヴィジュアル的に繋がっているので、オールナイトなどでの連続上映でも違和感がなかったことだろう。椎名は、極東の米英軍の機密事項を盗み出す密命を帯びていた。柏木陸軍中佐(内藤武敏)の指揮の下、椎名次郎は海軍情報将校・磯村宏(細川俊之)の協力で、イギリスのスパイ、スタンリー・レイ(ピーター・ウイリアム)がホテル部屋に隠してあった機密書類の撮影に成功する。その直前、磯村は椎名に婚約者・中田晶子(織田利枝子)と、彼女と同居している在香港3年の一の瀬秋子(小山明子)を紹介される。これも偽装工作の一環だったが、椎名と秋子はお互い惹かれ合う。

 機密書類の撮影に成功した椎名だったが、その翌朝、ホテルの前で中国人女性(川崎あかね)がぶつかってきた時に薬物を注射され、そのまま敵側の情報部・P機関のアジトに拉致される。機関のトップ、ジョセフ・ケント(マイク・ダーニン)が、椎名にスパイ行為の自白を強要するが、鋼鉄の意思の椎名は一切応えない。前作でも憲兵隊に逮捕され暴行を受けながらも節は曲げなかったが、エリートスパイはかくあるべし、なのだろう。ホテルの前で、次郎を観たと、秋子が磯村に伝え、磯村と柏木中佐が椎名を救出する。

 11月14日。椎名が撮影したフィルムで、御前会議の機密漏洩が明らかになり、大本営は騒然となり、帰国した椎名は、御前会議に参加した要人を調べた。浮かび上がってきたのは、大原博士(清水将夫)の看護婦・金井和枝(橘公子)、そして御前会議の絵画を依頼された画家・水池吾郎(船越英二)だった。さらに椎名たちは、大原家出入りの薬屋・南文一(木村玄)と、水池が通っている喫茶店のマスター・南(久米明)が兄弟であることを突き止めた。陸軍中野学校出身者の未亡人で、草薙中佐がスパイとして育成していた芸者・小菊(浜田ゆう子)を、好色な水池に接近させる。

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果たして連合国に情報を流しているのは誰か? 椎名は帰国した秋子に、自分の身分を明かして、調査状況を話した。それは椎名の賭けでもあった。やがて、次々と関係者が殺されて・・・ 松竹出身の小山明子の「大人の雰囲気」。秋子もまた大義のために身を挺して戦うプロフェッショナルで、椎名次郎との疑似恋愛は、孤独なプロ同士のシンパシーもあり、作品に深みをもたらしている。また、南兄弟の出自が明らかになり、彼らの挙動がスパイ組織へと繋がっていく展開は、井上昭の抑制された演出により、なかなかリアルである。

 12月3日、真珠湾攻撃の暗号「ニイタカヤマノボレ」が決定された。椎名たちは全ての点と線がつながる敵の本拠地を突き止めることに成功。しかし、磯村が偽電話でおびき出されて、自白剤を注射され、連合艦隊が単冠湾に集結、ハワイを目指していることを自白させられる。本国に通信で報告される前に、それを阻止しなければならない。椎名たちの決死の作戦が展開される。運命の12月8日へのカウントダウンと、緊迫のクライマックスがシンクロしていく。
 
 舞台は香港〜東京〜横浜だが、大映京都の製作なのでロケーションは神戸や京都で行われている。戦前の空気が残る古い建物や、南(久米明)の喫茶店のロケーションや、高台にある水池吾郎(船越英二)のアトリエ、そしてクライマックスの「セント・ヨセフ病院」などの外景が、時代の空気を再現している。

 今回は、いつにもまして「激動の昭和史のなかの椎名次郎」である。シリーズのなかで最もテンションが高く、それゆえエスピオナージュとしても楽しめる。もしも、市川雷蔵が長らえて、シリーズが継続していたら、戦時下の暗躍も描かれたことだろう。それが残念でならない。007による空前のスパイ映画ブームは、宝田明の「100発100中」二部作(1965〜1968年・東宝・福田純)や、小林旭の『俺にさわると危ないぜ』(1967年・日活・長谷部安春)などのプレイボーイ・スパイの荒唐無稽な娯楽アクションを産んだ。しかし、時代劇俳優・市川雷蔵のストイシズムと抑制された演技を最大に活かして、のもう一つの面を引き出した「陸軍中野学校」シリーズが大映京都で製作されたことは、最大の収穫だろう。



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