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勝手連 おじさん3人組 日本アルペンラリーと全ての故人を偲んで八ヶ岳山麓へ
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元祖日本アルペンラリーで優勝した桐壮一郎氏(享年80歳)が数年前に亡くなった。その後同ラリーの中心的存在の澁谷道尚氏(享年88歳)(通称・澁さん)も亡くなった。
だが、コロナ禍もあり、二人の葬儀に出ることもままならなかった。
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第11回日本アルペンラリー優勝チーム
東京プリンスホテル前にて。
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長野岐阜県境の、開通間もない野麦峠(標高1672m)にて。
第13回日本アルペンラリー本番先行時。
それで私の中に「心のモヤモヤ」が、ずっと残り続けた。
それではと、勝手に「元祖日本アルペンラリーと、関わった全ての故人を偲ぶ会」をやろうと企画し、先週末、長野県の八ヶ岳山麓で実施した。
と言っても、参加は仲間内の「勝手連おじさん三人」だけである。
■1人目は、私茶木寿夫。第13回アルペンで入賞し、その後主催者の日本モータリストクラブ(JMC)の社員となり、アルペンラリーはもとより、北海道周回ノンストップラリーや数々のラリーコース設定をしてきた。いわば澁谷道尚氏の片腕であった。英国での国際ラリーにも参加。クラス6位。
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第13回日本アルペンラリーで入賞。
岐阜県中央部の位山にて。
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この大会のコース設定は私が行い、
この頃から先行車として、ボスの澁谷さんに代わり、私が走った。
■二人目は、大塚巖氏。日本アルペンラリーで管理車に乗り、最後尾を走り続けた重要なオフシャルの一人。パリダカールラリーの「いすゞメーカーチーム」のサービス隊長も務めた人物。
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パリ・ダカールラリーで、いすゞチームのサービス隊長を務めた。
■三人目は、佐藤献二氏。日本アルペンラリーには何回も参加し、北海道周回ノンストップラリーでは優勝もし、スカイラインGT(ハコスカ)で一世を風靡した人物。フィンランドラリーや、オーストラリアのサザンクロスラリーにも参加している。
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第15回は、ゼッケン1番でスタート
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スカイラインミュージアムにて。
■キッカケは・・・
それは一本の電話からだった。
ある日、大塚氏から私茶木へ「桐さんも亡くなり、澁谷さんも亡くなって、もうJMCの生き残りは、茶木さんと私(大塚)の2人になったねー」と電話が入った。
そう言われれば、確かにそうである。淋しい。
それで後日私は大塚さんに「ねぇ、ほんの少人数で、勝手に故人を偲ぶ会をしたい。時間取ってくれないかなー」と連絡した。
それが始まりである。
そして、大塚さんの友人でもあり、アルペンラリーのことをよく知る佐藤献二さんにも参加いただくことになった。
「勝手に偲ぶ会」の会場は、長野県の八ヶ岳南麓にある、ペンション「ラ・フォーレ」。
そこの先代オーナー大崎麓氏は、現経営者の息子さん(光さん)と一緒に、日本アルペンに何度も参加されているし、北海道周回ノンストップラリーでは、佐藤献二氏と同点優勝もされた方だ。
澁谷さんとも縁が深い。だからそこにすることにした。
それで、今年(2024年)6月15日(土曜)と16日(日曜)、一泊2日でおこなうことにした。
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佐藤献二チーム(スカイライン)と大崎麓チーム(ギャラン)
前列左が佐藤献二氏、右が大崎麓氏。
大崎チームは父の麓氏がドライバー、息子の光氏(後列右端)がナビゲーター。
このラリーコース設定は、茶木寿夫が行ったので感慨深い。
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プライベートチームにして上位に何度も入っている。
■篠塚健次郎氏に線香を・・・
佐藤献二、大塚巖のお二人は、篠塚健次郎氏との交流は深かった。
篠塚建次郎氏は走るプロ、私茶木は走らせるプロ。だから私も篠塚氏と接点はそれなりにあった。
それでどうせ行くなら、清里にある篠塚建次郎氏にも花と線香をあげに行こうとなった。
ラ・フォーレは長野県の原村にあり、篠塚夫妻のペンションは、山梨県の清里である。
二つのペンションは所在県こそ違うが、同じ八ヶ岳の山麓にあり、割と近い距離にある。しかも東京からだと、清里は通り道になる。
それで、お笑い3人組ならぬ「おじさん3人組」は、事前に篠塚さんの奥さんに電話で了解を得て、先ずは篠塚建次郎氏の遺影に花を手向け、線香を上げさせてもらった。
これで3人ともに、先ずは一つ心の整理がついた。
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第14回日本アルペンラリー
■日本アルペンラリーと、関係した全ての故人を偲んで。
おじさん3人組は、篠塚さんの奥さんから聞いた、「ロック」というレストランでミニカレーを食し、すぐ近くにある野辺山でアイスクリームを頬張り、宿泊地のラ・フォーレへ。
我々は、畏(かしこ)まったことも、仰々(ぎょうぎょう)しいこともしない。そう言うのはあまり好きではないからである。
代わって、私が作った「日本アルペンラリーと、関わった全ての故人を偲ぶ会」と称したパワーポイントを、私のナレーション入りで上映した。
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愛知県新城市にあるヨコハマゴム新城工場で、
暫しのレストコントロール(レスコン=休憩)をとるラリースト。
左端の横顔の人が木全巖、その右の白シャツに眼鏡をかけた人が鈴木信光、
中央のハチマキ姿の人が加藤爽平の各氏。
競技では良きライバルであるが、レスコンでは親しき仲間となる。
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宿泊は天皇陛下も泊まった白雲楼ホテルだった。
写真は翌朝のスタート。
懐かししい顔、顔、顔・・・そして懐かしいラリー車。
澁谷道尚、古我信生、桐壮一郎、大崎麓、篠塚建次郎、山崎英一、木全巖、加藤爽平、勝田照夫、五十嵐良夫、稲葉一義、小関典幸、久世隆一郎、高岡祥郎、柑本寿一、伊藤哲郎、竹島茂和、鈴木信光、石川昇、五島哲、岩下良雄、関根基司、平林武、歌原義和、木島栄一、・・・多くの各氏。
そんな名前が出る度に、気持ちは一気に当時にタイムスリップ。と同時に時の流れも感じさせられた。
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桐壮一郎、勝田照夫、木全巖、五十嵐良夫・・・日本のトップラリーストの各氏である。
JMCとは日本モータリストクラブの略称
当時、JMCの事務局は東京プリンスホテルの一室にあった。
そのJMCは、日刊自動車新聞社の木村社長が、
日本のモーターリゼーションを図ろうと子会社として設立したものである。
ラリー開催を職業として行うのは、日本でJMCだけだった。
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写真で綴る上映が終わったら、拍手が出たのには嬉しかった。
特性の食事のあとは、ヨコハマゴム提供の「第10回日本アルペンラリー」DVDを、一杯飲みながら鑑賞。
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氏の功績は、2つあると思う。
■一つは、日本のラリーの礎をつくったこと。
日本アルペンラリーを核に、多くの人に夢を与え、
たくさんの思い出を作る機会を与えてくれたこと。
■もう一つは、その記録を書いた本を世に出されたことだと思う。
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この本がなかったら、記録は散逸し、
人々の記憶の中に断片的なものとしてしか残らなかっただろうと思う。
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こうして3人だけの「勝手に偲ぶ会」は終わった。たったこれだけのことだが、3人とも心の整理がついた。
「また、何か機会をみて会おうぜ」、「みんなの分も、我々は精一杯生きようぜ」・・・そんな言葉を交わしながら、「おじさん3人組」は帰路についたのであった。
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左から茶木寿夫、大塚巖、佐藤献二。
長野県のペンション、ラ・フォーレ前にて
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