『ワーズ・アンド・ミュージック』(1948年未・MGM・ノーマン・タウログ)
アーサー・フリード製作のMGMミュージカル『ワーズ・アンド・ミュージック』(1948年・MGM・ノーマン・タウログ)をAmazonプライムビデオからスクリーン投影。初見は1980年代、ニューヨークで買ったVHSビデオで、その後、アメリカ盤LD、DVDと繰り返し観てきたが、字幕版はこれが初めて。
MGMミュージカルの楽しみは、多彩な出演者によるカラフルなミュージカル・ナンバーに尽きる。のちの『ザッツ・エンターテインメント』(1974年)シリーズは、こうしたナンバーのアンソロジーの楽しさを僕たちに教えてくれた。
1940年代、戦意高揚のために作られた『姉妹と水兵』(1944年・リチャード・ソープ)のような「キャンティーン映画」のスタイルを引き継いで、第二次大戦後に連作されたのが音楽家の伝記をミュージカル・ナンバーで綴る「ソング・ブック映画」だった。そのきっかけは、ワーナーが製作したジョージ・ガーシュインをロバート・アルダが演じた伝記映画『アメリカ交響楽』(1945年・アーヴィング・ラバー)。これが大ヒットして、ワーナーは、ケイリー・グラントがコール・ポーターを演じた『夜も昼も』(1946年・マイケル・カーティズ)を製作。
お馴染みのスタンダード・ナンバーの誕生の瞬間や、初演の舞台を映画で再現しながら、作曲家の生涯を辿っていくという構成は、まさしくバラエティ・ショウの楽しさに溢れていた。
その頃、MGMミュージカルのプロデューサー、アーサー・フリードはブロードウェイ・ミュージカルのマスター・ピース「ショウボート」の再映画化を企画していたが頓挫。そこで「ショウボート」の作曲家、ジェローム・カーンをロバート・ウォーカーが演じた”Till the Clouds Roll By”(1946年12月5日ニューヨーク公開・日本未公開)を製作。トニー・マーティン、キャサリン・グレイスン、ジュディ・ガーランド、リナ・ホーン、フランク・シナトラなど錚々たるスターが次々と登場。ジェローム・カーンの名曲を唄い踊る。まさに『ザッツ・エンターテインメント』のスタイルである。
この大ヒットにより、アーサー・フリードは「作詞・作曲家の伝記・ソング・ブック映画」を、1950年代にかけて連作する。その第二作が、ブロードウェイで数々のステージをヒットさせ、スタンダードナンバーの数々を手がけた作曲家リチャード・ロジャースと、作詞家ロレンツ・”ラリー”・ハートの伝記『ワーズ・アンド・ミュージック』(1948年12月31日・MGM・ノーマン・タウログ・日本未公開)である。
原案はガイ・ボルトンとジーン・ハロウェイ、脚本はベン・ファイナー・ジュニアとフレッド・F・フィンクルホフ。伝記映画とはいえ、かなり自由脚色をしている。
ミッキー・ルーニーがラリー・ハート、トム・ドレイクがリチャード・ロジャースに扮して、彼らの出会いから、下積み時代、そして成功の日々、絶頂期のハートの死までを描いていく。とはいえドラマ部分よりも、121分の長尺のほとんどをロジャース&ハートの名曲の数々を、豪華キャストが唄い、踊り、再現。ペリー・コモ、ベティ・ギャレット、アン・サザーン、シド・チャリシー、ジューン・アリスン、リナ・ホーン、ジュディ・ガーランド、メル・トーメ、ジーン・ケリー、ヴェラ・エレンたちのパフォーマンスが、美しいテクニカラー、ゴージャスなヴィジュアルで展開。まさに眼福。
ペリー・コモが、ロジャース&ハートの友人の歌手、エディ・ロリソン・アンダースとして"Mountain Greenery"などを次々と歌い、ラストのロレンツ・ハート追悼コンサートでは、ペリー・コモ自身として登場。"With a Song in My Heart"を歌い上げる。
ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーが久々に共演して、"I Wish I Were in Love Again"をデュエットするシーンは、1930年代末から40年代初めにかけて連作された「裏庭ミュージカル」の名コンビが、1943年の『ガール・クレイジー』(未公開)以来、5年ぶりの復活。かつてのファンの胸を熱くしたことだろう。
タイトルバックで演奏されるのは、パラマウント映画『今晩は愛して頂戴ナ』(1932年・ルーベン・マムリーアン)から生まれた”Lover”のインストゥルメンタル。演奏はMGMスタジオ・オーケストラ。
トップシーン。トム・ドレイクが登場して「ぼくがリチャード・ロジャースを演じ、ミッキー・ルーニーがロレンツ・ハートを演じます」と前置きした上で、作曲家リチャード・ロジャースが今は亡きパートナーの想い出を語り始める。というスタイル。トム・ドレイクは『姉妹と水兵』(1944年)で陸軍の兵隊を演じ、1940年代の若手スターとしてMGMで活躍していた。
1919年、作詞家、ロレンツ・”ラリー”・ハート(ミッキー・ルーニー)は、パートナーを探していた。ラリーの友人ハーブ・フィールズ(マーシャル・トンプソン)は、若き作曲家、ロジャースを紹介する。ピアノで新曲を披露するロジャース。しかしハートは聞くでもなく、電話をかけたり、部屋をウロウロしたり。「大丈夫か?」と不審に思うロジャースだが、しばらくしてそのメロディに、ラリーが見事な詞をつける。雑誌に殴り書きした歌詞を読み上げながら、歌い出すラリー。ロジャースがピアノを演奏する。Manhattan"(1925年)誕生の瞬間である。
しかし、どの音楽出版や、プロデューサーも、二人の曲を評価せず、2年の月日が流れる。ロジャースが作曲の道を諦めようとしたところ、シアター・ギルドのバラエティ・ショウの依頼があり、これが大成功。二人の将来に明るい光が差し始める。
ドラマの主軸となるのは、ラリー・ハートが、売り出し中の歌手、ペギー・ローガン・マクニール(ベティ・ギャレット)に夢中になり、彼女に求愛するも「愛しているけど、結婚するほどではない」と断られてしまう。この失恋の痛手が、彼の自信を失わせ、たびたび行方をくらます”失踪癖”が、ロジャースたちの頭を悩ませていく。
ロジャースも、初めての舞台の主演女優で"Where's that Rainbow?"(1926年)を歌ったブロードウェイのスター、ジョイス・ハーモン(アン・サザーン)に求愛する。23歳の若者が33歳のスターに恋をしても「年が離れすぎていて」所詮は叶わない。失恋の痛手を負ったロジャースは、親友のベン・ファイナー(リチャード・クワイン)の妹ドロシー(ジャネット・リー)を映画に誘うも「年が離れすぎている」と断られてしまう。一日で、年上と年下の女性に振られたロジャースは、失意のまま映画館へ。
スクリーンでは、グレタ・ガルボとロバート・テイラー主演『椿姫』(1936年・MGM・ジョージ・キューカー)を上映中。1919年からいきなり1936年に時間が飛ぶが、そこは娯楽映画の嘘ということで。結局、ロジャースはドロシーと結婚、幸せな家庭を築くことになるが、一方のラリー・ハートは、失恋の痛手から抜け出せず生涯独身を貫いてゆく。
ちなみにドロシーの兄を演じているリチャード・クワインは、MGM映画の子役として、ミッキー・ルーニーやジュディ・ガーランドたちと共演していたが、のちに映画監督となる。キム・ノヴァクとジャック・レモンの『媚薬』(1958年・コロムビア)やオードリー・ヘップバーンの『パリで一緒に』(1963年・パラマウント)などを手がけ、「刑事コロンボ」では「ロンドンの傘」(1972年)などを演出することとなる。子役から監督、というとロン・ハワードを連想するがクワインはその大先輩でもある。
前半のハイライトの一つが、若きシド・チャリースが、マーゴ・グラントに扮してモダンなバレエを踊る二つのシークエンス。ロジャースが『椿姫』を観る映画館での実演が"The Boys from Syracuse" (1938)の”This Can't Be Love”。ディーン・ターンネルとシドのデュエットで華麗なるナンバーが展開。この二人は、続く"On Your Toes" (1936)の舞台で”On Your Toes”を歌って踊る。このシーンのシドの歌声は、アイリーン・ウィルソンが吹き替えている。
"A Connecticut Yankee" (1927)の舞台シークエンスでは、ジューン・アリスンとレイモン&ロイスのブラックバーン兄弟を従えて”Thou Swell”を歌い、踊る。このナンバーは『ザッツ・エンターテインメント』(1974年)で紹介されていたので、僕らにとっても馴染み深い。とにかくジューン・アリスンが可愛い。ブラックバーン兄弟は、前半、アン・サザーンの”Where's That Rainbow?”でも踊っている。
ロジャースとドロシーがデートするナイトクラブでは、リナ・ホーンが登場。ブロードウェイミュージカル”Babes in Arms”(1937年)から生まれたスタンダード"Where or When"をしっとりと歌い上げる。リナ・ホーンは続いて、フランク・シナトラの十八番となった"The Lady Is a Tramp"(1937年)を歌う。この曲も”Babes in Arms”のために書かれたナンバー。”Babes in Arms”は、ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの「裏庭ミュージカル」第1作『青春一座』(1939年・MGM・バズビー・バークレイ)として映画化された。
いつまでもペギーの影を追いかけているラリー・ハートを心配したロジャーズ夫妻は、ハリウッド行きを提案。ビバリーヒルズの豪邸に住んだロジャースは、ハリウッド・スターを招いて、豪華なパーティを開く。このシーンが後半のハイライト。ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーがI Wish I Were in Love Again"(1937年)をデュエットする。この曲は、ブロードウェイミュージカル”Babes in Arms”のナンバー。この曲は映画版『青春一座』では歌われていない。なので、9年越しのデュエットが実現したわけである。
二人にとって、これが映画での最後のデュエットシーンとなったが、1963年CBSテレビ「ザ・ジュディ・ガーランド・ショー」の第一回(1967年12月8日放送)にミッキー・ルーニーがゲスト出演して、再会を果たした。まさに黄金コンビである。
さて、ジュディ・ガーランドは引き続き、パーティ客のリクエストに応じて、『青春一座』で歌った"Johnny One Note"(1937年)をソロで歌う。バンドメンバーを従えてのパワフルなショウ・ストッパー・ナンバーが展開される。ジュディ・ガーランドの天賦の才を感じさせてくれる見事なパフォーマンスである。劇中、ジュディはロジャース&ハートの新作に出演することを約束、ラリーにとってもやりがいのある仕事に思えたが、この頃から偏頭痛に悩まされ、病魔がラリーを蝕んでいたのだ。
パーティは朝方まで続くが、ほとんどの客が帰り、ロジャース夫妻もホテルに戻る。ひとりぼっちのラリーはシャンパンを煽り、バンド・リーダーのメル・トーメに「ロジャース&ハートの曲をやってくれ」と頼む。そこでメル・トーメが歌うバラード"Blue Moon"(1934年)が素晴らしい。まだ23歳の若きメル・トーメのパフォーマンスをこうして観られるのが嬉しい。映画はまさにタイムマシンである。
それからしばらくして、ロジャース&ハートの新作”On Your Toes”(1936年)が上演される。初演ではジョージ・バランシンが振り付けた革新的なバレエ"Slaughter on Tenth Avenue"「十番街の殺人」を、ジーン・ケリーとヴェラ=エレンがダイナミックに踊る。
ジーン・ケリーは、1938年からブロードウェイでダンサーとして活躍していたが、1941年に、アーサー・フリードの招きでハリウッド入り。ジュディ・ガーランドの相手役として『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』(1942年・MGM・バズビー・バークレイ)でデビュー。MGMの若手ダンサーとして『錨を上げて』(1945年・ジョー・パスタナック製作)では「トム&ジェリー」のジェリーのカートゥーンと踊るなど、革新的なダンスシーンを創造。フリード・ユニットでは『ジーグフェルド・フォーリーズ』(1946年・ヴィンセント・ミネリ)でフレッド・アステアとデュエットを踊り、この年、ジュディ・ガーランドとの『踊る海賊』(1948年・同)に主演したばかり。これからMGMのトップスターとなっていく勢いが感じられる。
この"Slaughter on Tenth Avenue"を、劇場の後ろで観ていたラリー・ハートは、その場で倒れて病院へ。映画では頭痛持ちとして描かれていて脳腫瘍を匂わせる描写が続く。その病床から、ロジャース&ハートとしては最後のミュージカルとなった”A Connecticut Yankee”「コネチカット・ヤンキー」再演版を手がける。1943年秋、その初日、土砂降りの雨が降るなか、ラリー・ハートは劇場へ向かうが…
劇場の前で倒れ、そのまま亡くなったことが匂わされて、次のシーンでは、ジーン・ケリーが司会となり、ロレンツ・”ラリー”・ハート追悼コンサートのステージとなる。ケリーが呼び込むのはペリー・コモ。映画の前半では二人の友人エディー・ロリソン・アンダースを演じていたが、ここではペリー・コモ自身。少しややこしい(笑)。そこで歌うのがフィナーレ"With a Song in My Heart"(1929年)。ミュージカル”Spring Is Here”のために書かれたスタンダード。ユニバーサル映画”This Is the Life”(1944年)でドナルド・オコナーとスザンナ・フォスターが唄い、ワーナー映画『情熱の狂想曲』(1950年)でドリス・デイがハリー・ジェイムズ楽団の演奏(映画ではカーク・ダグラス)で歌った。また、歌手・ジェーン・フローマンの伝記映画『わが心に歌えば』(原題”With a Song in My Heart”・1952年・FOX・ウォルター・ラング)の主題歌として日本でも大ヒットした。
【ミュージカル・ナンバー】
ラヴァー Lover 映画『今晩は愛して頂戴ナ』 (1932)
タイトルバック
マンハッタン Manhattan "The Garrick Gaieties" (1925)
ミッキー・ルーニー、トム・ドレイク、マーシャル・トンプソン
虹は何処? Where's That Rainbow? "Peggy-Ann" (1926)
アン・サザーン、ラモン&ロイス・ブラックバーン兄弟
山は緑に Mountain Greenery "The Garrick Gaieties II" (1926)
ペリー・コモ
ブルー・ルーム Blue Room "The Girl Friend" (1926)
ペリー・コモ、シド・チャリース(ダンス)
ウエイアウト・ウエスト Way Out West "Babes in Arms" (1937)
ベティ・ギャレット
スモールホテル There's a Small Hotel "On Your Toes" (1936)
ベティ・ギャレット
春はここに Spring Is Here "I Married an Angel" (1938)
ディス・キャント・ラブ This Can't Be Love
"The Boys from Syracuse" (1938)
シド・チャリース、ディー・ターンネル
オン・ユア・トゥーズ On Your Toes "On Your Toes" (1936)
シド・チャリース、ディー・ターンネル
ザウ・スエル Thou Swell "A Connecticut Yankee" (1927)
ジューン・アリスン、ラモン&ロイス・ブラックバーン兄弟
ザ・レディ・イズ・ア・トランプ The Lady Is a Tramp
"Babes in Arms" (1937)
リナ・ホーン
いつかどこかで Where or When "Babes In Arms" (1937)
リナ・ホーン
I Wish I Were in Love Again "Babes In Arms" (1937)
ジュディ・ガーランド、ミッキー・ルーニー
ジョニー・ワン・ノート Johnny One Note "Babes In Arms" (1937)
ジュディ・ガーランド
ブルームーン Blue Moon
メル・トーメ
十番街の殺人 Slaughter on Tenth Avenue "On Your Toes" (1936)
ジーン・ケリー、ヴェラ=エレン、レニー・ヘイトん指揮・MGMシンフォニーオーケストラ
わが心に歌えば With a Song In My Heart
トム・ドレイク(吹替ビリー・リー)
わが心に歌えば With a Song in My Heart(Reprise)
ペリー・コモ
【アウトテイク】
ラヴァー "Lover" 映画『今晩は愛して頂戴ナ』 (1932)
ペリー・コモ
"You're Nearer" 映画”Too Many Girls”(1940)
ペリー・コモ
よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。