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門前の寅さん、習わぬ経を詠む・・・『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(1983年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年11月11日(土)BSテレ東「土曜は寅さん!4Kでらっくす」で第32作放映!拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第32作『口笛を服寅次郎』についての原稿から抜粋してご紹介します。
 

 初めて『男はつらいよ』をご覧になる方に、「何から観ればいいでしょう?」とご質問を受けることが時々あります。シリーズ全作をご覧になりたい、という方には迷わず第一作『男はつらいよ』(一九六九年)をオススメします。全く予備知識がなく映画を楽しみたい、という方には、いつも第三十二作『口笛を吹く寅次郎』をご紹介しています。その理由は「幸せな気分になれるから」です。シリーズ後半、昭和五十九(一九八四)年のお正月映画として公開された『口笛を吹く寅次郎』を劇場で観たときに、なんて幸せな映画なんだろうと、心の底から味わいました。

 舞台は、備中高梁市。第八作『寅次郎恋歌』に登場した、博の父(志村喬)が生まれ育った街です。『寅次郎恋歌』では、博の母が危篤となり、博とさくらが駆けつけるも急逝、それを聞いた旅先の寅さんが駆けつけるという展開でした。妻を喪い、男やもめは寂しかろうと、寅さんがそのまま居残って、博の父としばし共に暮らして「りんどうの花」のエピソードが語られることとなります。

 『口笛を吹く寅次郎』では、旅先の寅さんが、三年前に亡くなった、博の父の墓参りに菩提寺の蓮台寺を訪れます。寅さんは墓前で「博はちゃんとやってるからな、さくらとも仲良くやってるし、何の心配もいらねえよ」と報告します。第一作、第八作、そして第二十二作『噂の寅次郎』での、博の父と寅さんの交流を観てきた観客にとっては、しみじみと味わいの深い名場面です。

 志村喬さんは昭和五十七(一九八二)年二月に亡くなりましたが、こうしたかたちで、名優を悼み、リスペクトをする物語を紡ぐ、山田洋次監督の眼差しが素晴らしいです。第一作で博の父をキャスティングする際に、山田監督は、『男ありて』(一九九五年・東宝・丸山誠治監督)で志村さんが演じた、家族を顧みず仕事に専念するプロ野球の監督をイメージしたそうです。仕事ではプロだけど、家族とのコミュニケーションはてんでダメな日本の男の無骨さ、無粋さを、志村さんは「男はつらいよ」でも好演しました。

 やがて寅さんは、蓮台寺の和尚・泰道(松村達雄)と、その娘・石橋朋子(竹下景子)と出逢い、朋子の美しさに惹かれて、その晩は寺に泊まります。ところが翌朝、寅さんとしこたま飲んだ和尚さんが二日酔いで法事に出ることができず、困った朋子に「私が行きましょう」と申し出ます。

「私にも責任のあることですから。なに門前の小僧習わぬ経を詠むといいましてね。私もお寺の前で育った男です。法事の真似位なんとかなりますよ。衣貸して下さい」

 寅さんが納所さんとして、ハンコ屋・大阪屋(長門勇)のおばあちゃんの法事に向かうことになります。

 納所とは、禅寺で、施物の金品やお米などの出納業務を司る、いわばお寺の事務担当の「納所坊主」のこと。寅さんはタンカ売で鍛えた話術で、口から出任せ、しかし説得力のある法話で、たちまち檀家の人気者となります。

 やがて博の父の三回忌の法事が蓮台寺で行われることになり、さくら、博、満男が、備中高梁市にやって来ます。

 ぼくたちは、さくらたちを何が待ち受けているいるのかが判っています。寅さんの稚気ある企みに、ワクワクしながらその時を待ちます。坊さん=寅さんが、いつさくらにバレるか? まるで寅さんと一緒にイタズラをしている気分です。この映画の「幸せな感覚」はこのシーンにも溢れています。

 『寅次郎恋歌』でも描かれていた、博と長兄・毅(梅野泰靖)と次兄・修(穂積隆信)との確執が、ここでもリフレインされ、いささか重苦しい雰囲気になったときに、蓮台寺の納所さんから、翌日の法事の出席人数の確認の電話がかかっています。電話をかけてくるのは、もちろん寅さん。電話に出た博は、真面目に受け答えをします。電話を切ったあと、寅さんは「奥さんはさくらさん、フフフ、お待ちしております。」この時の渥美さんの顔! イタズラ小僧時代の寅さんが浮かびます。このおかしさ。

 喜劇的状況ということだけでなく、寅さんの微笑みに、渥美清さんの表情に、ぼくらは笑いながら、とても幸福な気分で、映画を楽しむことができます。寅さんがなぜ、お坊さんの真似事をしているのか? その理由はもちろん、美しき朋子です。

 寅さんは「俺から恋を取ったら何が残るか?」とかつて断言したほどの恋多き男です。ここのところ若い恋人たちの恋愛指南などをしていた寅さんの久々のときめきは、観客をワクワクさせてくれます。

 いろいろあって、なんとなく朋子との結婚を意識した寅さんは、家族への報告と坊主になるための修業を相談するために柴又へ戻ってきます。どこで入手したのか、朋子の写真を源ちゃんに見せる寅さん。

源公「この人が兄貴に掘れとるんでっか? 結婚するんでっか?」云寅「そうはいかない。その人と一緒になるためには、どうしても坊主になる資格をとらなきゃいけない」
源公「でも兄貴、愛があればなんとかなるんやないか?」
寅「それは若者の考えることだ。俺ぐらいに分別が出てくると、そうは簡単にはいかない。お前たち若者がうらやましいよ。」

寅さんのこの言い方がまたおかしいです。 なんとも余裕のある感じで。こんな寅さん、源ちゃん以外の前では絶対見せない分別ある大人を気取ってます。BGMは、第二十八作『寅次郎紙風船』で初登場した「口笛のテーマ」です。この音楽もまた幸せな気分をもたらしてくれます。ことほど左様に『口笛を吹く寅次郎』は、最初から最後まで、幸福な気持ちを味わうことができる傑作の一本です。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください





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