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『悪名波止場』(1963年9月7日・大映京都・森一生)

 今回のカツライス二皿目は、勝新太郎&田宮二郎のシリーズ第7作『悪名波止場』(1963年9月7日・大映京都・森一生)。前作『悪名市場』(森一生)は、四国を舞台にニセ朝吉(芦屋雁之助)とニセ清次(芦屋小雁)が巻き起こす大騒動の喜劇篇だったが、今回は、その帰り道に遭遇したトラブルのお話。これまでは、やんちゃな男たちの「喧嘩」「騒動」が主体で、第二作『続・悪名』(1961年・田中徳三)のラストで“モートルの貞”が衝撃の死を迎えた以外は、殺し合いや死はあまり描かれてこなかった。

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 つまり「悪名」シリーズは、「やくざ映画」ではなく「やくざな男たち」「やくざにならない人生」を選んだ物語だった。そういう意味ではのちの「男はつらいよ」シリーズの初期作品のような「エッジな面白さ」だった。しかし、映画界が斜陽を迎えたなかで、昭和37(1962)年12月、日活では石原裕次郎主演『花と竜』(舛田利雄)が作られて大ヒット、さらに東映が3月、鶴田浩二主演『人生劇場 飛車角』(沢島忠)で任侠路線を確立した。前者は火野葦平、後者は尾崎士郎原作による文芸作品だが「やくざの世界」を描いて、それが男性観客を中心に大ヒット。斜陽の映画界は「任侠映画」という新たなジャンルをカンフル剤と考えた。

 この「悪名」シリーズも、当初は今東光の原作を脚色していたが『続・悪名』で原作のエピソードは使い果たしてしまったので、シナリオは依田義賢のオリジナルで、ストーリーが紡がれてきた。第三作以降は、戦後、昭和20年代の混沌とした世の中で、自分の「正義」を貫く朝吉の「浪花節的生き方」が描かれてきた。「時代に取り残された男」の物語でもある。しかし、空前の任侠映画ブームのなか「やくざな男たちの映画」「やくざ映画」へとシフトしてくる。特にこの『悪名波止場』で、それが明確化してきた。

 ここでは、悪徳やくざ組織によって、麻薬中毒にさせられた女性を助けるべく、お人好しの朝吉が立ち上がるが、物語の半ばで、彼女は殺されてしまう。悪党たちも、土地買収や、女性売り飛ばすという、これまでの展開から推し進めて、密輸外国船と麻薬取引をもくろむ。もはや、因島の女親分(浪花千栄子)やシルクハットの親分(永田靖)たちの「仁義」を重んじる世界ではない。広島県宇品港で、港湾荷受けをしている鬼瓦組を率いる吉(吉田義夫)は、相当なワル。そのボスの社長(伊達三郎)は、人身売買、麻薬取引、殺人と、私欲のためなら厭わない。いつもは脇役の伊達三郎がボス、というのもすごいが、ここにはモラルがない。

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 今回のマドンナ、というか朝吉に惚れる女性は、社長が経営するキャバレーのホステスで、外国人とのハーフの女の子を保育園に預けている悦子(滝瑛子)。さらに、今ではコンプアイランス上問題ありありだが、この港町で、外国人船員相手に「おなご船」、つまり船で売春をする女の子たちをまとめている・おげん(清川虹子)と亭主・平造(杉狂児)と女の子たちが、朝吉&清次の心強い味方となる。

 前作『悪名市場』のラスト、四国から宇品港への連絡船のなかで、清次そっくりのスタイルのチャラチャラしたチンピラ・三郎(藤田まこと)が登場して、清次が大いにクサる。そのシーンから、今回の『悪名波止場』の物語が始まる。インチキ賭博で、連絡船の客から金を巻き上げている三郎に怒り心頭の清次。

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 藤田まことのギャグもエスカレート「鼻の穴から手ェ突っ込んで、お前、扁桃腺ゴリゴリ言わしたるで」(笑)。清次も負けてない。「おのれが扁桃腺コリコリやったらな、わいはおどれのどたまかち割って、脳みそフルーツジュースにしたるぞ」「なんか残酷なことしたらあかん」と、清次V Sニセ清次の応酬がおかしい。締め上げようとする清次に、三郎は言い訳する。「金持って帰らな、病気で寝ている妹が難儀しまんにゃ」「その妹って別嬪か?」。そこへ朝吉が割って入って、結局、妹の話を知ってしまう。人が困っていると黙ってられない朝吉である。そこでタイトルバック。快調な滑り出しである。

 宇品港で下船した朝吉、清次、お照(藤原礼子)たち。朝吉は三郎の家へ。そこには、悦子(滝瑛子)と三郎の麻薬中毒の妹・おとし(紺野ユカ)がいた。三郎は鬼瓦(吉田義夫)の子分だが、鬼瓦に頼まれた回収金を持ってそのままドロンしてしまう。鬼瓦は、おとしの身体で弁済させようとするが、人が困っていると黙っていられない朝吉は、自分が借金を背負ってしまう。「おなご船」の博打で、一儲けを企てるも、一文なしになってしまう。宿代も無くなった朝吉のために、お照が大阪に戻って金を工面することに。

 おとしのために、なんとかしようと朝吉と清次は「アンコ」と呼ばれる、石炭の荷下ろしのハードワークへ。しかし鬼瓦組の差配の仕事なので、いくら働いても借金は返せそうにもない。このあたり、いつもの「悪名」の喜劇的な面白さである。しかし、悪辣極まりない社長(伊達三郎)の悪知恵で、おとしを「おなご船」の売春婦に戻して(もともと彼女はここで働いていた)、香港船との麻薬取引をさせようとする。麻薬嫌いな「おなご船」の女将・おげん(清川虹子)には「麻薬を絶った」と嘘をつくように強要されて。しかも、おとしの亭主・仙太郎(水原弘)は、とんでもない男で、鬼瓦と社長の指図で女房を麻薬取引に利用するダメな男。

 で、朝吉たちの活躍で、おとしが救済されて、ハッピーエンドになればいいが、物語の中盤で、彼女は悪党たちの犠牲となり殺されてしまう。しかも事故死に見せかけられて。小林旭や鶴田浩二、高倉健の映画なら、この悪党たちを全員、力づくで懲らしめればいいのだけど、朝吉と清次の「悪名コンビ」はいくら酷い連中でも殺すわけにはいかない。しかも、落としを、こんな目に遭わせた張本人でもある、兄貴の三郎(藤田まこと)は、鬼瓦の金を拐帯したまま、ラストまで登場しない。まあ、プログラムピクチャーだから、その辺りは大目に見ればいいのだけど。ラストの一網打尽のシーンは楽しいけど、いつものカタルシスないのが残念。

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 さて、悦子のキャバレーでは、青山ミチが専属歌手として、パンチのある歌声を3チャンスも聴かせてくれる。特に、上機嫌の清次がギター伴奏をして楽しそうに歌う「淋しいときには」(1963年5月発売「ひとつ花が咲く時に」のカップリング)がイイ。また、「おなご船」の甲板で、おとしが河内に住んでいたことがあると聞いて、歌って欲しいとリクエストを受けて、朝吉が歌う「河内音頭(鉄砲節)」がまた素晴らしい。前作では四国の親分衆の宴会シーンで本寸法で歌ったが、今回はアカペラで一節唸る。芸達者で粋人の勝新太郎ならではの色気を堪能できる。『悪名市場』のヴァージョンは、テイチクから「悪名(河内音頭)」としてシングルリリースされている。

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 また、これもコンプアイランス上問題ありありだが、清次がおとしの行方を知らないかと、外国人の女の子・マリ(実は、悦子の姪っ子、演ずるはジニー・マリッチ)に、ジェスチャーで尋ねるシーンがおかしい。田宮二郎の芸達者ぶりが堪能できる。関西弁を巧みにしゃべるおしゃまなマリと清次のコンビが、後半をユーモラスにしてくれる。

 「おなご船」の女の子たちには、おみつ(弓恵子)、お末(真城千都世)、おりき(毛利郁子)と錚々たるメンバーが顔を揃えている。その中のコメディ・リリーフに、おかね(ミス・ワカサ)が登場。もちろん相方の島ひろしも八という情けない役で出演。



 

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