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『広域暴力 流血の縄張』(1969年・日活・長谷部安春)

 ドスを呑込んだダボシャツ姿のアキラが、新宿歌舞伎町を彷徨う。望遠レンズで捉えたキャメラが、ナマナマしく1969年の新宿を行き交う人を映し出す。血まみれのダボシャツ。剃り込みの入った額。全身から発散する気迫。まさか、これが「渡り鳥」で黄色い歓声を浴び、スーパーヒーローとアジアで賞賛されたマイトガイと呼ばれた小林旭だと、誰も思わなかったんじゃないだろうか? 

どう見ても本職。もちろん周囲にはスタッフはいない。あえてドキュメンタリータッチで演出に望んだ長谷部とアキラの狙いだからだという。「女なんてさ 男なんてさ」。当時、流行した「新宿育ち」が流れる街角。このラストで観客であるわれわれは、主人公が大切にしてきた任侠が、もうすでに存在せず、彼が努力して守ろうとした組織がないことを知っている。だからこそ虚しく切ない。この男に待ち受けているものが死であることを知っているからだ。

 「広域暴力」シリーズ第一弾として銘打たれた『広域暴力 流血の縄張』は、前年の長谷部=アキラによる集団抗争劇『縄張はもらった』の延長線上で作られたリアルなバイオレンス映画。この頃のアキラは「女の警察」シリーズや、扇ひろ子や高橋英樹の任侠映画の助演などで活躍していたが、以前のようにアクションを全面に押し出した作品はなくなりつつあった。

そうしたなか、喜劇的な要素から一転、後半がバイオレンス活劇に豹変した『あらくれ』(69年)で久々に長谷部との超絶アクションをキメたばかり。『縄張はもらった』が、「渡り鳥映画」への鎮魂歌であり、ニューアクションの始点だとするなら、この『流血の縄張』は、集団抗争劇の一つの頂点でもある。

 警察の組織暴力壊滅作戦に追いつめられつつも、古いタイプのやくざ大野木(加藤嘉)は、代貸・矢頭(中丸忠雄)と幹部・小松勇治(旭)と共に、組を存続しようとする。しかし、大野木のシマを狙う関西連合会が、東京に進出してくる。いざこざは絶えず、なんとか手打ちをして総長賭博が開かれるが、大野木は数千万をたちまち失ってしまう。

その資金繰りのために、箱根から東京へと金策に向かう。日活映画はこれが初出演の中丸忠雄と、アキラが金策に走り回る場面の焦燥感。車で「新宿育ち」を口ずさむアキラ。こうした努力がすべて水泡に帰して、後戻りができないところまで行く。満身創痍となったアキラが繰り広げるクライマックスのバイオレンスの迫力と虚しさ。

日活公式サイト

web京都電影電視公司「華麗なる日活映画の世界」



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