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『銀座の恋の物語』(1962年・日活・蔵原惟繕)

 数あるデュエットソングの中でも、最も親しまれているスタンダード「銀座の恋の物語」がリリースされたのは、昭和36(1961)年1月。アクション篇『街から街へつむじ風』(1961年・松尾昭典)の挿入歌だった。劇中で南寿美子(声・牧村旬子)と裕次郎がデュエット、牧村と裕次郎でレコード発売され、ジワジワと浸透。それから一年、大ヒット曲となった「銀座の恋の物語」をフィーチャーして作られたのが本作である。

 しかも、この年の2月に第一期工事が完成したばかりの、日活撮影所パーマネント・オープンセット、通称“日活銀座”での最初の撮影作品となった。だからこそ「銀座の恋の物語」をフィーチャーしたのである。

 “日活銀座”建設計画は、年々厳しくなる交通事情やオリンピックを前にしての盛り場ロケの制限など、さまざまな問題をクリアして撮影をスムースにするため、まず撮影所の東側約13,200平方メートルの敷地に銀座、新橋、新宿などの盛り場を再現する第1期工事に着手。日活美術部がロケハンをして緻密に再現、竹中工務店による鉄パイプによるセットは、風速60米に耐え得るものと、日活五十年史にある。

 監督は『俺は待ってるぜ』(1957年)で日活アクションの方向を決定づけた蔵原惟繕。脚本に『霧笛は俺を呼んでいる』(1960年・山崎徳次郎)のムードを作り上げた熊井啓と、本作以降の“ムードアクション”成立の立役者となった山田信夫。『銀座の恋の物語』は、昭和39(1964)年の『夕陽の丘』から正式に日活宣伝部によって命名される“ムードアクション”の萌芽となった記念すべき作品でもある。

 “ムードアクション”とは、裕次郎と浅丘ルリ子のメロドラマの“ムード”、裕次郎の“アクション”を融合させた作品群で、『憎いあンちくしょう』(1962年・蔵原惟繕)、『赤いハンカチ』(1964年・舛田利雄)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年・江崎実生)と佳作が多い。『銀座の恋の物語』を”ムードアクション”の萌芽としたのは映画評論家の渡辺武信氏である。(氏の「日活アクションの華麗な世界」未来社刊に詳しい)。

 しかしながら『銀座の恋の物語』にはアクションはない。銀座の裏町に住む芸術家の卵の伴次郎(裕次郎)と、彼との結婚を夢見るお針子の秋田久子(ルリ子)のメロドラマである。婚約した二人が、次郎の実家に行くために新宿で待ち合わせをするが、その途中、久子が交通事故に逢ってしまう。記憶喪失になった久子は、次郎の前から姿を消す。必死に久子を探し続ける裕次郎。一年半後、銀座松屋デパートで久子を見つけた裕次郎だったが、今では井沢良子として生きている彼女は、何も覚えていないのだ。

 この映画は、記憶を失った久子のアイデンティティを回復するドラマであり、次郎が久子との失った日々を取り戻すために、懸命に戦う物語でもある。

 主人公の自己回復。このモチーフは『赤いハンカチ』の裕次郎の元刑事につながり、交通事故で姿を消してしまうルリ子の設定は『夜霧よ今夜も有難う』に通じる。“過去”に幸せな日々を過ごした裕次郎とルリ子が、数年後に再会。その時、二人は決して結ばれることはない“現在”にいることを実感する。それが“ムードアクション”のモチーフである。その萌芽が『銀座の恋の物語』にあるのだ。

 『銀座の恋の物語』の次郎は画家。商業デザインから誘いがあっても、自分の芸術を確立させるため貧乏暮らしをしている。同居しているのはジャズピアニストの宮本修二(ジェリー藤尾)。二人のアパート暮らしを描く前半は、MGMミュージカルの傑作『巴里のアメリカ人』(1951年・ヴィンセント・ミネリ)を思わせて楽しい。ジーン・ケリーは売れない画家、同じアパートのピアニストのオスカー・レバントもコンサートマスターを目指している貧乏作曲家だった。

 日活映画は外国映画をモチーフにしたものが多い。『赤い波止場』(1958年)はジャン・ギャバンの『望郷』(1937年)を意識しているし、『嵐を呼ぶ男』(1957年)はジェームズ・キャグニーの『栄光の都』(1940年)にインスパイアされている。『帰らざる波止場』(1966年)は『過去を持つ愛情』(1954年)の影響を受け、『夜霧よ今夜も有難う』はハンフリー・ボガートの『カサブランカ』(1942年)をお手本にしている。しかし、それが単なるイタダキに終わらず、独自のロマンチシズムを形成しているのが素晴らしい。見事な換骨奪胎ばかりなのだ。

 宮本が作曲し、次郎と久子が作詞をしたという設定の主題歌と、次郎が久子のために描いた肖像画。二つの小道具が、久子の記憶を回復する装置として極めて効果的に使われている。次郎と待ち合わせの日、久子はその肖像画のために額縁を買う。記憶喪失となった久子が住むアパートに絵が入らないままポッカリと開いた額が置いてある。その肖像画の行方も後半のドラマの芯になっている。また、次郎のアパートにある壊れたおもちゃのピアノを、記憶を失った久子が弾いていると、次第に主題歌のメロディになっていく。ところが一つだけ鳴らないキーがある。クライマックスの名場面である。

 裕次郎とレコードでデュエットしている牧村旬子が、宮本の恋人役で出演。コメディリリーフとして登場する関口典子(江利チエミ)がジャズ喫茶で、飛び入りで唄う「奴さん」は彼女のヒット曲。また「ノッポの彼氏とオチビの彼女」は、江利と舞台「マイ・フェア・レディ」(1963年)で共演する高島忠夫が作詞作曲。なお、東京地区での併映作は、舛田利雄監督が坂本九の大ヒットをモチーフに映画化した『上を向いて歩こう』。いずれも“日活銀座”を効果的に使用した歌謡映画二本立は、興行界でも大きな話題となった。

*DIG THE NIPPON『銀座の恋の物語』解説を大幅に加筆訂正しました。

日活公式サイト



web京都電影電視公司「華麗なる日活映画の世界」

石原裕次郎シアターDVDマガジン「銀座の恋の物語」



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