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丹下健三展でその半生を振り返るとともに「都市軸」を考える

 先日(2021年9月中旬)文化庁国立近現代建築資料館にて開催されている展覧会「丹下健三:戦前からオリンピック・万博まで 1938-1970」(以下「丹下健三展」)に行ってきました。
 7月から開催されていたのですが、なかなか上野方面に行く機会が無く、先日上野駅から電車で福島県に行く機会があったので、やっと行くことができました。

文化庁国立近現代建築資料館(会場)

 会場の文化庁国立近現代建築資料館ですが、湯島天満宮(湯島天神)の向かいにある国の湯島地方合同庁舎敷地の一角にありました。

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 私はJR御徒町駅から歩きましたが、メトロ千代田線の湯島駅が最寄り(徒歩8分)のようですね。
 文化庁国立近現代建築資料館は、2013年5月開館と比較的新しく、建築家の安藤忠雄氏が名誉館長になっているようです。

名誉館長挨拶
 建築は、人間の暮らしや風土、生活文化の集約されたものであリ、社会と強く結びついています。とくに近代以降の日本建築は、伝統的な木造建築と西洋の建築文化が融合し、独自の発展を遂げてきました。
 この世界に誇れる日本の建築文化を、よリ多くの人々に知ってもらい次の世代へと受け継いでゆくために、「国立近現代建築資料館」は生まれました。
 建築は、一人の力でできるものではあリません。依頼主や設計者、施工者など、関わる多くの人や組織が互いに対話を重ね、それぞれの思いが一つになってはじめて価値あるものが生まれます。その思いを伝える手段として、図面や模型やスケッチが使われます。これらの建築資料は、日本の建築文化がどのように進展してきたかを伝える貴重な歴史資料と言えます。
 先人たちが築いてきた歴史に学ぶことで、今後よリー層豊かな日本の建築文化が育まれてゆくことを心から願っています。
               安藤忠雄
(資料館リーフレットより)

展覧会「丹下健三:戦前からオリンピック・万博まで 1938-1970」

 さて、本題の「丹下健三展」ですが、丹下健三氏は日本建築界の巨人であり、先日のNOTE「『建築家のもがき』を垣間見つつ、その理論を学ぶ」でも説明したように、建築家の系譜の中では第1世代といわれている方です。

 その丹下健三の足跡をたどる展覧会として「丹下健三:戦前からオリンピック・万博まで 1938-1970」が開催されています。
 会期は、2021年7月21日(水)~10月10日(日)
 「丹下健三の卒業設計から代々木競技場、大阪万博に至る足跡を貴重な模型や図面、写真などの資料と共に巡る展覧会」とのことで、とても見ごたえがあり、圧倒されること、考えさせられることなど、多々ありました。

展示概要・展示構成

 展覧会・特設サイトでは以下のように説明しています。

 2021年は東京でオリンピック・パラリンピックが開催される記念の年です。振り返れば、1964年に東京オリンピック、昭和45(1970)年に大阪万博が開催され、その双方で、主導的な役割を果たしたのが建築家・丹下健三でした。
 そこで、文化庁国立近現代建築資料館では、過去3か年度(2014年~2016年度)にわたる丹下健三に関する建築資料の調査を活かし、彼の卒業設計から東京オリンピック、大阪万博に至る足跡を辿る展覧会を企画いたしました。
 本展では、広島平和記念公園及び記念館や国立代々木競技場などのナショナル・プロジェクトはもちろん、自邸の増築案や構造資料などこれまで紹介されてこなかった建築資料を交えて、丹下健三の前半生を回顧・検証します。
  展覧会 特設サイト https://tange2021.go.jp/

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展示構成としては以下のような6つのセクションに分かれていました。
Section 1 戦争と平和
Section 2 近代と伝統
Section 3 戦後民主主義と庁舎建築
Section 4 大空間への挑戦
Section 5 高度経済成長と情報化社会への応答
Section 6 五つのキーワードの統合

 ただ、このような時間の流れをたどるだけでなく、丹下健三の作品「成城の自邸増改築案」から、公共庁舎(「旧東京都庁舎」「今治市庁舎」「香川県庁舎」など)、さらに、大空間建築(「東京カテドラル聖マリア大聖堂」「国立代々木競技場 」など)と、建築物の形態や都市計画も含めた分野が広範であり、この点でも人それぞれが楽しめて、見どころのある展覧会だと思いました。

展示室写真
(注)個々の図面・模型などには撮影可のものと不可のものがありました。

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私の見たかったもの

 ところで「私は何を見たかったのか?」というと、「国立代々木競技場 」など大空間建築の図面・模型のほか、「日本万国博覧会・基幹施設マスタープラン」「東京計画1960」や国土計画(「21世紀の日本」「日本列島の将来像」など)です。
 やはり私は、「土木系」都市計画プランナーなので、大規模建築や地域計画・国土計画の図面や模型が大好きなようですね。(笑)

国立代々木競技場周辺地域模型

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日本万国博覧会基幹施設マスタープラン

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東京計画1960

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東海道メガロポリス

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「都市軸」という概念について

 従来から都市計画においては、都市構造図などで「都市軸」という概念が多く用いられてきました。私流には「人や物の主要な動きの基幹となり、都市機能集積や市街地形成の基準となる線状の概念」と理解しています。

 丹下健三氏は東京計画1960において、求心型の交通網による都市構造を改革する必要性を説き、巨大な高速道路が軸線上に鎖状につながった都市軸を提案するなど、東京の将来像を打ち出しました。
 上の写真でいうと、東京都心~東京湾~千葉臨海部を結ぶ直線・ラダー上の「都市軸」を設定し、その周辺にオフィス、住宅などを配置しています。
 
 「東京計画1960」の詳細については多くの書籍などで取り上げられていますので参照していただきたいと思いますが、今回東海道メガロポリス」や「日本万国博覧会・基幹施設マスタープラン」などを見て、丹下健三氏の都市計画において「都市軸」の概念がベースにあることを実感しました。

 なお、都市計画に長く携わってきて思うのですが、「都市軸」という概念が以前ほど重視されなくなってきた(言う人がいなくなった)ように思います。理由としては、都市全体を大規模開発する時代ではなくなり、エリアマネジメントなどに都市計画のベースが移ってきていることなのかもしれません。

 ただし先程述べたように、都市軸が「人や物の主要な動きの基幹となり、都市機能集積や市街地形成の基準となる線状の概念」なのだとしたら、それを意識しない都市計画には、重要な何かを見落としてしまう危険性があるように思います。

「サイクル・トランスポーテーションシステム」について

 ところで、先程述べた東京都心~東京湾~千葉臨海部を結ぶラダー状の「都市軸」ですが、この都市軸には、高速道路や鉄道から成る3層構造の鎖状の交通(サイクル・トランスポーテーションシステム)が構築され、都市の拡大による交通需要に対応する計画となっているのですね。

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<出典>「交通マイクロシミュレータによる『東京計画1960』構想の復元」(芝浦工業大学 近藤淳 ほか)

 なお、丹下設計事務所のサイト(https://www.tangeweb.com/works/works_no-22/)には、東京計画1960 模型写真がアップされており、サイクル・トランスポーテーションシステムを含めて、細部を見ることができます。(下記はその中の1枚)

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 このように交通施設を徹底的にモジュール化するという丹下健三氏の思想は凄みすら感じますが、鉄道や高速道路の計画・事業に携わった人間としては、このシステムは欠点というか賛成できない点があるように思います。

 それは「最も速達性が要求される交通施設(上記構造図の「上層」部)が直線でなくS字型になっている」ことなのですね。「広域交通を担うべき上層部が速達性を損なう構造になっている」わけですから、モジュール化の利点を考慮しても問題があると言わざるを得ません。
 大胆にも東京湾上に直線上の都市軸を設定していることの長所を、少なからず損なっている、といえるでしょう。

文化庁国立近現代建築資料館と旧岩崎邸庭園

 このように文化庁国立近現代建築資料館の「丹下健三展」は、憧憬・驚嘆などとともに様々なことを考えさせられる展覧会でした。
 ところで、折角なので隣接の旧岩崎邸庭園に行こうとしたのですが、残念ながら緊急事態宣言中のためか休館中で、資料館から旧岩崎邸庭園への通路も閉鎖されていました。残念!
 

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 資料館に行かれた際にはぜひ旧岩崎邸庭園もお勧めします。
 なお、平日は合同庁舎正門から入れますが、「土日・休日は旧岩崎邸庭園から入館ください」(要入園料)とのことです。

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