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『花のセールスマン 背広三四郎』(1960年・東宝・岩城英二)

 昭和30年代、東宝のスクリーンでは「社長シリーズ」を中心に、ホワイトカラーを主人公にした「サラリーマン映画」が花ざかり。そのルーツは昭和26(1951)年、源氏鶏太原作『ホープさん サラリーマン虎の巻』(山本嘉次郎)である。戦時中からの大映の若手スター、小林桂樹をフィーチャーして「ホープさん」と呼ばれる若手社員が活躍する明朗喜劇。続く『ラッキーさん』(市川崑)の原作は源氏鶏太の「三等重役」からのエピソードを脚色、戦後派の三等社長を演じた松竹の河村黎吉が好評で、それが『三等重役』(1952年・春原政久)となり、「若手社員もの」と「社長もの」の両輪となる。

 河村黎吉が急逝して『三等重役』継続ができなくなり、小林桂樹の「ホープさん」路線で作られたのが昭和29(1954)年の源氏鶏太原作『坊ちゃん社員』二部作(山本嘉次郎)。これは、地方都市の工場に赴任してきた太陽工業株式会社の新入社員・昭和太郎(小林桂樹)が、古い街の旧弊を打ち破り、地元のボスと対決し、仕事も大成功するという明朗編。タイトルそのままに、夏目漱石の「坊ちゃん」フォーマットにサラリーマンものを融合させて、これが大ヒット。

 『三等重役』の老獪な人事課長を好演した森繁久彌が社長に昇格した『へそくり社長』(1956年)から「社長シリーズ」がスタート。その好評を受けて、小林桂樹をメインにした「坊ちゃん社員」路線のシリーズが企画される。それが「サラリーマン出世太閤記」シリーズ5部作(1957年〜1960年)である。大学の応援部出身の木下藤吉(小林桂樹)が日本自動車に入社して、様々なピンチを乗り越えて出世していく、文字通り「太閤記」のサラリーマン版。「社長シリーズ」の脚本家・笠原良三のオリジナルで、ノベライズもされた。

 こうして「森繁の社長もの」に、「小林桂樹の若手社員もの」を中心に、東宝はサラリーマン映画に力を入れていく。それが次第に若手俳優の登竜門となっていく。

 佐原健二の『社員無頼』二部作(1959年・鈴木英夫)や、船戸順の『花のセールスマン 背広三四郎』(1960年〜1961年・岩城英二)三部作、藤木悠と高島忠夫の『ガンパー課長』(1961年・青柳信雄)や『サラリーマン弥次喜多道中』(同)、『サラリーマン権三と助十』(1962年・同)などなど。同時期の日活がアクション映画中心だったのに対して、東宝はサラリーマン一本槍だった。

 昭和20年代「サラリーマン」という言葉はモダンな憧れの象徴であり、東宝映画のモダンなイメージ作りに貢献していた。その「サラリーマン」に続いて登場したのが「セールスマン映画」ということで、昭和35年。東宝の期待の新人俳優・船戸順をフィーチャーした新シリーズが「背広三四郎」だった。船戸は昭和34(1959)年、ミスター平凡コンテストに入賞、東宝入り。『サラリーマン目白三平 女房の顔の巻』『同・亭主のためいきの巻』(1960年・鈴木英夫)や『新・三等重役 亭主教育の巻』(同・杉江敏男)などのサラリーマン映画に出演後、いよいよ主演デビュー作となったのが『花のセールスマン 背広三四郎』である。公開は昭和35年11月13日。併映は「筑豊のこどもたち」(原作・土門拳 監督・内川清一郎 主演・加東大介)。

 監督の岩城英二は、東宝プログラムピクチャーの担い手・青柳信雄監督に師事。『与太者と若旦那』(1956年)のチーフ助監督を務めている。松竹から移籍してきた鶴田浩二が、大阪の薬問屋のボンボンと、強面のやくざの二役を演じ、二人が入れ替わっての大騒動を描くサラリーマンもののバリエーションだった。この『与太者と若旦那』の音楽を担当したのが馬渡誠一。ジャズ・ブームを支えたアルトサックス奏者で、昭和22(1947)年に小原重徳、長尾正士らと「ブルー・コーツ」を結成。僕らの世代では、クレイジーキャッツの谷啓が歌った「おらぁグズラだど」の主題歌の作曲でもなじみ深い。日活で、ジャズ時代の盟友のフランキー堺と市村俊幸の「フランキー・ブーちゃんの〜」シリーズ、東宝では岡本喜八のデビュー作『結婚のすべて』(1958年)の音楽を手掛けている。ジャズマンらしくモダンでアップテンポなサウンドが、東宝カラーであるモダニズムのイメージを高めてくれる。

 『与太者と若旦那』のタイトルバックには、男性コーラスでこんな主題歌が流れる。

♪おれは与太者だ 怖いものは なんにもない
 どなたの意見も 上の空
 ぼくは若旦那 どなたにも 優しく
 シックでスマート ダンディよ〜


 映画のテーマそのままの歌詞をマンボのリズムに乗せて、男性コーラスが歌い、センスの良いコメディの幕開けにふさわしい。

 さて、岩城英二監督は、デビュー作『サラリーマン十戒』(1959年)から、音楽には馬渡誠一を指名してきた。この『花のセールスマン 背広三四郎』でも馬渡が音楽を担当。タイトルバックには、軽快なサウンドで主題歌が流れる。

♪惚れた黒帯 サラリと捨てて
 背広姿が よく似合う
 カレッジライフで 鍛えた腕の
 見事決まるか 一本背負い


(コーラス)
今日も街ゆく 花の三四郎
今日も街ゆく 花のセールスマン 

 握るハンドル この手が抱いた
 汗と涙の 優勝カップ
 意地とファイトで 鍛えた道を
 どんと行こうぜ 青春かけて

(コーラス)
男度胸の 花の三四郎
男度胸の 花のセールスマン

 一度聞いたら、鼻歌で歌いたくなる主題歌である。この楽しさが全編に溢れている。「学生三四郎」の異名を持つ、城南大学柔道部の主将・船山順一(船戸順)は全日本学生柔道選手権で、宿敵・早慶大学の岩井太郎(佐原健二)を制して見事日本一となる。

 昼は柔道の練習、夜は警備員のアルバイトをして、女の子にはモテモテの三四郎は、翌年に始まる加山雄三の「若大将シリーズ」の主人公・田沼雄一のプロトタイプである。選手権の前日、軽自動車のディーラー「日本コメット」の凄腕セールスウーマン・北川綾子(白川由美)が、ライバル会社「ミサイル自動車」の徳田(久野四郎)の差し金で、業界ゴロ・毎朝経済社の社員(大友伸)たちに拉致されるが、駐車場の警備をしていた三四郎がひと暴れして難をのがれる。

 この悪徳新聞社を演じた大友伸は、東宝の戦記物やサラリーマンものではお馴染みの顔。秋田出身で、イントネーションに秋田訛りが残っていて、それが特徴的だった。『太平洋の嵐』(1960年・松林宗恵)では、戦艦の危急のセリフ「置換、置換」が、どうしても「痴漢、痴漢」に聞こえて、現場でつい吹き出してしまったと、松林監督から伺ったことがある。

 ヒロインの白川由美は、高校生三年のとき、森永製菓のキャンペーンガール「森永スイート・ガール」に起用され、東宝に抜擢されて入社。小林桂樹の「サラリーマン出世太閤記」シリーズでは、主人公が憧れるBG(ビジネスガール)西川千枝子を演じていた。ここでも自動車の凄腕セールスウーマンで、営業成績は常にトップの北川綾子。白川由美は、そのアクティブなイメージから、東宝映画では「働く女性」「自立する女性」の役が多い。

 ここでも、学生・三四郎に惹かれていく「大人の女性」のパートである。職業女性と体育会系の学生というのは、加山の「若大将シリーズ」の星由里子の澄子と若大将の関係でもある。

 三四郎を慕う、もう一人の女性が、下宿先の娘・春の冬子(柳川慶子)。勝気で世話焼きだけど、三四郎のこととなるとメロメロ。いわゆる第二ヒロインである。「サラリーマン出世太閤記」では団令子が演じていた食堂「パチクリ軒」のエイ子ちゃんのパートにあたる。、柳川慶子は、記録映画作家・柳川武夫の娘で、俳優座養成所第8期生で水野久美と同期。昭和33(1958)年、『結婚のすべて』で岡本喜八にスカウトされて東宝入り。サラリーマン映画や青春映画などに出演、第二ヒロインが多かった。

 そして、三四郎と城南大学の同級生(留年を重ねている)で、親友・青木敬太(太刀川寛)は下宿も同室で、冬子に岡惚れしている。何かにつけて経済重視の敬太は、就職をせずに起業を目指している。「若大将シリーズ」における江口(江原達怡)のパートである。

 また、三四郎のライバル、早慶大学柔道部の主将・岩井太郎(佐原健二)は、総合レジャー企業・太平洋産業の社長・岩井(山茶花究)の御曹司。これで白川由美に横恋慕したら青大将のキャラになるのだが、こちら性格はいたって明朗、スポーツマンらしく、好青年である。

 「サラリーマン出世太閤記」や「若大将シリーズ」の人間関係とほぼ同じというのは、珍しいことではなく、この頃の東宝のサラリーマンもの、学生ものの基本パターンを踏襲しているということでもある。脚本は笠原良三門下の吉田精弥。千葉泰樹の『下町』(1957年)を笠原良三と、岩城英二の『サラリーマンご意見帖 出世無用』(1960年5月)を長瀬喜伴と共作。この『花のセールスマン 背広三四郎』で一本立ちをした。なので展開は、観客がのぞむ「東宝サラリーマン映画」のパターンを気持ち良いほど踏襲している。

 ストレートな性格の三四郎は、宣伝効果を狙って社会人柔道を続けてほしいとスカウトしてきた一流企業「世界レーヨン」を断り、北川綾子(白川由美)の口利きで「日本コメット」の面接試験を受けに社長室へ。そこで大野社長(有島一郎)は、開口一番「しっかりやってくれ給え」。試験も受けずに採用が決まったのは、「タレント社員はまっぴらと、天下の世界レーヨンを蹴飛ばした根性だけで、我が社の社員になる資格は十分」という理由から。

 有島一郎の社長が、大久保彦左衛門的な後見人となり、熱血漢の背広三四郎をサポートしていく。その有無を言わせぬ展開が、かえって爽快である。採用にあたって大野社長は「うちの北川くんを救ってくれたのはありがたいが、愚連隊を相手に柔道を暴力に使ったのはいかん! 柔道はスポーツ以外の目的に使わないと約束しますか?」と条件を出す。

 販売部に転属され「花のセールスマン」となった背広三四郎の活躍が始まる。明朗サラリーマン喜劇らしく、いかに営業成績をあげていくか? 高度経済成長を邁進していく時代らしく、あの手この手の販売合戦が、晴れがましく展開されるが、要領を得ない三四郎は苦戦。そこで思いついたのが行きつけのラーメン屋台の親爺(沢村いき雄)にコメットを勧めることだった・・・。

 また、大学柔道のライバルだった岩井太郎が密かに交際しているのが、「日本コメット」大野社長の娘・弥生(長谷きよみ)。ところが、またしてもミサイル自動車の陰謀で、岩井のスキャンダルが仕掛けられて、日本コメットは窮地に陥りそうになるが、三四郎の機転でことなきを得る。その労を認められて、三四郎=船山順一は、ミサイル自動車の根城である愛知県に新設される東海支店に赴任することとなる。

 前半、全日本大学選手権のテレビ中継を、街角の街頭テレビにたくさんの人が群がるようにして観ている。テレビには扉がついていて、観音開きの両サイドには「ご家庭の合理化」「家庭を明るくする」とあり、テレビの下には「三菱電気器具」。昭和28(1953)年、テレビ本放送開始と同時に、新橋駅前に設置された街頭テレビにそれこそ黒山の人だかりができていたが、昭和30年代半ばには、普通の街角にも設置され、プロレスや野球中継を人々が楽しんでいた。

 三四郎の入社が決まったシーンの次のカットから「コメット」の製造工場の生産ラインのショットが続く。庶民の車として親しまれた「ダイハツミゼット」の工場である。まさにモータリゼーションの時代到来の晴れがましさが感じられる。

その「コメット」大量納入のチャンスが到来し、薬品メーカーエーザイ(タイアップ)の導入検査の当日。タクシーが交通渋滞に巻き込まれ、身動きできない臨月の妊婦を、小回りの利く「コメット」で病院に連れていったために、取引がパーになってしまう。そのエーザイの営業所は、東宝砧撮影所の建物で撮影。ちょうどサロンや制作宣伝部がある建物を会社に見立てている。

 愛知県蒲郡に新設される東海支店への転勤が決まった三四郎。社用の飛行機で「コメット」のチラシを撒きながら赴任先へと向かうシーンで第一部は大団円。この地方へ転勤、というパターンは「サラリーマン出世太閤記」のリフレインでもある。ともあれ、船戸順のさわやかな魅力でセールスマン映画「背広三四郎」は三部作として作られることとなる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。