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『君と行く路』(1936年9月1日・P.C.L.・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男研究。大川平八郎のサラリーマンと、佐伯秀男の大学生、鎌倉に住む仲良し兄弟の恋愛と、悲しい顛末を描いたメロドラマ『君と行く路』(1936年9月1日・P.C.L.)を久しぶりにスクリーン投影。

 昭和11年の成瀬としては『桃中軒雲右衛門』(4月29日)に続く二本目の作品。原作者の劇作家・三宅由岐子は、東京双葉女学校中退、24歳から劇作をはじめ、わずか6年間で「晩秋」「母の席」「春愁記」など多幕もの4篇、20の作品を残している。この映画の翌年、昭和12(1937)年に、戯曲集「春愁記」の完成前に31歳の若さで亡くなる。

 本作は、その「春悠記」を原作に、舞台で兄弟の母親を演じた清川玉枝をキャスティング。成瀬巳喜男が脚色。タイトルは、中野実の戯曲「二人妻」『妻よ薔薇のやうに』(1935年8月15日)と改題したように、また本作の次作『朝の並木路』(11月1日)と流行歌風にしたように、原作から遠く離れて、あえて軽快なイメージのものにしている。これもまた流行歌的タイトルである。

ラストの悲劇的展開は、このタイトルからは想像もつかない。予備知識なしで見ると、ちょっとショックでもある。でも『君と行く路』というタイトルは、主人公の悲恋の顛末を知ってから別な意味を持ってくる。

 「横須賀鎮守府検閲済」とタイトルが出る。明治4(1871)年、付近の諸港を統括する海軍提督府が海軍省内に設けられた。明治9(1876)年8月、提督府を鎮守府として、横須賀に「東海鎮守府」が設けられた。それが明治17(1884)年に横須賀鎮守府となった。鎮守府ではあらゆる出版物、絵葉書、地図に至るまで海岸線や港について記したものを、防諜の観点から検閲。鎌倉の海岸でロケーションをしている本作も「横須賀鎮守府」の検閲を受けている。

 鎌倉のお屋敷。スポーツマン大学生・天沼夕次(佐伯秀男)は屈託がない。夕方、軽くトレーニングをして帰宅。母・加代(清川玉枝)との話題も「初物の苺」は、サラリーマンの兄・朝次(大川平八郎)が帰ってきたら食べましょう、といったハイソサエティを感じさせるもの。朝次は真っ直ぐ家に帰らず、ダンスホールで嬌声をあげる若い男女を横目に、どことなく醒めている。

 このダンスホールの場面に流れるのがトミー・ドーシー楽団とイーディス・ライトの”The Music Goes Round and Round“(作詞・レッド・ホジソン 作曲・エドワード・ファーレイ、マイク・ライリー)のレコード。この年公開のコロムビア映画『粋な紐育っ子』(1936年)の主題歌として大ヒット。榎本健一が「エノケンの浮かれ音楽」、岸井明が「唄の世の中」としてそれぞれ日本語カバー。P.C.L.映画でもエノケンが7月21日公開の『エノケンの千万長者』(山本嘉次郎)で唄い、岸井明が8月11日公開の『唄の世の中』(伏水修)の主題歌として唄っていた。そのオリジナルヒットのレコードである。

 このジャズソングの次のカットが、三味線を弾き、清元を唄う母・加代の姿となる。ジャズと清元の対比。ここで加代が良家の奥様ではなく、芸者出身の妾だったことがヴィジュアルでわかる。朝次と夕次の父はすでになく、加代は本家に預けられた息子二人を取り戻し、旦那が残してくれた唯一の財産である鎌倉の屋敷に住んでいた。

 大学出のサラリーマンの長男と、大学生の次男、二人の成長が彼女のすべて。しかし、何かにつけて直裁的で、ハイソサエティとは対極の無粋な母に対して朝次は冷たくあたる。

 というのも、朝次が将来を約束していた幼馴染の尾上霞(山懸直代)との交際を「妾腹」という理由で、尾上家から禁じられてしまったからである。尾上家は事業が立ち行かず、その負債を肩代わりすることを条件に、霞の縁談をすすめていた。そのため、朝次との交際はまかりならん、ということだった。

 朝次も不可抗力に屈して、霞とのことは半ば諦めかけていた。ある日、東京から霞の親友・暮津紀子(堤真佐子)が横須賀線で鎌倉へ。その清楚な雰囲気に、同じ車両に乗っていた夕次は、一目惚れ。彼女が誰かもわからずに、結婚したいとまで想いを募らせる。

津紀子は、東京の霞の叔父の家に届いたばかりの、朝次からの手紙を、鎌倉に戻っている霞に届けに来たのだ。いわば恋のメッセンジャー。尾上邸の朝次の部屋からは、霞の部屋が見える。朝次が「スーべニール」のレコードをかけると霞もそれに応えて、レコードやピアノで「スーべニール」を弾く。「ロミオとジュリエット」のバルコニーである。

親に交際を止められ、霞は政略結婚を強いられる。弱気になった朝次は「死んでしまおう」とすら考える。霞は、自分だけ取り残されたくない。だから「私も死んでしまう」と、朝次に告げる。せっかく、津紀子が二人の密会を仕組んでくれたのに。鎌倉海岸のランデブーは切ない。大川平八郎の「死にたい」願望は、次作『朝の並木路』の千葉早智子の夢オチでリフレインされるが、このキャラのパロディともとれる。まあ、それは穿ち過ぎだろうが。このころ、若い男女の心中が新聞をにぎわせていた。原作の「春悠記」は、そうした男女の心理や、置かれた状況を描いた悲恋ものだし。

さて、鎌倉でのロケーションも効果的。横須賀線の車内、津紀子が降り立つ鎌倉駅前には、明治チョコレートショップがある。モダンでハイソなエリアである。

鎌倉駅
鎌倉駅前の明治チョコレートショップ

しかし、そこに住む金持ちは存外、成金や妾宅、スノッブなひとばかり。その最たるものさ、天沼家、尾上家、双方の相談役でもある財界人・空木(藤原釜足)。最近、孫ほど歳の離れた芸者を正式に妻に迎えて、鼻の下が伸び切っている。その妻・雛(高尾光子)はあけすけな女。酒が飲みたいと空木にねだり、天沼家にやってきて、朝次からウイスキーを貰う。

藤原釜足はこの頃、PCLのコメディ担当で、岸井明と「じゃがたらコムビ」を組んでいたが、本作では老け役。戦後の東宝映画での老け役とそんなに変わらない。藤原釜足は1905年生まれだから、このとき31歳。

それに呆れる母・加代も、似たり寄ったり。霞の母も芸者上がりで、起業家の妻になり、お高く止まっている。このスノビズムがカリカチュアされながら、それが若い二人の障壁となる。ところで、加代は江戸っ子らしく「お雛さん」と呼ぶときに「おシナさん」と発音するのがおかしい。

成瀬の演出は、朝次の屈託とその心理も掘り下げてゆく。ヒロインの山懸直代は、芝居も危うげで、それが霞の清純さ、儚さにも見えてくる。一方、津紀子は快活で何事もポジティブに運命を切り開いていくモダンガール。その対比も狙いだろう。

ギリギリの状況下で、朝次と霞は愛を貫こうとするも、無理解な霞の母親の悪意が引き金となり、朝次は自動車に乗り無謀な運転をして、ついに亡くなってしまう。

残された霞は、どうなるのか? その顛末はあまりにも切ない。この悲劇こそ、大衆が求めるメロドラマの真髄。成瀬は、朝次が決意した霞との「君と行く路」を描いていく。

東京ロケーションはワンショット。霞が、鎌倉の家を飛び出して、津紀子の家にクルマで向かうシーン。渋谷四丁目を走っている。その時一瞬、画面に映る洋館は、今でも健在。川島雄三監督の『イチかバチか』(1963年・東宝)では、伴淳三郎の屋敷として登場する。

現在の渋谷4丁目にある洋館
川島雄三「イチかバチか」(1963年)では伴淳の邸宅
現在の洋館


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