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 昭和30(1955)年に、松竹から日活に移籍してきた川島雄三監督。この年だけで三本もの作品を発表している。産児制限をテーマにした風俗喜劇『愛のお荷物』(3月18日公開)、井上靖原作のメロドラマ『あした来る人』’(5月29日公開)、銀座を舞台に昭和30年の銀座を考現学的に描いたファンタジックな風俗ドラマ『銀座二十四帖』(9月16日公開)である。いずれも川島雄三の才気煥発、作家としての資質が随所に見られ、それまで松竹でプログラムピクチャーを<生活のために>撮り上げてきた川島の作家性がクローズアップされてきたのが、この頃の日活作品ということになる。

 この『風船』は、昭和30年に作家・大佛次郎が毎日新聞に連載した新聞小説を映画化した文芸大作。昭和20年代から30年代にかけての映画界は、新聞小説やラジオドラマの映画化がさかんだった。大佛次郎といえば、大衆的には「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」の作者でもあり、映画史的には小津安二郎の『宗方姉妹』(50年)や川島の『風船』の原作者ということになる。この『風船』の主人公・村上春樹は、画家として嘱望されながら実業家に転身し、功なり名をとげた初老の紳士。しかし、心の中はどこか虚しい。大佛の「帰郷」(48年発表)「冬の紳士」(51年発表)「旅路」(52年発表)、そして「風船」に登場する初老の紳士、あるいは老人たちに共通する、孤立した年長者でもあると指摘したのは文芸評論家の鶴見俊輔。穿った見方をすれば完全無欠の鞍馬天狗もまた、彼らと同じ孤高の存在だろう。

 原作では、この村上春樹の孤独な魂と、冷えきった家族との関係、そして心を通わす他人との関係が、揺れ動く「風船」に準えて描かれている。映画版『風船』は、昭和31年の日活映画らしく、華やかかつ通俗的に、主人公・村上春樹をめぐる様々な人々のエピソードを重ねて、物語が進んでいく。映画でこの役を演じたのがダンディズムあふれる森雅之。大佛次郎の枯れた味わいに、日活らしい若さとパワーをもたらしているのが、川島組のチーフ助監督だった今村昌平と川島による脚本。そして豪華なキャスティング。

 創業者の息子という立場で、若くしてカメラ会社・東洋光学の部長というポストを与えられている村上圭吉に、前作『銀座二十四帖』で洒脱な主人公コニーを演じた川島組の常連・三橋達也。前作とはガラリと変わった、利己的な現代青年をドライでクールに演じている。その圭吉の情人であり、銀座のバーにつとめている山名久美子に、新珠三千代。三橋と新珠のコンビは、『あした来る人』では不倫、本作では金銭の授受のある愛人関係、そして続く『洲崎パラダイス赤信号』(56年7月31日公開)では、掃き溜めのような下町に流れ着く、くされ縁の男と女を演じている。この三作によって、三橋と新珠の二人は、川島雄三映画の「男と女」を象徴するカップルという印象となった。

 久美子は銀座のバーで勤め、生活の面倒を圭吉に看てもらっている戦争未亡人だが、心は圭吉に惹かれている。一方の圭吉は、それがうとましくもある。そうした二人に割入るのが、シャンソン歌手の三木原ミキ子。演ずるは、日活映画のトップスター、北原三枝。髪の毛を茶に染め上げ、高級な毛皮を身にまとい、都会生活を満喫しているミキ子は、ナイトクラブ経営で羽振りの良い、都筑正隆と持ちつ持たれつの関係である。正隆は、かつて日本画壇の雄・山口純峰に村上春樹と共に師事していたことが、最初の葬儀場面で明らかになる。演ずるは松竹から日活へと移って来たベテラン・二本柳寛。後の日活アクションで憎々しげなギャングのボスなどを演じる名優だが、正隆のスノッブな嫌らしさを好演している。こういう役を演じたら彼の右に出るものはいない。

 その俗物ぶりが、実業界で成功しても清貧を好む春樹と好対照をなす。この『風船』の登場人物には、それぞれの過去が、ストレートに、時には屈折したかたちで影をさしている。日本画の世界にいた春樹と正隆。戦争で夫を亡くした久美子。そして神戸で生まれ、上海で育ち、自分の力だけが頼りだったミキ子。

 圭吉の妹で、本作の清涼剤的な存在でもある芦川いづみ扮する珠子も、幼少時にかかった小児麻痺の後遺症で、勉強もおくれがちというハンデキャップを背負っている。京都のバー「お染」でアルバイトをしながら、ヌードモデルなどをしている左幸子扮する阿蘇るい子もしかり。

 そうした屈託を持ち合わせていないのが、二代目の若旦那的ボンボンに、何の疑問もなく甘んじている圭吉ということになる。
 世俗的な生き方を甘受している圭吉や正隆と、対照的にそうした日常に悩む春樹や、障害と向き合いながら生きる珠子、そして圭吉への一途な想いに苦悩する久美子たちを、鮮やかに描き分けながら、物語は展開していく。

 実業家として成功しながらも、かつて日本画家として作品に没頭した日々を、出張先の京都で思い出す春樹が、俗世や家族とどう折り合いをつけてゆくのか? 大佛次郎の原作で提示された「孤立した年長者」の心の揺れ動く様と、孤独な魂の救済が、大きなテーマとして本作でも綴られていく。

 日活映画のビジュアル・イメージに貢献した名手・高村倉太郎によるキャメラ、中村公彦の美術。どれをとっても熟達の仕事ぶりである。ローラースケートをはいた北原三枝がシャンソンを歌うナイトクラブのセットは、後の日活アクションでもおなじみとなるキャバレーを彷彿とさせる。こうした部分に日活カラーが伺える。そして『愛のお荷物』以来、川島作品でも衣装デザインを手掛けてきた森英恵が、本作で初めて衣装デザインとしてクレジットされている。そのいきさつについては、ご自身のインタビューで詳しく語られている。森英恵の衣装は、四人の女優のそれぞれのキャラクターの描き分けに貢献し、彼女たちの女優としての魅力をさらに引き出している。

 本作では、随所に映画的な趣向が凝らされているが、印象的なのが、正隆のナイトクラブの入り口が、映画館のスクリーンの裏側になっているという設定。正隆にミキ子が生活のために仕事がもう少し欲しいと、現実的な話をしているシーンで、市川崑監督の戦争大作『ビルマの竪琴』(56年)の予告篇が流れている。そのアイロニカルな味。この手法は後の鈴木清順作品『野獣の青春』(63年)にも見られるが、映画ファンならワクワクする瞬間でもある。

 久美子が選んだ過酷な道は、それまで不安定ながらも均衡を保っていた人間関係の決定的な亀裂をもたらす。夜の女性の儚さは、『續 飢える魂』(56年)の渡辺美佐子、大映での『女は二度生まれる』(61年)の若尾文子、東京映画での『花影』(61年)の池内淳子と、しばしば川島映画で描かれてゆくことになる。川島が描くヒロインの悲劇には、この作家が女性への暖かいまなざしと冷徹な視点を併せ持っていたことを感じさせる。

 そうした世界の入り口に立っているものの、弟と共に健気に生きる京都の娘・るい子を左幸子が好演している。彼女が登場する京都のシークエンスの丁寧な描写には、京都を愛した川島の趣味が見られる。彼女がつとめている木屋町のバー「おそめ」は、大佛次郎、小津安二郎、服部良一、そして川島雄三も常連客だった実在のお店。マダム役で登場するのは「おそめ」こと上羽秀。

 キャメラが趣味だった川島だが、京都出張で春樹が訪ねるカメラ店「カメラのムツミ堂」は実際の店でロケーション。往来をデモ隊が行進しているカットに、昭和31年という時代が色濃く写っている。

 『風船』の物語は、戦後十一年。戦前とはすっかり様変わりしてしまった日本人の有り様が、川島ならではの流麗な映画構成で描かれる。終盤近く、春樹が圭吉を叱咤する「世間の人がやっているから良いという言葉は、卑怯でない人間は言わないことだ」という台詞が強烈な印象を残す。これはまさしく孤高の年長者の言葉であり、孤独なヒーロー鞍馬天狗を生み出した大佛自身の言葉でもある。

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