スパイになりたかった「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子)
この物語は実話である。
■小学1年で退学
黒柳徹子さんは小さい頃、「トットちゃん」が自分の名前だと思っていた。
トットちゃんは子供の頃、スパイかチンドン屋になりたかった。この子は好奇心が旺盛だった。その好奇心が問題を沢山、た~くさん引き起こした。
上開きの学校の机が面白く鉛筆でトントン、トントン叩く。
チンドン屋が来ると授業中にも関わらず窓際に行って、大声で「チンドン屋さ~ん」と叫ぶ。
そんなこんなで、毎日廊下に立たされていた。
結局、小学1年生で退学。
■すばらしきトモエ学園
そして転校したのが、東京の自由が丘にある「自由な学園・トモエ学園」
何が自由か?・・・全てである。
校舎の代わりに使用済みの電車を並べて教室にし、席は自由。どの机に座ってもよい。
今日一日の勉強科目を与えられると、各自何から勉強しても構わない。
面談の時、校長先生から、「何でもいいから、先生に話してごらん。全部」と言われた。トットちゃんは自分のことを校長先生に語った。それを4時間、校長先生はずっと聞いてくれた。大人が子供の話を最後まで聞いてくれることに、トットちゃんは嬉しくなった。
トットちゃんは思った。「この人となら、ずーと一緒にいてもいい」
こうして始まるトモエ学園でのことを綴ったのが、「窓際のトットちゃん」である。
そしてトットちゃんは、校長先生から掛けられた一言「君は、本当は、いい子なんだよ!」を胸に、成長していく。
■ 徹子さんが書いた理由
単行本「窓際のトットちゃん」は、1981年に講談社から発刊された。
初版は2万部印刷だったが、あれよあれよという間に刷りを重ね、国内で800万部を超える売り上げとなった。
さらには35カ国語に翻訳され、トータル2,500万部という空前絶後の人気本となった。
黒柳さんは、戦火で焼失し今はなきトモエ学園のことを、そして素晴らしい小林宗作校長先生のことを、是非とも書き残しておきたいという一心から、執筆した。
トモエ学園は、私立の幼稚園・小学校である。
小林校長先生はあるとき、幼稚園の先生に言った「子供を先生の計画にはめるな。自然の中に放り出しておけば、先生の計画より子供の夢の方が、ずっと大きい」。
素晴らしい言葉だと思う。
時空を超えて、もしそこへ行けるなら、私もその素晴らしいトモエ学園に入りたいと思う。
小林校長のような素晴らしい考えの人に、薫陶を受けたいと心から思うからだ。
だから第二、第三のトモエ学園が出来てきて欲しい。
■拒否してきた映画化が、ついにアニメで上映決定
昔は100万部で超ベストセラー、今は10万部でベストセラーと言われるなか、この本は桁違いに売れているのに、何故映画化されなかったのか?
それは「校長の小林宗作先生を演じられる人はいないから」と、黒柳さんは映画化を断ったからだ。
だが、ここにきてアニメでの映画化が決定した。アニメと聞いて私はホッとした。アニメなら、限りなくトットちゃんの記憶にある小林先生や、家族、友達、間違って詩吟を教えた丸山先生などをリアルに映し出せると思うからだ。
今年(2023年)12月8日公開とこのことだ。
私は、必ず見に行きたいと、すぐにカレンダーに書き込んだ。
物語は、空襲がひどくなってきたので、トットちゃんが、疎開の為に、列車に揺られて東北へ向かうところで終わっている。
映画の封切りが12月8日だ。それは日本が泥沼化していく戦争の始まりである真珠湾攻撃の日でもある。
何かそこに「悲惨な戦争をしてはならない」という意味を持たせたのかもしれない。
PS:「窓際のトットちゃん」の続編が発売となった。青森への疎開のことも書いてあるらしい。読むのが楽しみだ。
(続編を読みました。読後感想は、下記を参照してください)
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