『扉を開く女』(1946年4月25日・大映)
『歌ふ狸御殿』(1943年・大映)の木村恵吾監督が、戦地から戻り、市川右太衛門主演『紅顏鼓笛隊』(1945年)で復帰。敗戦後第一作『扉を開く女』(1946年4月25日・大映)。衛星劇場で放映されて、これは初見だった。脚本は依田義賢さん、撮影は名手・宮川一夫さん。GHQの指導下で作られた「民主主義啓蒙」のための新派風ドラマだが、ラストはハッピーエンド。
江戸時代末、幕府の御殿医の娘・初代水谷八重子さんは、足軽の出の医学生・月形龍之介さんとの恋愛を、強権的な祖母に止められて不幸な結婚して、結果離縁されてしまう。
明治12年頃、水谷八重子さんは、横浜の長屋で裁縫の師匠をしている。その隣に、月琴の流し芸人をしている不幸な生い立ちの娘・月丘夢路さんと、母・毛利菊日曜娯楽枝さんが住んでいる。
月丘夢路さんは、貿易商の御者をしながら法曹界を目指している小柴幹治さんと相思相愛。明治の気風の中で自由恋愛をしているが、小柴さんの養父と大学の先生・羅門光三郎さんが猛反対。自由民権だ、権利だ、男女平等だと謳いながら、その実、身分格差は露骨だった。
そこで、月丘夢路さん、自分のような不幸にはしたくないと、水谷八重子さんは、羅門光三郎さんの元へ直談判。口では理解のあるふりをしていた先生だが、狡猾な手に出る。
とまぁ新派悲劇の明治物の展開で、男女が自由に恋愛、結婚できないことへの理不尽を描いていく。とどのつまるところ封建主義は百害あって一利なしと。これが、新憲法を前にした新生日本の機運だった。もちろんGHQの意向なのだけど。
文明開花の横浜を舞台にしていて、オープンセットにハイカラな建物が立ち並び、外国人が往来している。クライマックス、大阪への駆け落ちを決意した小柴幹治さんが、月丘夢路さんを待つのは横浜の「ステンション=駅」。
新派大悲劇のクライマックスが、ハリウッド式にハッピーエンドに転じるあたり、やはり「民主主義」はいいよなぁ、と観客が感じたんだろうなぁと、昭和21年の人々に思いを馳せる。
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