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『朝の並木路』(1936年11月1日・P.C.L.・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男研究。久しぶりに昭和11(1936)年の東京風景が味わえる60分の小品『朝(あした)の並木路』をスクリーン投影。前年、昭和10(1935)年に松竹からP.C.L.に移籍してきた第1作『乙女ごころ三人姉妹』(1935年3月1日)から、ハイペースで作品を発表。7作目となる。その間に、戦前の代表作、千葉早智子の『妻よ薔薇のやうに』(1935年8月15日)も手がけている。

この『朝の並木路』は、昭和12(1937)年に成瀬と結婚をすることになる千葉早智子をフィーチャーして、田舎から都会に憧れて上京してきた純情娘が、カフェーに勤め、客と恋に落ち、大人へと踏み出す。というシンプルな構成。

千葉早智子といえば、P.C.L.第1作『ほろよひ人生』(1933年)からP.C.L.の看板女優として活躍、清純派の「お嬢さん」女優としてトップスターとなっていた。本作での相手役も『ほろよひ人生』から共演してきた大川平八郎。ハリウッド帰りのヘンリー大川である。

というわけで、P.C.L.の美男美女スターによるメロドラマとして、成瀬がオリジナル脚本を執筆したのが本作。タイトルと映画の内容はほとんど関係がない。爽やかなイメージのタイトルとは裏腹に、東京のカフェーを舞台に女給の哀感、そして純情な女給と若きサラリーマンのひとときの恋を描いたもの。なので流行歌の曲名のように付けられたものだが、映画を観ていくとラストシーンの味わいがまさに『朝の並木路』という感じでもある。

田舎のバス停の前の茶店。22歳まで故郷で暮らしていた千代(千葉早智子)は、東京で自立しようと決心。父(御橋公)と母(山口ミサヲ)に別れを告げてバスに乗る。一張羅の着物を来て、新生活への期待に胸を膨らませ、バスに揺られる千代のアップ。千葉早智子の美しさ、清純さが際立っている。

やがて東京。上野公園からのパン移動で、広小路、そして「軍艦ビル」と呼ばれた京成聚楽ビルのアールデコの威容! この聚楽ビルは、昭和11(1936)年に竣工なったばかり、鉄骨鉄筋コンクリート5階建で、戦後7階まで増築された。上野駅を睥睨するようなモダンなデザインで、アメ横入り口脇に立っていた。2005年に解体されるまで現役で、建て替え後はヨドバシカメラのビルとなったが、敷地の形状が独特なので同じような雰囲気の建物になっている。

京成聚楽ビル
昭和11年のマッチラベル
竣工時の全景

その「軍艦ビル」が見渡せる上野公園、西郷隆盛像の前、千代が「憧れの東京」の空気を味わっている。しかし、その横に、怪しい風体の男(柳谷寛)が立っている。全財産の入ったバスケットを盗まれたら一大事と、千代は男から離れる。この辺りはサイレント映画のような演出で、柳谷寛の怪しさ=都会の怖さを表現。

次のカットは丸の内。立ち並ぶビルディングを見上げる千代。鋪道を歩くオフィスガールたちを見つめる。私もああいう風になるんだ。という希望に満ちた表情で、見惚れていると、サラリーマンとぶつかる。頭を下げる千夜。

カットが変わって銀座の柳。銀座通りには市電が行き交い、向こう側にある大きな建物は大正14(1925)年5月1日に開業した松屋銀座デパート。大正11(1922)2月に着工、関東大震災に見舞われるも3年の歳月をかけて、大正14年4月に竣工した。鉄骨鉄筋コンクリート8階建の近代建築の粋を凝らした建物。現在の銀座松屋も補強工事、ラッピングはしてあるが、同じ建物である。

松屋銀座デパート 竣工時
松屋銀座デパート

辺りを見上げながら鋪道を歩く千代。くるりと一回りする。まさにお上りさんの喜びである。キャメラは、銀座四丁目、服部時計店側木村屋総本店あたりからのショットとなり、三越呉服店からパンをして、再び松屋銀座を写す。「いさみや洋品・服地店」「田屋洋品店」「丸見屋食堂」「津田洋品店」「(のちの)銀座三和ビル」など戦前の銀座の店の様子が映像からわかる。この風景の切り取り方がいい。まさしく「映画時層探検」の醍醐味である。

やがて銀座四丁目の日本堂百貨部の向かいのレストランのファサードのところで、千代が立ち止まってメモ帳を開く。丸の内〜銀座のシークエンスはわずか57秒ほどだが、戦前の銀座の空気を、僕たちは味わうことができる。

「東京市芝区白金台町一丁目七十八番地 おかだ方」。千代の女学校時代の親友で、田舎から東京に出て一人暮らしをしている村井久子(赤木蘭子)の住所である。銀座から白金まで、おそらく市電で移動してきた千代は、地名表記を確認してバスケットを抱えて階段を上がっていく。この辺りは江戸時代から閑静な住宅街だったが、大正の初めごろ市電が開通して、表通りに商店街ができて、飲食店やカフェーも出来た。映画では「台町」を強調するために、千代が階段を上がり切った高台にカフェー街があるが、これは撮影所のオープンセットである。

芝区白金台町1丁目

それまで軽快に流れていた映画のテーマ曲が、ここでフェードアウト。千代がカフェー街を見渡すショットから、街の雑踏ノイズとなる。

カフェー・みどりの女給で、食いしん坊の房子が店の前の掃除をしている。職人が小橋を渡る。活気のある朝の風景。BGMは劇伴奏ではなく、おそらくカフェーでかけているレコードの音となる。この年のヒット曲、渡辺はま子「忘れちゃいやよ」(作詞:最上洋 作曲:細田義勝)である。昭和11年3月に発売されるも、6月下旬に内務省によって発禁処分となった。その理由は「娼婦ノ嬌態ヲ眼前ニ見ルゴトキ官能的歌唱デアル」と、いわば「エロ歌謡」に対する見せしめ処分である。

そのレコードが普通に流れているカフェー街。セットとはいえ昭和11年の風俗を体感できる。カフェー・みどりの店内では、ベテラン女給・光子(伊達里子)がタバコを咥えながら、気の無い様子で掃除をしている。

♪忘れちゃいやよ 忘れないでね
 
 渡辺はま子の「ねぇ小唄」の悩ましい歌声。千代はあたりをキョロキョロしながら、村井久子の下宿を探している。それを怪訝そうに見ながら、タバコを路上に捨てる房子。一旦、店に入るが、慌てて出てきて、自分が捨てたタバコをちりとりに入れる。コメディエンヌ・清川虹子らしいキャラ造形である。

千代は房子に「岡田さんはどこですか?」「ここも岡田だけど」。ここで千代は、久子の現実に触れる。彼女はカフェーに住み込みで働いている。純情な千代は少しショックを受けるも、久子との再会の喜びが勝り、現状を受け入れる。マダム(清川玉枝)も良い人で、仕事が見つかるまで、千代を2階に置いてあげることにする。

久子は茂代という名で店に出ていて、房子に50銭を借りて、千代と一緒に汁粉屋へ。久子は「家にもあんたにも内緒にしていて悪いと思っていたんだけど、女給なんかになるつもりはなかったのよ」とタバコに火をつけながら、心情を吐露する。「田舎から出てきて、おいそれと良い仕事なんか見つかりゃしなかったわ」「仕事ってそんなにないものなの?」「田舎から出てきた人間なんかわざわざ使わなくたって、東京で働きたくて困っている人間がうじゃうじゃいるんだからね」。やるせない現実。

千代はどんなに貧しくても心中などはしたくはない、愛さえあれば二人でつましく生きていけるとポジティブ思考。しかし久子には、金をせびりに来るヒモがいて、つくづく嫌になっている。

それでも千代は、必死に新聞の求人欄をチェックして、就職活動に励む。ある夜、ストレスをためてカフェーにやってきた薄給のサラリーマン・小川(大川平八郎)が店で豪遊。久子もしこたま飲んで泥酔。その介抱をする千代。久子は悪戯して小川の万年筆を借りたままで「返してきて」と千代に頼む。

千代が小川を追っていくと、彼は橋のたもとにしゃがみこんで泥酔している。「水をください」。店に戻る千代。厨房では光子が夜食を食べている。まだその辺にいるからと、千代が小川に返しにいく。このベテラン女給・光子を演じている伊達里子は、昭和初年、松竹蒲田撮影所のモダンガール女優で、日本映画初のオールトーキー音楽映画『マダムと女房』(1931年・松竹・五所平之助)でマダムを演じ、実際にカフェーを経営していた。
 千代が持ってきた水を飲み干して生き返る小川。「わたし女給じゃないんです」「でもまた来れば会えるね」と、二人の間に暖かい感情が芽生える。

翌日、求人欄を書き写したメモを手に、千夜は丸の内へ。そこで出勤途中の小川とばったり。「お茶でも」と二人は、丸ビルのティールムへ。「とにかく女給さんになることなんかはいけないな」「でも、あんまり仕事がないんで」大川は千代の就職活動を応援すると約束。千代の顔が輝く。「僕なんかひとりぼっちで、ついカフェーなんかもいくんだけど、実際、怖いような女給さんもいるな」。ここで観客は清川虹子を思い出して笑っただろう。タンゴのB G Mが二人の感情を盛り上げる。

丸ビル 戦前絵葉書

シーンが変わって、カフェー・みどりの厨房のコックが「女姶入用」の貼り紙をしている。それを見た房子「なんだか変ね、『姶』っていう字違ってやしない?」「違ってやしないよ。女給の『給』って字だから女へんに…あれだろ?」「そうだったかしら?」

 この「勘違いの笑い」もおかしい。確かに「女」へんに「合」というのは「糸」へんよりも説得力がある。「姶」<みめよい>と読み「顔立ちが整った美しい女性」の意味がある。

次のシーン、商店街を歩く、千代と久子。小川が紹介してくれた仕事も決まらなかったという話をしている。「でももう一つ残っているわけなのね」「だけど、それもどうだかわからないわ」やるせない会話。風呂屋に入る久子。千代は「私、少しお買い物していくわ」

白金台町の商店街という設定だが、次のカットで千代が歩いているのは、隅田川と旧中川を結ぶ運河・仙台堀川にかかる清澄橋の上。江東区清澄三丁目~福住二丁目間の仙台堀川に架かっている。仙台堀川は、江戸時代に開削され、運河として江戸の運輸を支えてきた。北岸にあった仙台藩邸の蔵屋敷などへ、米などの特産物を運び入れるための運河で「仙台堀」と呼ばれていた。

この頃は木造の欄干で、千代がたたずむ後ろには、江戸の名残を感じさせる家々が並んでいる。対岸には倉庫が立ち並び、この運河が機能していたことがわかる。その場にしゃがんだ千代、歩き疲れて、足袋が汚れていることに気づいて、その汚れを払う。橋の上を忙しそうに行き交う人々。千代は恥ずかしくなり、橋の反対側へ。再びしゃがんで、口紅を取り出し、路上の石畳に「小川」と書いてみる。切ない乙女心である。

そこへ「何してるの?」と通勤途中の小川に声をかけられ、はっとなる千代。

「どっかいいところあった?」
「いいえ」
「僕の方ね、聞いてみたんだけど、もう採用されるのは決まってるんだって」
「すいませんでした」
「まだ心当たりもあるし、がっかりすることないよ」
「今は田舎に帰るのは嫌だし、仕事が見つかるまで、やっぱり女給さんでもなんでも、仕方ないと思っています」
「…」
「女給さんなんていけないでしょうか?」
「そんなことはないよ、女給さんでもしっかりした人はいると思うし、それはその人の気持ちがしっかりしていれば、なんでもないさ」

仙台堀・清澄橋のふたり

仙台堀の対岸のディティールがよくわかる貴重な映像記録でもある。細かいカット割で「清澄橋」が捉えられている。ここで、千代は女給としてカフェーに出ることを決意する。ここから先は、これまでの映画やドラマの展開では「転落していく」様子を描いていくのだが、この映画は、そうではないのがいい。

千代が店に出て1ヶ月、すっかり女給らしさが出てくるが、彼女を指名するのはいつも小川。薄給のサラリーマンなのに「お金のあるうちは」と通ってくる。嬉しそうに小川の相手をする千代。女給さんというより「恋する女の子」の表情である。しかし観客は、サラリーマンの給料でのカフェー通いが心配になってくる。

 ビールをクッと飲み干し「ああ美味しい」とほろ酔い気分の千代。ビールを注ぐ小川。周りの女給たちも、他の客からの千代の指名を断って、みんなが二人の恋愛を見守っている。

 カットが変わって、千代は小川と伊豆に向かう夜の列車に乗っている。婚前旅行のようで、千代はウキウキしている。新聞を読みながら、辺りを気にする小川。挙動不審である。誰かを探しながら車内を歩いてくる刑事のような風体の男にギョッとなり「次の駅で降りて、車で行こう」と小川。何かから逃げているようだ。結局、その男は刑事ではないことがわかり、ほっとする小川。

 伊豆の旅館に着いて、最上級の部屋に泊まる二人。千代は「経済ではない」と節約を求めるが、小川は遊ぶ時は徹底的に遊ぼうと享楽的な面を見せる。この辺りサスペンスになってくる。小川は会社の公金を使って、カフェーに通っていて、それが露呈して、会社のお金を持ち出して、千代と逃げてきたのだ。

同時刻、カフェーに刑事がやってきて、小川の悪事が露呈。翌日の新聞にも大々的に記事となる。しかし、それを知らない無邪気な千代。警察の非常線を縫って、山に逃げこむ小川。「一緒に死んでくれ」と千代に心中を持ちかけるも、千代は「絶対に嫌、自首して、いつまでも待っている」と自分のポリシーを貫こうとする。

山狩りの警察と消防団の包囲網が二人に迫る。なんだかすごい展開となっていく。やっぱり小川は遣い込みをしていたのか!

次のシーン。千代がうなされている。心配そうにそれを見守る久子。前夜、小川としこたま飲んで泥酔した千代はそのまま寝込んでいた。つまり、前のシーンのサスペンスは千代の心配が「悪夢」となったのだ。まるで瀬川昌治監督「喜劇・列車シリーズ」「喜劇・旅行シリーズ」のような「夢オチ」である。

久子によれば、小川は仙台支社への栄転が決まり、前夜、その別れにやってきたのだが、千代が酔ってしまったために、それを告げずに帰ったという。はっとはる千代。そこへ、階下から小川が声をかける。出勤前に、千代にお別れを言いにやってきたのだ。

恋人たちの切ない別れ。小川は千代に「手紙をください」と仙台の住所を渡す。この朝のシーンがいい。しかし千代は、そのアドレスを書いた紙を店の近くの川に流す。ここで千代は女給を辞めて、仕事を探す決意をする。新たな一歩を踏み出すのだ。その爽やかな表情。タイトルの『朝の並木路』がここで生きてくる。わずか1時間の小品ながら、昭和11年の上野、丸の内、銀座、そして仙台堀のロケーションが楽しめる。味わい深い一篇。


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