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 “太陽族”の若者としてセンセーショナルなスクリーンデビューを果たした石原裕次郎。戦後派の無軌道な若者たちの生態を描いた『太陽の季節』(1956年5月17日)、『狂った果実』(7月12日)が大ヒット、新たな銀幕のスターとして時代の寵児となる。同時にせ「太陽族映画」は良識派の反発を受けたことも確かだった。そこで、名匠・田坂具隆監督の裕次郎のためにと企画したのが、裕次郎としては三本目の映画出演作となる『乳母車』(11月14日)だった。

 裕次郎が登場するまでの日活は、昭和29(1954)年の製作再開以来「信用ある日活映画」のキャッチフレーズで、良質な文芸作品を次々と放っていた。田坂具隆監督としては、左幸子主演の『女中ッ子』(1955年)以来の作品で、日活は<一年一作の巨匠がうむ珠玉の大作>とプレスシートで謳っている。

 この年の5月に『太陽の季節』の端役でデビューしたばかりの裕次郎を、巨匠の芸術祭参加作品の主演に迎えていることからも、会社の石原裕次郎に対する期待が伺える。

 原作は雑誌「オール読物」連載の石坂洋次郎の明朗小説。とはいえ、石坂文学らしく、明朗な語り口のなかに、人間の持つ本質的な清濁と矛盾、それまでタブーとされてきたテーマが内包されている。本作の成功により、日活では青春スターを起用して石坂洋次郎原作の映画化作品が一つのジャンルをなしていく。

 実業家としても家庭人としても、信頼していた父親・次郎(宇野重吉)の愛人の存在を知らされたヒロインの女子大生・桑原ゆみ子(芦川いづみ)の揺れ動く心。自らの感情を押し殺して夫の不貞を「見てみぬふり」を決め込んでいる母・たま子(山根寿子)。物語は、平穏な家庭に訪れた、微妙な家族関係のバランスの変化から始まる。ゆみ子は、父親の愛人である相沢とも子(新珠三千代)の住む世田谷区奥沢を尋ねる。

 東急自由が丘線の九品仏駅に降り立つ、ゆみ子。この九品仏駅は、しばしば日活映画に登場する。同じ石坂洋次郎原作による吉永小百合と浜田光夫の青春映画『赤い蕾と白い花』(1962年・西河克己)のファーストシーンで、浜田光夫が駆け抜けるのもこの九品仏駅。自由が丘からほど近くにある静かな住宅街は、戦前からの東京の匂いがする。

 ゆみ子を迎えたのは、とも子ではなく、長身のさわやかな青年・相沢宗雄(石原裕次郎)だった。愛人の弟と、姉を囲っている男の娘。対立すべき若い男女が、それぞれの姉と父の問題について、客観的にディスカッションを始める。清楚な芦川いづみの良い意味での生真面目さ。知性を感じさせつつ、ゆみ子の母を「クソババぁ」と嫌みなく評する宗雄の屈託のなさは、素顔の裕次郎の魅力でもある。この若い二人が、どこか反撥しながら惹かれ合い、それぞれの身に降り掛かる現実を“悲劇”ととらずに、話し合いを重ねてポジティブに考えて、向き合おうとする。

 ゆみ子を演じた芦川いづみは、1956(昭和31)年、川島雄三監督の文芸作『風船』(2月19日)で、障害を持ちながら健気に生きる娘を好演し、その演技を高く評価されたばかり。本作でも難しい役を、自然にそして力強く演じている。難しい役といえば、とも子を演じた新珠三千代も、ステレオタイプの愛人ではなく、ゆみ子の父・次郎を心から愛している健気な女性を、魅力タップリに演じている。日活文芸作を支えた二人のヒロインの清楚な魅力は、本作の見どころの一つとなっている。

 一方の裕次郎は、田坂監督に、演技に際して「そのままでいい」といわれたという。素顔の石原裕次郎ではないかと思えるほど、イキイキとしている。赤ん坊の乳母車を置いたまま、九品仏の境内にある石の上で昼寝をする宗雄。ちょっとした感情から、その乳母車を連れ出すゆみ子の娘ごころ。彼女が赤ん坊を抱き上げ、思わず涙ぐむシーンと、行方不明になった赤ん坊を必死に探す宗雄の焦燥感。若い二人の、不幸を背負って産まれた赤ん坊に対するそれぞれの思い。後半、父・次郎と別れ、自立を決意するゆみ子のもとに、登場人物が集まってディスカッションを繰り広げる。それぞれの立場の、それぞれの気持ち。石坂文学に通底するテーマがここで一気に噴出する。

 モノクロ、スタンダードの画面に広がる昭和30年代初頭の街並。世田谷の静かな住宅街。裕次郎がアルバイトをしている日本橋高島屋デパートの屋上に昇るアドバルーン。屋上には遊具施設があり、この時代の子供たちのアミューズメントだったことがビジュアルでわかる。

 クライマックスの赤ちゃんコンクールは「1956森永赤ちゃん大会」とポスターにある。森永製菓本社ビルで行われる赤ちゃん大会に、一日だけの両親として宗雄とゆみ子、そして赤ん坊・まり子(森教子)が参加する。このシーンの微笑ましさ。「もはや戦後ではない」と経済白書にうたわれた昭和31年のニッポンの空気が、こうしたシーンに溢れている。

日活公式サイト

web京都電視電影公司「華麗なる日活映画の世界




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