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『歌うエノケン捕物帖』(1948年・渡辺邦男)

 戦前、戦中、戦後を通じて文字どおり喜劇王として大活躍したエノケンこと榎本健一。エノケンの舞台や映画には、アクションやギャグ同様に音楽が重要な要素だった。自らジャズバンドを持ち、ドラムを叩いたこともあるエノケンは数多くのジャズソングを吹き込んでいる。ブロードウエイ出身のハリウッド・スター、エディ・キャンターを意識して戦前の映画でジャズソングを歌い踊ったエノケンは、常に新しい音楽を取り入れていた。

 辛く長い戦争が終わって、日本中に民主主義の明るいムードが溢れ、街角には進駐軍のジャズが流れていた時代。ニッポンにも新しいメロディが誕生した。笠置シヅ子と服部良一による「東京ブギ」である。明るいメロディ,快活なリズム,そしてパンチのある歌声。笠置=服部のブギは戦後ニッポンの明るい象徴でもあった。

 その服部メロディをフィーチャーしたのが、エノケンプロ第二作,昭和23年12月31日公開の『歌うエノケン捕物帖』だった。エノケンと笠置の出会いは昭和21年3月の有楽座公演「舞台は廻る」で、二人は「コペカチータ」(服部作曲)をデュエット。ブギの女王と喜劇王のコンビは、同年8月の有楽座公演「エノケンのターザン」、昭和23年7月公開の大映映画『びっくり・しゃっくり時代』(島耕二監督)と、ステージ、映画にひっぱりだこ。そのいずれも服部メロディが全編に流れ、新しい時代への期待とパワフルなエネルギーに満ちあふれていた。

 この『歌うエノケン捕物帖』にはもう一人、服部メロディには欠かせないアーティストが出演している。「夢淡き東京」、「銀座セレナーデ」など、美しいメロディの服部ソングを歌った戦前からの名歌手・藤山一郎である。このキャスティングからしても、エノケンは本作を本格的なミュージカル仕立てにしようと思っていたようだ。

 エノケンもしばしば舞台で演じていた「権三と助十」を主人公に、大岡越前の「大岡裁き」をクライマックスにした時代劇というスタイルは、映画というよりアチャラカ芝居のベースで作られている。だが、この作品の魅力はなんといっても音楽だろう。

 冒頭、橋のたもとで客引きをする権三(エノケン)と助十(藤山一郎)が歌うのはブギにアレンジした「篭屋のダイナ」。ダイナといえばエノケンが戦前にポリドールに吹き込んだジャズソングの定番。それを服部ブギにアレンジした曲を楽しげに歌う二人。そして子供を前におどけながら「鐘の鳴る丘」を歌うエノケン。時代劇でありながら、最新のヒット歌謡を歌う主人公。これぞ音楽映画の楽しさに溢れている。

 そして、権三の女房・おさきを演じる笠置シヅ子が初登場するシーンはやはり歌である。服部作曲、笠置の持ち歌「アイレ可愛や」の替え歌で「♪今日もあぶれたコラ亭主 腰抜け亭主のドスカタン〜」と猛烈に歌い,エノケンとの夫婦喧嘩が始まる。ここでのかけあいがすごい。歌の魅力もさることながら、エノケンと笠置の強烈なパーソナリティが画面から飛び出してくる。パフォーマーのキャラが立った理想的なミュージカル場面である。

 一方、助十は意中の彼女、おしげちゃんと「夢淡き東京」の替え歌を歌う。おしげに扮したのは、戦後エノケンの舞台や映画に欠かせなかった旭輝子。平成14年に亡くなった神田正輝の母である。その風貌は孫娘・沙耶加によく似ている。映画『極楽大一座 アチャラカ誕生』(昭和31年東宝)で、エノケンの名作コント「最後の伝令」でメリーさんを演じた旭輝子だが、本作では五両で売られてしまう悲劇のヒロインを演じている。

 おしげを狙う悪侍三十郎には中村平八郎。といっても、エノケン一座で戦前からの盟友・如月寛多が改名してのキャスティング。中村平八郎名義では翌年の『エノケン大河内の旅姿人気男』『エノケンのとび助冒険旅行』(昭和24年)で出演しているが、再び如月寛多に戻している。

 後半、黒幕として登場する怪人物にエノケンが二役で演じている。舞台でも映画でもエノケンは数役に挑むのが習わしで、『エノケンの近藤勇』(昭和10年)では近藤勇と坂本竜馬、『エノケンの爆弾児』(昭和16年)では三役を演じるなど、当時の観客にはお馴染みのパターンだった。

 プロデューサーの滝村和男、監督の渡辺邦男ともども、第一回エノケンプロ作品『エノケンのホームラン王』(昭和23年)と同じメンバー。エノケンにとっても戦前からの旧知のスタッフである。撮影が行われたのが太泉スタジオ。黒澤明の『野良犬』(49年)が作られたのもここ。現在の東映東京撮影所の前身である。映画史的に云えば、この年起きた東宝争議の余波で、エノケン独立プロを興し、使用できなくなった東宝撮影所の変わりに、太泉スタジオで撮影したということである。

 さて、歌に溢れたこの作品で圧巻なのが、フィナーレ。藤山一郎、旭輝子、笠置シヅ子、エノケンの四人が、それぞれの持ち歌を歌って、エンドマークというのがなんとも小気味が良い。戦後歌謡史という観点からも重要な娯楽映画の一本である。

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新東宝データベース


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