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『大草原の渡り鳥』(1960年・齋藤武市)


 昭和35(1960)年、日活はダイヤモンドラインのスター主演作をローテーションで毎月製作していた。前年の秋『ギターを持った渡り鳥』で颯爽と銀幕に登場した小林旭の滝伸次は、『口笛が流れる港町』(1月)、『渡り鳥いつまた帰る』(4月)、『赤い夕陽の渡り鳥』(6月)とほぼ三ヶ月に一本のハイ・ペースで銀幕に登場。マイトガイ・アキラはその合間にもう一つの「流れ者」シリーズ(山崎徳次郎監督)にも出演。宍戸錠の好敵手との決着のつかない闘いが、毎月のように繰り広げられていた。

 「渡り鳥」シリーズの前身でもある『南国土佐を後にして』(59年)以来、シリーズを撮り続けてきた齋藤武市監督は、『赤い夕陽の渡り鳥』の頃、同工異曲の「渡り鳥」を続けるのに、さすがに飽き始めていたという。そこで小林旭主演で喜劇をということで手がけたのが『東京の暴れん坊』(7月)。この作品で小林旭のコミック・アクションという境地を拓いた齋藤監督によれば、日本を舞台に、しかも限られた予算で西部劇的なアクションを撮る難しさを毎回感じていたという。第一作『ギターを持った渡り鳥』をはじめ、数々の作品で西部劇志向を繰り広げた山崎巌が用意した『大草原の渡り鳥』のシナリオは、まさに西部劇そのもの。

 それならば、北海道の原野を舞台に徹底した和製西部劇を撮ろうと取り組んだのが『大草原の渡り鳥』だったという。

 「渡り鳥」「流れ者」シリーズの最大の魅力は、宍戸錠の好敵手。その著書「シシド」(新潮社)によると、第一作ではベテランの水島道太郎がキャスティングされていたという。小林とのバランスを考え自ら降りた水島に替わって、宍戸を推薦したのが撮影の高村倉太郎。小林旭と宍戸錠のコンビによって「渡り鳥」はルーティーンの楽しさに溢れ、「流れ者」の連作もあって、短期間にアキラとジョーのコンビネーションが成熟。活劇のヒーローとライバルにも関わらず、二人の関係は例えばビング・クロスビーとボブ・ホープの「珍道中シリーズ」のような楽しさに充ち満ちていた。

 特に『大草原の渡り鳥』は、オープニングから快調である。前作で亡くなった男から息子(江木俊夫、前作では島津雅彦)を預かって、母を訪ねて北海道までやって来た滝伸次。馬に乗っていると、水筒を手にしているハートの政と出会う。その時の会話の妙。

 また、例によって悪の巣窟であるキャバレーで、白木マリが悪漢に襲われていると政が銃を撃ち「網走帰りのハートの政ってんだ。俺にもしものことしやがると後でお前たちが後悔するぜ」と摩訶不思議な言い回しをする。そこに、ギターをかき鳴らしながら店に入ってくるのが滝伸次。唄うは「アキラのソーラン節」。天を貫くような渡り鳥の美声に圧倒されているのか。もちろん悪漢は手出しが出来ない。

 こうした楽しさが全編に溢れている。中盤で、坊やの母親に会わせて欲しいと、滝が政に頼みに来る橋の上のシーン。政は「お前と俺は敵味方同士だぜ」と呆れると、滝は「ああ、でもお前しか頼めねぇんだ」と返す。

 ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』(1959年)をこよなく愛するという齋藤監督だが、本作はオープニングからエンディングまで、西部劇の定石をふまえての展開を見せる。まずアイヌ集落。これは明らかに西部劇のネイティブ・アメリカン的に描写されており、クライマックスの火祭りのシーンでは、敵側の焼き打ちに会ってしまう。その焼き打ちのアクションには、干し草の台車ならぬ燃え盛る大八車が出てきたりと、派手なスペクタクルも満載。

 そして、ラスト、鉱山での対決シーン。朝焼けのショットから、馬に乗った滝伸次が現われ、ボスの裏切りに怒り心頭の政も登場。シリーズで最も血わき肉躍る名場面が展開され、監督の好きな『リオ・ブラボー』へのオマージュ溢れるシーンとなる。

 このアキラとジョーの蜜月関係は、「流れ者」第3作の『南海の狼火』(9月)、本作『大草原の渡り鳥』(10月)、そして「流れ者」第4作『大暴れ風来坊』(11月)にとどめを刺す。この二人のコンビネーションのピークは僅か3ヶ月だったというのが実に惜しい。翌61年正月の『波濤を越える渡り鳥』を最後に宍戸はダイヤモンドラインのスターとして齋藤監督の『ろくでなし稼業』(61年)で一本立ちしてしまうことになる。

 シリーズを支えたレギュラー陣もずらりと出演。第一作以来、ヒロインを演じ続けている浅丘ルリ子、憎々しい悪玉の金子信雄、今回はアイヌ娘として火祭りで踊る白木マリなど、いつものメンバーによるいつもの役どころが、シリーズの楽しさを盛り上げている。

 ラスト、ルリ子の慕情を断ち切って馬にまたがり、去ってゆく滝伸次。シリーズの助監督を務めた千野浩司が、70年代にこのラストショットから、渡り鳥を見送った江木俊夫の視点で描く十数年後の「渡り鳥」映画を企画。小林旭、齋藤監督ともにそのプロジェクトに参加したが、実現を見ることはなかった。
                      
 


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