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『九十九人目の花嫁』(1947年4月22日・佐藤武・新東宝)


エノケン!

 敗戦後ほどなくから、喜劇王・エノケンこと榎本健一は、日劇などの舞台に積極的に出演。笑いやレビューに飢えていた、戦前からのファンを楽しませていた。全国のファンもスクリーンでのエノケンの活躍を渇望していた。敗戦前から準備されていた音楽映画を、戦後向けにリニューアルして完成させた、エノケン、灰田勝彦、轟夕起子、川田義雄主演の『歌へ!太陽』(1945年11月22日・東宝・阿部豊)は、戦後初の東宝作品となった。

 昭和21(1946)年、エノケンプロを立ち上げたエノケンは、映画製作にも積極的に乗り出す。「浅草の坊っちゃん」で一世を風靡したシミキンこと清水金一とのコンビ作『幸運の仲間』(1946年4月18日・東宝=エノケンプロ・佐伯清)に主演。ステージでも組んでいた盟友・服部良一の音楽、明るい笑は焼け跡にこだました。続いて名匠・今井正監督との『人生とんぼ返り』(1946年6月27日)ではペーソスあふれる人情ドラマを演じた。

 続いてのフィルムが失われてしまった幻のレビュー映画『東宝ショウボート』(1946年10月1日・東宝・谷口千吉)は、戦前のP.C.L.時代から東宝の音楽映画、コメディから歌唱シーンなどを集めたアンソロジー。『ザッツ・エンタテインメント!』(1974年・MGM)の先駆けともいうべき作品。

 そして昭和22(1947)年、喜劇の神様・斎藤寅次郎監督が前年の正月映画『東京五人男』(1945年12月・東宝)の姉妹編として企画した「続・東京五人男」改め『聟入豪華船』(1947年1月24日・東宝)を演出。エノケン、岸井明、坊屋三郎、益田喜頓、山茶花究が今回の五人男。さらには内海突破、並木一路も出演。新旧喜劇人たちの賑やかな競演、GHQの意向で「農地改革」をテーマにした民主主義啓蒙映画でもあった。

 その頃、東宝では東宝争議の真っ只中、昭和21年10月に始まった第二次東宝争議により、映画の製作本数が激減して他社の半数まで落ち込んでいた。そうしたなか、ストにも反対、会社側にもつかないと大河内傳次郎が表明。それに賛同した長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、藤田進、黒川弥太郎、原節子、高峰秀子、山根寿子、花井蘭子たち十人のスターが「十人の旗の会」を結成。組合を離脱した。

 その第二次東宝争議が終結して、最初の東宝映画となったオムニバス映画『四つの恋の物語』(1947年3月11日)は、豊田四郎、成瀬巳喜男、山本嘉次郎、衣笠貞之助の四人の監督がそれぞれ演出。山本嘉次郎の第3話「恋はやさし」には『青春酔虎傳』(1934年)以来、コンビを組んできたエノケンが主演。二人のコンビ作は昭和16(1941)年の『巷に雨の降る如く』から6年ぶりとなり、戦前のエノケン映画、エノケン劇団へのリスペクトを込めた佳作となった。

 さて、第二次東宝争議終結を機に、エノケンも「十人の旗の会」に賛同して、設立されたばかりの新東宝映画に、次第にフィールドをシフトしていくことになる。ノンポリのエノケンとしては「映画が自由に作れる」環境として新東宝を選ばざるを得なかった。新東宝作品としては『東宝千一夜』(2月25日)、『今日は踊って』(3月25日)に続く3作目となるのが、エノケン主演『九十九人目の花嫁』(4月22日)となる。

 榎本健一劇団と新東宝の提携作品『九十九人目の花嫁』の製作は、戦前から映画評論家として活躍、新東宝のプロデューサーとして招かれた筈見恒夫。脚本は戦前P.C.L.喜劇やエノケン一座の芝居を手がけてきた永見隆二。音楽は服部正、エノケンの挿入歌の作詞は佐伯孝夫。そして、監督の佐藤武は、松竹蒲田から昭和13(1938)年に東宝に移籍、『チョコレートと兵隊』(1938年・東宝映画東京)を皮切りに獅子文六原作『沙羅乙女』(1939年)などを手がけてきた。エノケンとは本作が初めてとなるが、モダンで都会的なタッチのコメディは、戦前のP.C.L.のムードを思い出させてくれる。

 丸の内の「平和商事」に勤めるサラリーマン・啓太郎(エノケン)は、お母さん(浦辺粂子)と世田谷で二人暮らし。真面目で誠実、親孝行の啓太郎を、早く結婚させたいと、母と伯父(中村是好)はお見合いをセッティングするが、いつもうまく行かない。今日も、日比谷あたりの東京第三ホテルのロビーで、美しい女性(香山みち子)とお見合い。啓太郎のお見合いは、なんとこれで九十八回目!

 それを、近くの席で冷笑しながらみているのは、平和商事の同僚・青山(江川宇礼雄)と二人の事務員(水町公代、三澤啓子)。なぜ啓太郎が馬鹿にされるのか? なぜお見合いがうまくいかないのか? お見合いの席で終始、俯いてばかりの内向的な啓太郎。その代わりに伯父さんがペラペラと、啓太郎のことを捲し立てる。

 実は啓太郎は子供の頃から、どもりで、それがコンプレックスとなって、内向的となり、ほとんど人と会話ができない。それゆえ青山たちに笑われて、イジメられている。でも寝言を言うとき、歌を唄うときだけはスラスラ、ペラペラしゃべることができる。それが本作の笑いとなっている。現在のコンプライアンスでは、テレビ放映もソフト化も無理の「酷い表現」だが、良し悪しはともかく、当時は、こうしたハンデキャップが、ギャップの笑いとして容認されていた。

バスで芽生えたロマンス

 お見合い相手(香山みち子)からの質問攻めに耐えきれずに、啓太郎、その場から逃げ出してしまう。東京第三ホテルのセットは、日比谷の東京會舘をモデルにしていて、正面玄関、フロント、エレベータの位置、二階のサロンへの階段など、そのまま再現している。広いセットだと感心していると、なんとエノケンがそこを走り回るのである! 恥ずかしさにたまらなくなった啓太郎は、猛ダッシュでロビーを駆け抜け、二階への階段を駆け上がる。ホテルの中を縦横無尽に走る、走る、走る! エノケンのアクションのためのセットなのである。このセットが後半のアクションの舞台となる。

 結局、九十八人目の花嫁の父(小島洋々)と母(柳文代)は激怒して帰ってしまう。またしてもお見合い大失敗。それをみて冷笑する青山たち。この映画の江川宇礼雄は、本当にイヤミな男で、観ていて腹が立つほど。

エノケンの歌声!

 啓太郎の心情は、日記と、寝言と、歌声に乗せて吐露されるだけ。大映映画の母・浦辺粂子が、安定のおかあさん芝居で、内向的な息子に心を痛めている。お見合いから帰ってきての午後、二階の窓辺に佇んでエノケンが挿入歌を唄う。現在の感覚では不適切な表現も含まれるが、時代の記録としてそのまま再録する。

♪ ぼくはどもりの道化もの
  歌なら誰にも負けないが
  愛の言葉は一言も どもって喋れない
  いつも苦しい 胸のうち

♪ ぼくは悲しい道化もの
   母さんすすめる花嫁も
 花婿さまがどもりでは どうにもお気の毒
 いつも逃げ出す 情けなさ

 なんとも切ない歌詞。苦しい心情。服部正のメロディーが明るく、佐伯孝夫の詞は(当時の感覚では)ペーソスに溢れているのだが、みていてやりきれない。そんな啓太郎を不憫に思う母・浦辺粂子。これまでのエノケン映画や、この頃のアチャラカ喜劇のムードとは少し違う。佐藤武らしい抒情がある。

 そんな啓太郎だが、困っている人がいると、迷わずに動いて手助けする。翌朝、出勤時に、コンクリートか小麦粉か、粉袋を荷車に乗せ挽いているおじさんが、よろけているので、啓太郎が黙って押してあげる。粉まみれになった啓太郎。バス停「千草園前」に並ぶ。東急バスの東京駅行きのバスは、東宝映画ではお馴染み。その啓太郎の親切を一部始終みているのが、ヒロイン・都美子(福本泰子)。バスの中で微笑む都美子、嬉しい表情の啓太郎。こうしてロマンスが始まる。ヒロインの福本泰子は、エノケン好みの丸顔美人。この年の『聟入豪華船』(1月24日)でもヒロイン・お澄ちゃんを演じている。

 この都美子の父が、実は「平和商事」の部長(清川荘司)で、啓太郎の仕事ぶりを高く評価している。チャラチャラしている青山よりも、仕事が確実な啓太郎に目をかけている。あるとき、青山が書いた見積書に添付するビジネス・レターの内容があまりにもひどいので、啓太郎に書いて欲しいと部長。面白くない青山は、例によって啓太郎を小馬鹿にして、同僚の前で、そのビジネス・レターを読ませる。

 屈辱のなか、啓太郎がどもると、青山たちが嘲笑する。日本のイジメの構造、75年前も変わらない。本当に陰湿。嫌になる。そこで啓太郎、得意の唄で、ビジネス・レターを歌い上げる。そのリズム感覚、ユーモア。ギターのカッティング、エノケンの歌声の歯切れの良さ! どんな言葉でも歌にしてしまうエノケンの才能に感心してしまう。

 でも啓太郎は、青山のからかいに耐えきれず、侮辱に対して苦痛を感じて屋上からの飛び降りまで考えるが、ひとり残される母のことを思うと、想い止まった。その心情を記した日記を読んで、心を痛めるお母さん。心配になり、丸の内へ。そこで道を尋ねた相手が都美子で、という展開もハートウォーミングコメディに相応しい。

海上ビルディング

 昭和22年の丸の内のビルディング街。晴れがましくピカピカである。大空襲から逃れた建物が多いのは、皇居がすぐ近くにあることと、堅牢な鉄筋コンクリートの建物は、連合軍が戦後接収することを考慮していた。「平和商事」のビルのすぐ近くには、連合軍総司令部GHQとして接収された第一生命館がある。とはいえ、ビルの屋上からのショットに、平和を感じる。啓太郎がビルの屋上で、挿入歌を唄う。イントロのギターのマイナーコードが、日記の「自殺願望」とリンクして、観客を不安な気持ちにさせるが、画面のビル群はなんともモダンで、そのアイロニーも佐藤武の狙いだろう。

♪街にほんのり 春の風
 道ゆく人も 楽しそう
だけどさみしい この悩み
とても言えない 母さんに

♪いつになったら 春の花
 ぼくの心に咲くじゃやら
 空を仰げば ぽっかりと
 笑っているよな 白い雲

 これまた切ない心情を綴っている。エノケン流のシャンソンである。戦前もダミアの「暗い日曜日」のカバーを歌っていたエノケンは、こうしたマイナーな曲に、抜群の味わいがある。

 しかし春はそこまでやってきている。メガネを忘れた部長のために、都美子がオフィスまで届けにきて、啓太郎が父の部下だと知って喜ぶ。青山は都美子にランデブーを申し込むも玉砕。都美子は啓太郎を誘って公園へ。そこで自分のことを告白する啓太郎。都美子は自分もどもりだと、優しい嘘をついて、啓太郎の心を開かせてゆく。

 都美子の嘘で、ひとときコンプレックスが解消して、嬉しい啓太郎。お母さんに都美子を紹介したいと、翌日、家に招待する。啓太郎が買い物に出かけている間に都美子が訪問、彼女が啓太郎のために、どもりのふりをしている、その優しさに涙を流す。二階の啓太郎の部屋で、デュエットする恋人たち。

福本泰子とエノケン

♪ (啓太郎)楽しい日曜日
   (都美子)嬉しい日曜日
   (啓太郎)僕は幸せだ
   (都美子)私も幸せよ
   (啓太郎)僕の恋人 かわいいどもり
 (都美子)あなたもやっぱり 優しいどもり
 (二人)二人は幸せだ 互いになんの気兼ねもいらない
     どもり同士の組み合わせ
     愛はハートで 囁くものよ
     ランララ ランララ どもっても
     心と心で 通います
     この感激の 日曜日
     春の鋪道を行こうじゃないか
     楽しい二人のランデブー

 啓太郎と都美子が心を通わすデュエットとして、なかなか味わいがある。エノケンと福本泰子が本当に楽しそう。二人は東京第三ホテルのラウンジで楽しくランデブー。レモンスカッシュか何かを仲良く飲んでいると、またまた青山たちが居合わせて、その場で、都美子が「どもりではない」と彼女の嘘をバラしてしまう。本当にひどい男だ! ショックのあまりに、啓太郎はその場から脱兎の如く逃げ出してしまう。悲しみにくれる都美子。

 翌日、いつものバスにも啓太郎は乗ってこない。会社も欠勤してしまう。これには観客も心配してしまう。内向的で自殺未遂まで考えたこともあるエノケン映画らしくない主人公なので。ところが、啓太郎は愛する都美子のために一念発起、これまで嫌っていた医者に行って、自分の吃音を治療しようと行動を起こす。ここから映画が動き出す。これまでのエノケン映画のような展開となっていくのもいい。

 病院の博士(柳田貞一)は終始無言、全ては博士夫人(清川玉枝)が説明する。啓太郎は幼い頃に「柿の木から落ちたショック」で症状が出たので、高いところから飛び降りるとか、同等のショックを受ければ治る。しかしこれには生命の危険を伴うのでお勧めできない。もう一つの方法は、街ゆく人に誰彼構わずに話しかけること。自分の吃音を気にせずに、積極的になることで自然と治っていく、と。その説明の間も無言の博士。不思議に思った啓太郎が、博士にただすと、なんと博士も「栗の木から落ちたショック」でどもりになってしまったという、乱暴なオチとなる。

 早速、街でそれを実践する啓太郎。まず声をかけたのが下町の労務者(如月寛多)、すき焼き用の肉を買って、家に帰って一杯やろうとご機嫌な労務者。最初は啓太郎の質問に答えていたが、次第に怒り出す。

 次に声をかけたのが、道端にしゃがんでいる腕白小僧(澤井けんじ)。啓太郎の質問攻めに、めんどくさそうにしているが「飴を買ってくれる?」と強請ると、財布からお金を出す啓太郎。小僧は喜んで立ち去る。啓太郎が歩き出すと、なんと小僧の友達が大勢、お金をちょうだいと追いかけてくる。慌てて逃げ出す啓太郎。『キートンのセブンチャンス』(1925年)でバスター・キートンが大勢の花嫁に追いかけられるシーンのようなヴィジュアルとなる。

キートンよろしく逃げ出す!

 続いて声をかけたのは、ちょっと柄の悪い職業婦人(花島喜世子)。エノケン夫人である。バッグや洋服を褒めながら、しつこく婦人に話しかける啓太郎。バッグの中身を見せろと、あまりにもしつこいので、婦人は観念をしてバッグから盗んだ財布の山を出す。「あんたの財布は?」。啓太郎、ポケットの手を入れると財布がない。彼女は女スリだったのだ!エノケン映画らしい、エノケン劇団総出演のスケッチが続く。

 そして道端の靴磨きに「く、靴を、み、みがいて」と声をかける啓太郎。靴磨きを演じているのは、我らがアノネのオッサンこと高勢實乗! オッサン、おもむろに啓太郎の顔にビンタを喰らわす。オッサンもどもりで、啓太郎にからかわれていると思い込んで激怒したのである。この一連のやり取り、文字にすることも憚れるほど、コンプライアンス的には問題ありだが、とにかくアノネのオッサンが全開で、エノケンとのやり取りがヒートアップ。かなり面白い。

アノネのオッサン

 啓太郎もどもりと知って、オッサンの怒りはおさまり、二人はバラックの「おでん屋」で手打ちをする。ここも延々、エノケンとオッサンのやり取りが続く。エノケン「お、親父、も、もう一杯」。親父「へい」。オッサンに注ごうとするとオッサン「も、ももう・・」と手を振る。親父「もういいんですか?」。オッサン「も、ももう、もう一杯」

 グラスに並々と注がれてご機嫌のオッサン。しみじみグラスを電灯の光にあてて「オッサンこれは、メ、メ、メチールじゃないだろね?」と疑う。敗戦後、酒が足りなくなり、医療用のメチルアルコールを出す闇の酒場が横行して、飲んだ客が失明して「目散るアルコール」と呼ばれて社会問題になっていた。齋藤寅次郎監督の『東京五人男』でもこのネタが登場する。

 しかし、店の親父(鳥羽陽之助)は「滅相もない。ちゃんと検定済みの品でござんすよ」と不満げに答える。カウンターの端で、飲んでいるあんま(柳家権太郎)が「へへへへ」と奇声を発して笑う。「たとえこれがメチルであろうと無かろうと、こちとらの目にはもはや関係のないこった」と大笑い。これまた不謹慎な笑いだが… 柳家権太楼は『東京五人男』で、このメチル酒場の不正を暴く五人男の一人を演じていた。

オッサンとエノケン

 後半の展開は、エノケン映画らしいアナーキーさと、笑いに溢れてくる。で、この「おでん屋」の外が俄かに騒然となる。ピストル強盗が警官隊に追われている大捕物の真っ最中。しかもこのピストル強盗はなんとエノケン二役。で、オッサンと外に出て見物していた啓太郎、犯人と間違われて警官に連行されそうになり、またまた逃走!

 で、そのどさくさで、店の親父がいなくなって、あんまはこっそり盗み酒。柳家権太楼師匠の一連の動きが見事。のちの座頭市の勝新太郎さんも書くやの座頭芝居。あたりを気にしながら酒瓶を抱えて、コップにぴったり注ぐまでの動きが完璧。一方、無一文のオッサンは、おでんの皿ごと新聞紙に包んで食い逃げしようとする。そこへ親父が戻ってきて、「旦那、お勘定はどうなるんです?」「か、か、勘定? そ、そんなこと言われちゃ、わしゃ、かな、かなわん…よぉ」と最後に持ちネタを大爆発させる。これぞオッサン!

 一方、東京第三ホテルのラウンジには、啓太郎のことを心配してお母さんに相談している都美子。例によって会社の女の子と一緒の青山たちが揃っている。そこへ、ピストル強盗のエノケンが逃げ込んでくる。警官隊も追いかけてくる。誰もが啓太郎が道を踏み外したのだと思い込んでしまう。ピストル強盗のエノケンも、縦横無尽にセットを逃げ回り、アクション、アクション。となる。そこへ、啓太郎がやはり警官に追われて逃げてきて・・・ ならば僕が捕まえると、青山が張り切って、警官と一緒に啓太郎を追いかけるが… ピストル強盗にやられて、二階のフロアから突き落とされて意識不明に。

 ホテルで、二人のエノケンが鉢合わせとなる。古くは『チャップリンのゴルフ』などで定番の二役ネタである。エノケン映画でも『近藤勇』(1935年・P.C.L.)などで二役ネタはお馴染み。ホテルの廊下で鉢合わせした二人。あまりにもお互いが似ているので、鏡かと思い込んでしまう。つまりマルクス兄弟の『吾輩はカモである』(1933年・パラマウント)での「鏡のギャグ」のリフレイン。オリジナルではグルーチョ・マルクスとそっくりのメイクをしたハーポ・マルクスが、グルーチョと全く同じ動きをする「笑い」だった。ここでは、なんと鏡の代わりにスクリーンプロセスで、あらかじめ撮影したピストル強盗のエノケンのフィルムを投影、その前で啓太郎のエノケンが同じ動きをする! 

マルクス兄弟の鏡のギャグのリフレイン
二人のエノケン

 当時の観客はびっくりしたことだろう。クライマックス、追いつ追われつの果てに、地下室に紛れ込んだ二人の格闘。そして階下への墜落。二人とも意識を失ったまま、警察がやってくる。ロビーのソファーに横たわる二人のエノケン。どっちが啓太郎か? お母さんは、啓太郎がどもりであることを説明。それで見分けることにするが、啓太郎、落下のショックで治ってしまい、目が覚めると、流暢にしゃべって、またまた犯人と間違われてしまう。

 さて、意識不明の青山はどうなったのか? その後、目が覚めると、なんと青山は落下のショックで、以前の啓太郎のようにどもりになってしまって… という因果応報のオチとなる。

 ラスト、全てが解決して、春の並木路を歩く啓太郎と都美子のデュエット。

♪(啓太郎)街は春
 (都美子)私たちも春
 (二人)あーあ 若い二人は 
     新し春の 春のブラッカード 
     心ふたつをがっちり結ぶ 
     赤いテープの結び目で 
     愛の小鳥が歌います 
     そよ風青く 二人は 
     楽しい春のブラッカード

ハッピーエンド!

 こうしてハッピーエンドとなる。佐藤武監督は、この7年後、フランスの戯曲「リリオム」を翻案したほろ苦いハートウォーミング・コメディの佳作『エノケンの天国と地獄』(1954年)で再びエノケン映画を手がけることになる。

新東宝データベース1947〜1962 リンク

 



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