『あに・いもうと』(1953年8月19日・大映東京・成瀬巳喜男)
7月13日(水)の娯楽映画研究所シアターは、連夜の成瀬巳喜男監督特集。室生犀星原作の二度目の映画化となる『あに・いもうと』(1953年8月19日・大映東京)をアマプラのシネマコレクション by KADOKAWAからスクリーン投影
無頼の兄・伊之吉を森雅之、奔放な妹・もんを京マチ子。しっかり者の次女・さんを久我美子。そして父親で、かつては護岸工事の親方で鳴らし、今は引退している川師の親方・赤座を山本礼三郎、河原で茶店を開いて家計を支えている母・りきを浦辺粂子が演じている。ともかく役者のアンサンブルが見事。眺めているだけで惚れ惚れする。ちなみに原作で兄は伊之助である。
山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズを考えるときに、この「あに・いもうと」はいろんな意味で重要な作品。寅さんとさくらの「兄妹以上の精神的なつながり」「妹のために、身体を張る兄の過剰な愛情」の原点でもある。森雅之さん演じる、無頼の兄・伊之助が茶の間で大暴れするが、その理不尽な怒り、家族への甘え、などなど寅さんに通じる。その兄妹げんかを、浦辺粂子さんのお母さんの涙ながらの一言が収める。ここは、とらやのおばちゃんの涙を連想する。
山田監督が成瀬監督からインスパイアされたというより、室生犀星の原作のインパクトを、それぞれの作家なりに描いている。山田監督は東芝日曜劇場で、渥美清と倍賞千恵子の「あにいもうと」(1972年・TBS)のシナリオを執筆、シリーズ第49作として準備を進めていた幻の『寅次郎花へんろ』では、西田敏行さんと田中裕子の「あに・いもうと」の物語に寅さんが絡むという想定だった。
しかし渥美清が亡くなり、西田&田中コンビで『虹をつかむ男』が作られたが「あにいもうと」のプロットは続編『虹をつかむ男 南国奮闘篇』での哀川翔と小泉今日子に受け継がれている。いずれも、室生犀星の「あにいもうと」のバリエーション。
さて、成瀬の『あに・いもうと』。舞台は多摩川・五本松付近。トップシーンで赤座(山本礼三郎)が歩いてくる多摩川沿いは、現在の川崎市多摩区中野島あたり。かつて頑固な川師で鳴らした赤座も隠居暮らし。妻・りき(浦辺粂子)が、釣り客やハイキング客相手の売店で暮らしを支えている。
夏は「かき氷」、冬は「おでん」。浦辺粂子は、小津安二郎監督『早春』(1956年)でもおでん屋をやるが、本当によく似合う。
そこへ、東京の看護学校に次女・さん(久我美子)が帰ってくる。さんは、製麺所の養子・鯛一(堀雄二)と恋仲だが、製麺所のとき子婆さん(本間文子)と貫一(潮万太郎)夫妻は、「あんなふしだらな女の妹とは付き合うな」と交際を禁じる。こういう役を演じたら本間文子の右に出るものはいない。噂を広めるくせに、その噂に縛られて世間体ばかりを気にしている。潮万太郎は、いつものような感じで、女房の尻に敷かれていて無個性。
近所で噂の「ふしだらな女」が、長女・もん(京マチ子)である。東京で料理屋に奉公に出たが、学生と恋をして妊娠。暇を出されて帰ってきていた。もんは、姉の送金で念願の看護学校に通っていた。子供の頃からもんを溺愛していた兄・伊之吉(森雅之)は、怒り心頭で、身重のもんに罵詈雑言、悪態をつく。いたたまれなくなったもんは、どこかへ姿を消してしまう。
とにかく森雅之が、無頼の兄を見事に演じている。茶店の金をくすねては酒を飲んだりパチンコをしたり、仕事も長続きしない出鱈目な男だが、父親には頭が上がらない。落ち目とはいえ、赤座は眼力鋭く、かつての威勢を感じさせる。戦前から凄みを聞かせてきた山本礼三郎の存在感たるや! 山本礼三郎さんと森雅之さん。レジェンドの無頼親子!
季節は過ぎ、再び、さんが実家に戻ってくる。製麺所の鯛一は、お人好しで気が弱く、義父たちが決めた縁談を断りきれない。成瀬映画でお馴染みの優柔不断な「ダメ男」である。さんと同じバスに乗っていた学生服の小畑(船越英二)が、もんを訪ねて赤座家へ。しかしもんは流産をして、またどこかへ行ったまま。
小畑は、赤座に頭を下げ、自分の不徳を謝る。ここで山本礼三郎さんが怒鳴って暴れるかと思いきや、冷静に小畑に話しかける。この芝居が素晴らしい。謝ればあんたの気が済むかもしれないが、そういうものではない。「もう、こんな罪作りなことをしちゃいけないよ」と諌める。やー、これはカッコいい。
小畑も悪い男ではなく、もんに対する贖罪の気持ちがいっぱいで、それを母・りきも汲み取る。小畑に「これ食べてください」と売り物の饅頭を土産に持たせる。ホッとして帰途につく小畑。彼もまた「ダメ男」である。
そんな小畑を、怒りに震える兄・伊之吉がじっとつけていく。もう、やくざ映画か、時代劇か、の緊張感。ぴったりくっついた伊之吉が小畑に「こっちだ」と凄んで、河原の橋の下に誘い出す。そこまでロケーションなのだけど、二人が対峙する、というか伊之吉が一方的に、小畑に「兄妹以上のもんへの愛情」を吐露して、殴りかかる。このシーンは、大映東京のセットに切り替わる。
ロケーションからセットへ。しかも同じアングルで、同じ場所を再現。名手・仲美喜雄の美術が素晴らしい。ロケからセットへ、という点では、ボンネットバスが、製麺所の前のバス停に着くシーンも、最初、セットであることに気づかなかった。
この森雅之さんVS船越英二さんのシーンが、本作の要でもある。別れ際、さんざ殴った伊之吉が小畑に「左へ行くとバス停だ」と帰り道を教えるのが、またいい。これがあるとないとでは、観客の心の負担、伊之吉への視点がマイナスになってしまう。
一方、結納が決まり、いよいよ身動きが取れなくなった鯛一は、さんに「一緒に東京へ逃げよう」と大胆な行動に出る。バスに乗る二人(その前に、ちゃんとさんは、りきに「帰らなきゃいけなくなった」と断る(ここも大事なとこ)。するとバスには小畑が乗っていて、先ほどお土産にもらった饅頭を頬張っている。船越英二のホッとした表情がいい。
バスはやがて駅へ。「菅間(すがま)駅」と看板にはあるが、ここは小田急線「鶴川駅」(町田市)でロケーション。現在の感覚では、鶴川から新宿へは、通勤圏内、生活圏内だが、当時は東京ははるか遠くの都会。「銀座も知らない年寄り」がたくさんいた。多摩川を越えれば東京なのに、その距離は計り知れない大きさである。今では鶴川駅から新宿まで特急で41分なのだけど。
この「川向こう」の遠さは、成瀬映画でしばしば描かれている。『女が階段を上るとき』(1960年・東宝)で、高峰秀子の実家のある佃島と、渡船ですぐの築地・銀座への精神的な距離感が描かれている。
で、さんは、駅できっぱり、本気ならこれから帰ってみんなにさんと一緒になると宣言して欲しい、このまま逃げても仕方がない。私たちは若いんだから、まだそのときじゃない。と鯛一に告げて新宿行きの電車に乗る。ここで鯛一が、養父母や親戚に宣言すれば、万々歳だが、日活青春映画のようにはいかない。結局、養父母の決めた縁談に従うことに。
それから3ヶ月。お盆となる。もんが久しぶりに帰京、途中でさんも一緒になる。姉妹の懐かしい再会。りきも二人が帰ってくる頃だとおはぎを作っている。
さて、もんは、久しぶりの実家でのんびり昼寝をしている。姉妹、母娘の会話に、この家族がどんな風に過ごしてきたかが見えてくる。そこへ、昼飯に伊之吉が帰ってくる。仏頂面で、不機嫌な伊之吉が、もんに悪態をつくが、大人しく耐えている。調子に乗ってきた伊之吉は、とうとう、小畑を待ち伏せして殴ったことを得意気に言ってしまう。
それを聞いたもん。怒って、兄に食ってかかる。「一度、許した男の悪口を言われたくない」「何を!」と壮絶な兄妹喧嘩。ちゃぶ台をひっくり返す京マチ子さん。わっと泣き出す浦辺粂子。ああ、どこかで観た光景、と後付けの観客は思う。そう「男はつらいよ」での茶の間の大喧嘩のシーンの同質の緊張感なのである。京マチ子も、森雅之も、お互い、一歩も引かない。もう、これも見事。
というわけで、この後の灯籠流しの切なさ。新婚の鯛一夫妻をみて立ち上がり「あっちへ行こう」と母を促すさん。りきは娘の悲しみを知っている。
で、おかしいのは、強面の山本礼三郎が店番をしていて、高品格が「かき氷」を注文。不器用に氷を掻く山本礼三郎がおかしい。仏頂面で氷を差し出すも、スプーンがない。高品さんが「あれ、ないよ」。ブスッと山本礼三郎、前の客の器のスプーンを水につけてチャッチャと切る。服でもなく、高品さんに差し出す。「汚ねえなぁ」と高品格の表情、そっと手ぬぐいでスプーンを拭いて、氷を食べ始める。
なんのことはないシーンでも、この二人が演じると、やくざ映画のような緊張感が走る。ほとんどセリフもなくサイレントで、この一連の動きをする。ハリウッドの暗黒街映画でいうとジョージ・ラフトとエドワード・G・ロビンソンのやりとりみたいなのだから、余計におかしい。
やがてお盆が終わり、もんとさんが、東京へ帰る時の母娘の別れの余韻。京マチ子さんが振り返って、日傘を回してお母さんに別れの笑顔を送る。再び歩き出す姉妹。姉が妹に日傘をさしてあげる。そこへ「おわり」のタイトル。「終」でも「完」でもなく「おわり」。それがとてもいい。
「あにいもうと」は三回映画化されている。初作は『兄いもうと』(1936年・P.C.L.・木村荘十二)。竹久千恵子がもん、丸山定夫が伊之、堀越節子がさん、小杉義男が赤座、英百合子がりきを演じている。
またこの成瀬巳喜男版の水木洋子のシナリオを、今井正監督が1976(昭和51年)にリメイク。秋吉久美子のもん、草刈正雄の伊之吉、池上季実子のさん、大滝秀治の赤座、賀原夏子のりきで『あにいもうと』(東宝)が作られている。
よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。