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『沓掛時次郎』(1961年6月14日・大映京都・池広一夫)

 昨夜、ブロードウェイシネマ「パリのアメリカ人」から帰宅しての娯楽映画研究所シアターは、市川雷蔵主演『沓掛時次郎』(1961年6月14日・大映京都・池広一夫)を久々に、スクリーン投影。昭和3(1928)年に長谷川伸が発表した戯曲は、戦前だけでも大河内傳次郎(1929年・日活・辻吉朗)、海江田譲二(1932年・日活・辻吉朗)、林長二郎(1934年・松竹キネマ・衣笠貞之助)、浅香新八郎(1936年・新興キネマ・西原孝)と4回映画化されてきた。戦後は、長谷川一夫『浅間の鴉』(1953年・大映・田坂勝彦)、島田正吾(1954年・日活・佐伯清)に続いて、六度目の沓掛時次郎を市川雷蔵が演じたことになる。

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 信州沓掛生まれの時次郎(市川雷蔵)は、溜田の助五郎(須賀不二男)への一宿一飯の恩義から、六ツ田の三蔵(島田竜三)に一大刀を浴びせるが、致命傷は負わせない。三蔵と女房・おきぬ(新珠三千代)と息子・太郎吉(青木しげる)を逃がそうとしていたのだ。しかし、悪徳親分の助五郎一味は、三蔵にトドメを刺す。助五郎がおきぬに横恋慕して、三蔵を襲ったことを知った時次郎は、おきぬと太郎吉を連れて、おきぬの実家・足利へと向かう。熊谷宿まで逃げ延びた三人だったが、おきぬは病に倒れてしまい、旅籠桔梗屋の女将・おろく(杉村春子)の世話で療養。しかし、助五郎は一帯の親分衆に時次郎とおきぬたちの捜索を依頼、追っ手が迫ってくる。

 時次郎の優しい「無私」の行為に、最初は頑なだったおきぬの心が解けていく。新珠三千代を東宝から借りてきてのキャスティングもいい。太郎吉も「おじちゃん」をやがて「お父ちゃん」と慕っていく。その三人に親切にする旅籠屋の女将(杉村春子)、熊谷宿を仕切っている“良い親分”八丁畷徳兵衛(志村喬)、医師・玄庵(清水元)たちの善良さ。それに対して、悪辣な助五郎(須賀不二男)、徳兵衛の縄張を狙う親分・聖天の権蔵(稲葉義男)たちの悪辣さ。この対極が、わかりやすく、それゆえに、市川雷蔵さんのヒーローの正義が際立つ。

 この、わかりやすい「善と悪」の対立が、シンプルなドラマを面白くしてくれる。ここぞというときに、橋幸夫が歌う主題歌「沓掛時次郎」(作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正)が流れて、観客の感情をグッと盛り上げる。まるで大衆演劇のような「待ってました!」という感じがいい。『おけさ唄えば』(1960年・大映・森一生)で、雷蔵と橋幸夫が共演。空前の「潮来笠」ブームもあって映画も歌も大ヒットした。そこで大映が、雷蔵の「沓掛時次郎」の主題歌を歌って欲しいとビクターにオファーがあり、佐伯孝夫と吉田正のゴールデンコンビが作詞・作曲。この年だけで25万枚も売り上げる大ヒットとなった。

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 こうしたベタな演出は、長谷川伸の「人情ドラマ」にピッタリで、雷蔵の股旅姿も颯爽としてかっこいい。しかも根っからの善人で、ストイック。やくざだけどスマートな「人格者」。つまり「正しいヒーロー」なのである。だから、須賀不二男や稲葉義男たちの悪い親分たちの悪辣さが際立って「勧善懲悪のカタルシス」となる。

 さらに、この映画の「風情」は、喉には自慢の時次郎と、三味線を嗜むおきぬが、生活費を工面するために「門付」をして流すシーンにある。市川雷蔵の美しい声、新珠三千代の佇まい。この「風情」と橋幸夫の主題歌の「大衆演劇」的な世界。その両極が、良い意味で作品の幅になっている。

 池広一夫監督の演出は、過剰ではなく、むしろ抑制されていて、それがクライマックスの立ち回りで一気に爆発する。ベタだけどクール。勧善懲悪だけど渡世人の哀しさも感じる。時次郎のおきぬへのセリフに、『男はつらいよ 寅次郎恋歌』での寅さんと旅役者・吉田義男さんとの「明日はきっと日本晴れ」の名シーンのルーツを感じる。時次郎と寅次郎、同じ旅人同志なのである。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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