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『エノケンの拳闘狂一代記』(1950年・新東宝=エノケンプロ・渡辺邦男)


 昭和を代表する喜劇王・エノケンこと榎本健一が自らの独立プロダクション、エノケン・プロを設立したのは、東宝争議の余波による映画制作体制の麻痺と、自分が作りたい映画を、自らの手でという思いからだったという。

 エノケン・プロが制作に関わった映画は、全部で13本。昭和23年9月9日公開『エノケンのホームラン王』(新東宝)、同年12月31日公開『歌うエノケン捕物帖』(同)、昭和24年2月8日公開の本作、同年7月5日公開『エノケン・大河内の旅姿人気男』(同)、同年9月2日公開『エノケンのとび助冒険旅行』(同)、同年11月1日公開『エノケン・笠置の極楽夫婦』(同)、同年12月31日公開『エノケン・笠置のお染久松』(同)、昭和25年3月25日公開『らくだの馬さん』(松竹)、同年4月23日公開『エノケンの底抜け大放送』、同年10月15日公開『エノケンの豪傑一代男』(新東宝)、同年12月16日公開『エノケンの八百八狸 大暴れ』(東横)、同年12月30日公開『エノケンの天一坊』(東宝)、昭和26年7月6日公開『お馴染み判官 あばれ神輿』(東横)となる。

 スポーツネタあり、舞台でお馴染みの演目ありとバラエティに富んだラインアップだが、エノケン・プロは東宝の映画制作復帰と新東宝との分裂など、映画界の再編成にともない、新東宝との提携もメリットが少ないものとなり、次第に赤字作品が多く、やがて解散することになる。

 さて、第一作から三か月に一本のハイペースで作られていたエノケン・プロ=新東宝提携作品の第三作『エノケンの拳闘狂一代記』は、野球と人気を二分していたボクシングの世界を題材にした人情喜劇。『〜ホームラン王』でジャイアンツ選手が出演したように、本作には当時全日本バンタム級チャンピオンだった堀口宏を始め、当時のボクシング界を代表するそうそうたるメンバーが出演している。

 八百長拳闘で生計を立てているエノケン扮する主人公・江之吉の別居していた女房が病死して、一粒種の息子・道夫が転がり込んでくる。江之吉はその子を幼なじみの酒場の女将・おぎん(清川虹子)に預ける。そして物語は大正から昭和初期、現代へと進んでゆく。すくすくと育つ道夫に、父と名乗りたい江之吉と、それを許さないおぎん。戦前のP.C.L.(東宝の前身)時代から、コメディの名脇役として活躍してきた清川虹子の女将ぶりがいい。飲んだくれとなった江之吉を母親のように暖かく見守る姿は、この時点ですでにベテランの清川ならではの味。

 本作連続三連投となる渡辺邦男監督の手堅い演出で、ペーソスあふれる人情劇に仕上げているが、何よりユニークなのは大学生になった道夫を、バンダム級チャンピオンだった堀口宏が演じていること。

 当時のキネマ旬報の作品紹介で、堀口宏(ピストン堀口)との記述があったため、長年この作品にはピストン堀口が出演しているとの誤解があったが、堀口宏は同時代に活躍していたボクサーだが、ピストン堀口とは別の選手である。ここで訂正しておきたい。

 堀口宏は、昭和18年にデビューを果たし,昭和22年8月29日、後楽園球場で行われた第一回全日本選手権決勝戦で初代バンダム級のチャンピオンになった。まさに当時フレッシュなチャンピオン。昭和21年から23年の間に36連勝記録を達成。その後、第三代日本バンダム級王者,第七代日本バンダム級王者となり、昭和29年に引退するまで、生涯通算成績101戦82勝を記録した。

 ちなみにピストン堀口は、本名が堀口恒男。この映画が公開された翌年の昭和25年10月24日、東海道線の貨物列車にはねられて死亡。享年39歳。

 そしてこの映画が公開される一か月前の、昭和24年1月20日、白井義男がフライ級チャンピオンになるなど、ボクシング熱は高まる一方だった。

 この映画は、『〜ホームラン王』の川上選手同様、芝居には素人でしかも現役チャンピオンの堀口宏に、物語の要であるエノケンの息子役を演じさせているのがすごい。もちろん、当時の花形ボクサーが総出演しているのも同趣向。

 大正時代から昭和初期にかけての風俗描写は、エノケンやその相棒役の如月寛多(この時は中村平八郎)たちが、浅草で活躍した時代を彷佛とさせて、その古き良き時代が楽しい雰囲気で再現されている。道夫の恋人・ケイ子に扮しているのは『〜ホームラン王』でエノケンの恋人役だった春山美彌子。

 他の映画に比べてギャグが少ないのは、エノケンが人情劇を重視したからだという。男やもめと一人息子の交流を描いたドラマはエノケンが好んだもので、昭和17年に上演された舞台「河童の園」もこのパターンで、その後、ラジオ化やテレビ化もエノケンが積極的に働きかけている。

 さて、『拳闘狂一代記』は堀口宏の迫力あるボクシング試合をクライマックスにして、親子の名乗りで感動的に幕を閉じる。

 堀口は引退後、後進の指導に当たりながら、加山雄三の『銀座の若大将』(昭和37年東宝)などのボクシング・アドバイザーとしても活躍した。この映画は、喜劇王エノケンと拳闘王・堀口宏が生きた時代の空気をフィルムにおさめた貴重な記録でもある。

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