『あじさいの歌』(1960年・滝沢英輔)
石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演による 青春文芸路線は、再開日活のキャッチフレーズである「信用ある日活映画」の言葉通り、良質の爽やかな佳作が多い。『乳母車』(1956年)、『陽のあたる坂道』(1958年)、『若い川の流れ』(1959年)と、スローペースで田坂具隆監督が作り上げて来た、石坂文学の“理想的な戦後青年像”は裕次郎の好演を得て、一つのジャンルをなしていた。
田坂が『若い川の流れ』を最後に、東映に移籍したこともあって、1960年度の石坂洋次郎作品のメガホンを取ることになったのが、滝沢英輔監督。戦前、山中貞雄らと脚本家グループ「鳴滝組」を結成し、梶原金八の共同ペンネームで数々の傑作シナリオを手がけ、東宝の前身であるP.C.L.映画撮影所で活躍。戦後は、昭和29(1954)年、再開日活に参加。昭和33(1958)年に発表した月丘夢路主演の『白夜の妖女』が、第8回ベルリン国際映画祭に出品され、世界的にその名が知られた名匠である。
1960(昭和35)年、日活は小林旭の「渡り鳥」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズ、そして和田浩治の「小僧アクション」を連作。ダイヤモンドラインの若手がアクション中心に活躍していくなか、裕次郎には文芸作中心の演技派スターへの道を辿らせるべく、原作ものを中心に企画。本作に続いて、ゴールデンウィークには石原慎太郎原作『青年の樹』(4月29日・舛田利雄)、7月には源氏鶏太原作『天下を取る』(7月13日・牛原陽一)がラインナップされていた。
さて、石坂洋次郎の「あじさいの歌」は、北海道新聞、中部日本新聞、西日本新聞の三社連合に連載された新聞小説。過去に妻が男と出奔したと信じている頑固一徹の金融業者社長が、娘を文字通り箱入りにして育てているが、彼らの前に現れた青年によって、すべて閉ざしていた一家の窓が外に開いて、明るい未来の陽が指していくことになる、という石坂らしい展開。
裕次郎が扮するのは、商業デザイナーの河田藤助。ある日、神社の境内で足を痛めていた老人・倉田源十郎(東野英治郎)を助けて、倉田の邸宅へとおぶっていく。戦前からの大きな洋館に感激した藤助は、使用人の木村勇造(殿山泰司)と妻・元子(北林谷栄)に怪訝そうに見られながらも、暖かく迎え入れた娘・けい子(芦川いづみ)の無垢な美しさに魅かれて、あじさいの花の仲でけい子の写真を撮る。
快調な滑り出し。それぞれのキャラクターがきちんと描き分けられて、倉田家の“不思議な”状況が見えてくる。藤助の出現で、箱入り娘のけい子を社会に出そうと考える源十郎はステレオタイプの頑固親父ではない。家庭教師の葉山先生(杉山徳子)と源十郎の微笑ましいロマンスも、後半の見どころの一つ。2人が唱歌「♪故郷の廃家」をデュエットしつつ散歩するシーンが実にいい。
さて、そのけい子の社会勉強の友人として抜擢されるのが、葉山先生の生徒でもある、島村のり子(中原早苗)。藤助のガールフレンドでもあるのり子は、けい子とは正反対の活発な女の子。こうして、けい子を中心に、それぞれの「現在」が変わっていく。
物語が進むにつれ、倉田家の過去にまつわる屈託がドラマを支配してくる。出奔した妻を許すことができない源十郎と、母親のありのままを受け入れようとするけい子。のり子の兄で新聞記者・島村幸吉(小高雄二)のリサーチにより、母が大阪の飛田で連れ込み宿を経営していることが判明する。
石坂文学、そして裕次郎映画の素晴らしいところは、“影”の部分である筈の母・長沢いく子(轟夕起子)の存在が“光”となっていく部分だろう。いく子の登場により、登場人物が抱えている多くの問題が解決していくカタルシスは、この映画を魅力的なものにしている。
滝沢監督の言葉を再び引用する。<古いものはこわれていかなければならないものであり、それに代わる新しい芽を、明るく、のびやかに描くという原作のテーマを忠実に撮って行こうと思っています。>
『あじさいの歌』における、倉田家の立派な洋館は“古いもの”の象徴であり、商業デザイナーの藤助による倉田家のリニューアル計画は、その“古いもの”を“こわす”という暗喩でもある。代々木の藤助のアパート、大阪のいく子の曖昧宿、この映画に登場するそれぞれの“家”の在り方にも注目して欲しい。
そして、藤助とのり子が抱えてしまった“秘密”。セックスという問題にもきちんと向き合い、本当のモラルとは何か? ポジティブな解決を見せてくれるラストは、日活青春映画ならではの良さに満ちている。
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