『ぶらりぶらぶら物語』(1962年11月23日・東京映画・松山善三)
昨夜は、小林桂樹さん、高峰秀子さん、松山善三監督『名もなく貧しく美しく』トリオによる、風俗喜劇『ぶらりぶらぶら物語』(1962年11月23日・東京映画)をスクリーン投影。
下関〜岩国〜熊野〜大阪〜浜松〜東京へ、西日本から東日本への縦断ロケーションは、当時としては珍しい。プログラムピクチャーの場合は、21日間で製作するのが基本なので、大作ではない娯楽映画の地方ロケは、せいぜい3ヶ所ぐらいだった。この頃、野村芳太郎監督が「砂の器」の企画をするも「四季の日本をロケするなんて!」と却下されてしまった。そういう時代でもある。
猪戸純(小林桂樹)は、大学中退してサラリーマンに慣れずに、自由をもとめて家を持たない放浪暮らし。全国各地の主な橋の下に、食料や生活用具を隠していて。全財産八万円を膏薬の下に貼って、ぶらりぶらぶら全国行脚。
旅先でたまに会う桑田駒子(高峰秀子)は、広島で被爆したと偽って「平和募金詐欺」をしながら、全国各地を歩いている。この「偽被爆者」ネタが、松山善三監督の戯作精神で、猪戸純も金に困ると「偽傷痍軍人」にふんして募金を集めてその日ぐらし。
そこへ、コソ泥で稼いでいる伊賀次郎吉(三木のり平)が絡んできて、この三人のロードムービーとして企画された。小林桂樹さんが「ぶらり」全国を歩くというのは、1958(昭和33)年の『裸の大将』のパターン。「裸の大将」の現代版を狙ってのこと。
しかし高峰秀子さん、三木のり平さんのスケジュール調整も大変なので、この二人はピンポイント・リリーフという感じで、その代わり、小林桂樹さんは、下関駅で小母さん(団令子)に捨てられてしまった小宮山武男(金子吉延)と妹・マリ子(坂部尚子)の「小母さん尋ねて東京へ」旅がメインストーリーとなる。
その行脚を通して、高度成長真っ只中のニッポンの断面をカリカチュアして描いていく。
東京映画にしては大作なのは、木下恵介監督の愛弟子で『名もなく貧しく美しく』で成功を収めた松山善三監督作品だから。東宝の製作担当重役・藤本真澄プロデューサーが乗り出して、東京映画の椎野英之プロデューサーとともに製作の陣頭指揮を取って、鳴物入りで製作して、その意気込みがちょっとしたシーンからも感じられる。
タイトルバックに、クレジットされているすべてのスタッフ、キャストが扮装して登場するのもいい。藤本真澄、椎野英之、撮影の村井博さん、美術の村木忍さん、音楽の林光さんなどの顔が確認できるもの嬉しい。
小林桂樹さんは、「狸シリーズ」のような喜劇的演技を見せつつ、二人の子役との抜群のチームワークを見せてくれる。ぼくらにとってはのちの青影であり、河童の三平である金子吉延くんと、『世界大戦争』(1961年)の主人公夫婦の娘・坂部尚子ちゃん(「ウルトラQ」の「悪魔っ子」リリー=坂部紀子の姉)の二人の作られていない「自由さ」がいい。
小林桂樹さんの作り込んだ「自由さ」と、子役の作らない「自由さ」。そして高峰秀子さんのさらに作り込んだ「コメディエンヌ」芝居のバランスは、松山善三作品らしい。
子供たちの小母さん(団令子)を東京に連れて行ってしまう、建築現場の労働者・キンコンカンさん(桂小金治)も出番は少ないが、憎めない小市民を好演している。
戦後映画史的には、清水宏監督『蜂の巣の子供たち』(1949年)と、山田洋次監督『家族』(1970年)のちょうど中間にあたる西日本ロードムービーでもあり、この3本を順番に観ると、色々な発見があると思う。
傑作ではないけど良作。ラストの東京ロケも、時層映画探検好きにはたまらない。そうそう、富士山の麓で、原水爆禁止運動の行進をする高峰秀子さんが持っているプラカードに、キリンビールの植木等さんのポスターが裏張りされている。サントリービールのCMに出演するのは、この映画から3年後、この頃はキリンビールだったんだ!