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『妻よ薔薇のやうに』(1935年8月15日・P.C.L.・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男監督研究。昭和10(1935)年、松竹大船からP.C.L.映画製作所に移籍してきた成瀬としては『乙女ごころ三人姉妹』(3月1日)、『女優と詩人』(3月21日)に続く3作目『妻よ薔薇のやうに』(8月15日)をスクリーン投影。これはアマプラやU-NEXTでも配信されるので、数少ない「気軽に観られる」戦前成瀬作品である。

 原作は劇作家・中野実が新生新派のために執筆した戯曲「二人妻」。歌人で完璧主義の妻との生活に疲れ、妻子を残したまま、一攫千金を夢に見て山に籠った山師の夫。年頃になった娘が、自分の結婚を控えて、父母の縁を戻そうと、父を訪ねるも、父には愛人と二人の子供がいて…。揺れ動く乙女心、破綻した夫婦の齟齬を描く新派らしいドラマ。その悲劇を成瀬が脚色。P.C.L.映画らしいモダンなタッチで映画化した。タイトルも「二人妻」より『妻よ薔薇のやうに』と抒情的だが、映画の内容を一瞬で想起させるもではない。この成瀬の「なんとなくわかるけど、やぱりわからないタイトル」は翌年の『君と行く路』(1936年9月1日)、『明日の並木路』(11月1日)へと続いていく。

 丸の内のオフィス・ガールのヒロイン山本君子役には、P.C.L.生え抜きの女優・千葉早智子。その婚約者のサラリーマン・精二役には、大川平八郎。つまり『ほろよひ人生』(1933年・木村荘十二)以来、P .C .L.映画のリーディングスターを務めてきた二人の主演作である。

 出奔した山師の父・山本俊作には、丸山定夫。築地小劇場から独立して新築地劇団を牽引してきた新劇役者である。自社製作を開始したばかりのP.C.L.と劇団ユニット契約、エノケン一座とともに、専属となる。新劇とエノケン一座、この振幅の大きさがP.C.L.映画を充実させていく。

 君子の母で、女流歌人の山本悦子役には、伊藤智子。P.C.L.映画から東宝映画でお馴染みの女優だが、その経歴は異色である。1913年、のちに戦犯となり「バターン死の行進」の責任で処刑されることになる陸軍中尉・本間雅晴と結婚。夫がロンドンに駐在している間に、小山内薫と知り合い舞台へ。本間中尉と離婚後は奔放な生活を送り、1927年には村山知義の心座に参加、築地小劇場、新協劇団の舞台に立つ。美術家の伊藤熹朔と結婚を機に、P.C.L.映画と専属契約を結び、本作へ出演。なので、クールな女流歌人、仮面夫婦の妻役にはぴったり。成瀬は、伊藤智子のこれまでのキャリアをうまく活かして、悦子役を造形している。

 P.C.L.マークに流れる高らかなファンファーレ、哀調のメロデーに転調してタイトル。そしてマーチのリズムに乗せてスタッフ、キャスト・クレジットとなる。キャスト紹介になるとワルツへ転調。バックの画像は咲き乱れる白い薔薇。音楽を担当している伊藤昇は、日本交響楽協会で山田耕作に、作曲と対位法を学び、新交響楽団の首席トロンボーン奏者となった音楽家。1936年のベルリン・オリンピックの芸術競技「音楽」での「作曲」の日本代表となるも敗退。本作を機にP.C.L.専属となり、『エノケンの近藤勇』(1935年10月11日)ではラベルの「ボレロ」を使用するなど音楽的実験を行なっている。成瀬巳喜男のお気に入りとなり『君と行く路』『朝の並木路』はじめ数々の作品でコンビを組むこととなる。

 トップシーンは、何度見ても惚れ惚れする。丸の内のビル街。エレベーターを連想させるワイプ処理。ハットを被ったサラリーマンたちが歩いている。関東大震災で壊滅した帝都東京が、ニューヨークのような鉄筋コンクリートのビル街を擁するモダン都市として再生。ホームに入線する省線(山手線)。東京駅丸の内口の雑誌スタンドの前の女の子。新橋方向からのアングルで、山下橋のあたりから、日比谷方向を捉えるショット。日比谷映画のアールデコ建築、丸い屋根が晴れがましい。線路を走る省線は、有楽町方向へ。

 そして、そのビル街の一室。誰もいなくなったオフィスで、少年給仕が口笛でジャズソング「青空」を吹きながら、テーブルの湯呑みを片付けている。給仕とともにキャメラがドリー移動する。画面の奥、ブラインドが降りた窓際で、山本君子(千葉早智子)が机に向かって何か書いている。

給仕「山本さん、まだ帰らないの?」
君子「もう帰るわよ」
ハットにジャケット、ネクタイにスカート。ボーイッシュなスタイルの千葉早智子がカッコいい。
給仕「山本さん、まだ恋人ないんだろ?」
君子「生意気言ってら」
給仕「寂しいんだろうな」
君子「ご親切さま、たった一人はあるんでございますのよ」

 キャメラはドリー撮影で千葉早智子に回り込む。給仕に向かって、二本指でさっと挨拶をする。さりげなくポケットチーフをシュッと上げ、ネクタイを整える。その佇まいがスタイリッシュ。そこに「青空」の口笛が流れる。給仕の口笛かと思わせておいて…

ビルの外で、口笛を吹いて、君子が出てくるのを待っている恋人・精二(大川平八郎)。

君子「あら、待っててくれたの?」
精二「背負ってら」
君子「じゃ、何してたの?」
精二「待ってよか、それとも帰ってしまおうかと思っていたところに君が来たんだよ」
君子「なんだ、待ってたのと同じじゃないの」
精二「違うさ、気持ちの上ではだいぶ違うよ」
君子「そお」

と歩き出す君子。それを追いかける精二。
精二「どっかシャシン観に行かない?」
君子「私、今日は用があるの」
精二「ああ、僕も今日は忙しいんだ」
君子「そお、じゃさよならするわね」

 あっさりした恋人たち。それゆえに仲の良さを感じさせる。精二の月給は55円、君子は45円。収入に差がないので、対等な感じもいい、モダンなオフィスガールとサラリーマンの土曜日の午後。本編のドラマとは直接関係ないが、東京での君子と母の暮らしと、長野の山奥の別宅で暮らしている父親との世界の対比を際立たせることとなる。

大川平八郎、千葉早智子

 第一回東京国際映画祭に合わせて、本作がフジテレビで深夜オンエアされた時に、録画したBetaテープで、繰り返しこのシーンばかり観た。1985年のことだから、映画が作られてから半世紀。戦前のモダン東京の雰囲気に惹かれ、戦前P.C.L.映画への興味が俄然湧いてきた。

 君子の母・悦子(伊藤智子)は売れっ子の女流詩人。たくさんの弟子がいる。君子と赤坂区青山高樹町の瀟洒な住宅に住んでいるが、収入は君子のサラリーに頼っている。15年前、悦子と折り合いが合わずに、出奔した夫・俊作(丸山定夫)が時折、まとまった金を送ってきたおかげで君子は女学校を卒業することができた。

 芸者・お雪(英百合子)との間に、二人の子供を儲けたまま、正式に離婚をしていない俊作は、「一山当てたら」の夢を抱いて、今日も山に籠っている。優柔不断な男である。悦子の兄・新吾(藤原釜足)と妻(細川ちか子)も、気にはしているが、そのうち帰ってくるだろうと安穏と月日を過ごしてきたようだ。

 今では考えられないことだが、昔の小説や映画では、こうした別宅を持つダメ男がよく出てくる。そんなある日、新吾を介して山本夫妻に「仲人をして欲しい」という話がくる。精二の父にも、そろそろ結婚の挨拶をしなければならない。

というわけで、君子は「お父さんが家に帰ってらっしゃる!」と早合点して、精二に付き合わせて、夕食の材料を沢山買い込んで、ご馳走を用意する。その時の、千葉早智子の表情が実に可愛らしい。お肉に衣をつけてカツレツを揚げる。トンカツではなくカツレツ。この時代、家庭で本格的な洋食を作っていたんだなぁと。

 しかし、君子の期待をよそに、俊作は帰ってこない。落胆する君子。アイドル映画のように、千葉早智子のさまざまな表情が味わえる。浅野正雄監督によるリメイク版も、この一連のシークエンスに監督の「萌え」を感じる。とにかくワコちゃんが可愛いのである。成瀬巳喜男監督は、1937(昭和12)年、千葉早智子と結婚する。わずか三年で離婚するのだが、二人が結婚することになるのは、映画を観ていると納得できる。

 そこで君子は、意を決して父・俊作に逢いに行く。汽車を乗り継ぎ、長野の山奥にやってきた君子のスタイルは、オフィスに出勤するときのような、モダンな洋装。およそ牧歌的な風景には似合わない。都会と田舎の対比。俊作にとっては東京青山での妻との窮屈な生活よりも、のびのびとした田舎で一攫千金のロマンこそ、本来の自分の暮らしなのである。

 それを明確にするための、前半の都会のモダンな描写だったのである。しかも、愛人である元・芸者のお雪(英百合子)は、君子や観客の想像を裏切って、髪結をしながら家計を支えて、長女・静子(堀越節子)と長男・健一(伊藤薫)を、しっかりと育てている。二人とも立派に成長していて、それゆえ君子は嫉妬するが、同時に敗北を感じて、俊作とお雪の暮らしを受け入れ始める。

 しかも、俊作からの送金と思っていた仕送りは、お雪が働いて貯めていたお金だったことがわかり、君子はそれまでの自分を反省する。「ここへ着くまで、あなたがこんなに働いて、父を助けて下さろうとは思っていませんでした。あたしたちが困っているのに、きっと贅沢な真似をしていると思って…」

 君子と俊作を見送りながら、長男・健一(伊藤薫)が歌う唱歌「♪道をはさんで 畑一面に〜」は、明治43(1910)年7月「尋常小学校唱歌」に収録された「いなかの四季」(作詞:堀沢周安)

 だけど、お父さんを独占したい。複雑な感情のまま、知人の仲人と精二の両親に挨拶する俊作を連れて、帰京する君子。この中盤の「君子の旅」シークエンスの演出は見事で、のちの成瀬作品に通底するアイロニカルなシチュエーションの原点でもある。

「東京で帰ってくる汽車の中でなのよ。どこの停車場でだったかしら、私の知らない間にね、お父さん、みかんやチョコレートを買ってくれたの。私、本当言えばそれまで、お父さんにそれほど愛着を感じてなかったのよ。でもそのとき、そんなわずかなことで、急にお父さんをいつまでもそばに置きたいほど、懐かしさを感じたの。お雪さんの子供たちを憎く思ったほどだわ。山でお雪さんに、お父さんはきっと返す、と約束したんだけど、私はそのとき、返すまいと決心したわ」

 俊作が帰ってきた翌日、君子は両親を誘って遊びに出かける。家を出てゆっくり歩く三人。自宅は青山高樹町という設定だが、今では考えられないほど牧歌的な風景である。三人の向こうに、ドイツ風の洋館が建っている。この洋館は、成瀬の『君と行く路』(1936年)のラスト近く、ヒロイン尾上霞(山懸直代)が車で通りすぎるのがこの洋館(現在・渋谷4丁目)。川島雄三の遺作『イチかバチか』(1963年・東宝)では伴淳三郎の邸宅としてロケーション。この洋館は健在で、現在はフレンチ「メゾンド・ミュゼ」として営業中。

メゾンド・ミュゼ

ということは、君子が円タクを捕まえようと、『或る夜の出来事』(1933年・コロムビア・フランク・キャプラ)のクローデット・コルベールよろしく、ヒッチハイクポーズをするシーンの道は、現在の骨董通りということになる。

円タクに乗った三人。
君子「ね、お父さん、どこ行きます?」
俊作「そうだなぁ、お父さんは、どっかで美味い酒が飲みたいなぁ」
悦子「お酒は家に帰ってからも召し上がれるんですから、何かもっと意義のあることになさったら」

妻・悦子に嗜められて、大いにクサる俊作。次のカットでは「青峰塾書道展」の看板がインサートされる。三人は悦子の提案通り、書道展に行ったのだ。さらに次のカットに「お母さんのおっしゃる通りになったのだから、今度はお父さんの番よ」と君子のセリフが被り、隅田川沿い、1912年に完成した旧新大橋(現在は明治村に移築)を望む料亭の座敷で、酒を飲む俊作。ほんの一瞬だが、隅田川と新大橋がインサートされるだけで映画に風情が出る。もう少し飲みたい俊作だが、「まだ召し上がるんですか?」悦子の厳しい視線に「もうやめようかな」と居心地が悪そうである。

新大橋を望む料亭

 これでは俊作が悦子から離れて、お雪と一緒になったことが、観客にも共感される。次のカットでは、君子のリクエストで「鏡獅子」を見る。この年7月、小津安二郎が歌舞伎座で福地桜痴作の新歌舞伎舞踊『新歌舞伎十八番之内 春興鏡獅子』の記録映画を撮影しているが、こちらはP.C.L.映画なので東京宝塚劇場での6月1日〜30日・宝塚少女歌劇星組公演「鏡獅子」のモダンな舞台を収録。小津が歌舞伎座で、成瀬が宝塚劇場というのが興味深い。

東京宝塚劇場 星組公演

 かなりパワフルな舞台なのだが、俊作はさきほどの酔いが回って、ウトウトと寝ている。隣の悦子は耐えられなくなり、君子を促して外へ出る。次のカットは松屋銀座デパートの外観。悦子が先をさっさと歩いて、俊作、君子がそれに続く。カットが変わって四丁目、銀座通りを行き交うボンネットバス、自転車。俊作は靴屋のショーウィンドウに立ち止まる。「お父さんの?」「いや健一がね、靴を欲しがっていたんだよ」うつむく君子。

松屋銀座デパート

「だめなのねぇ。お父さんの気持ちはすっかり田舎にあるんだし。母さんと来たら、相変わらず、自分のことしか考えてないでしょう」。これまでの一部始終を、精二に話している。俊作の気持ちは、悦子が完璧主義で「偉すぎてやりきれない」と君子も理解している。「どこまで行っても気持ちは溶け合わないんだね」と精二。夫婦が修復不能なのは、致し方のないこと。

 この日、俊作と悦子は、頼まれた仲人を勤めており、君子と精二は留守番していたのだ。帰宅後、悦子は歌のインスピレーションが沸いたのか部屋に閉じこもり、俊作は「まだ時間があるから、今夜の汽車で帰ろう」と言い出す。

君子「母さん、お父さん、お帰りになると仰っているのよ」
悦子「おかえりになるんですか?」
俊作「すまないが、許してくれ…」
悦子「そうですか… ではどうぞお達者で…」
俊作「いろいろお世話になりました」

 不思議な夫婦の会話だが、悦子は部屋へ戻る。敗北を感じて涙を流す悦子。そこへ悦子の兄、君子にとっては叔父・藤原釜足がやってきて、その事態に驚いて、悦子に「俊さん、またお雪のところに帰ると言ってるぞ」と慌てていう。

「人は皆、心ごころですもの、帰るというのを無理に止められません」と悦子。このセリフこそ『妻よ薔薇のやうに』のテーマでもある。

去り際に俊作は精二に挨拶をする。
「精二さん、君子のことを頼みます。君子、お母さんのこと頼んだよ」。悲劇ではあるのだが「人は皆、心ごころ」は本質でもある。慌てて叔父さんが円タクを追いかけるが、すでに遅く、見送りを終えて精二が戻ってくる。

叔父さん「なんだ?自動車があったのか?」
精二「あ、あれ、叔父さんが乗ってきた自動車でしょ?」
叔父さん「ばか」

この日常のユーモアこそ、成瀬映画の味わいでもある。

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